Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(5)

 
 ウルヴァシー方面軍司令官公邸から、皇太后ヒルダにユリアンたちは連絡を入れた。カリンの妊娠を、ヒルダも我がことのように喜んだ。
「お姉さま、カリンさんのこと、よろしくお願いいたします」
「もちろんですよ、ヒルダさん」
 ユリアンはこの時初めて、銀河帝国の皇太后と大公妃が私的な場面では互いを陛下、妃殿下とは呼ばずにより親密な、家族的な表現を用いていることを知った。
「陛下と妃殿下をもわずらわせることになって、申し訳ありません」
 頭を下げるユリアンに、
「およろしいのよ。ミンツさんは、私の夫のみならず、亡き弟にとっても友人であった方。家族も同然ですわ。お役にたてることが、私、嬉しいのよ」
「今後銀河の交通が発展してゆくうえで、妊婦や胎児が安全に宇宙航行できる技術の確立を目指さなければなりません。工部省に優先的に研究させましょう」
 ヒルダのその意見に、ユリアンはうなづいた。
「場違いですが、ついでにと言ってはなんですが、ヘル・ミンツには、政治向きの話をしなければなりません。あなたがたにイゼルローンに赴いていただいたおかげでワーレン元帥もどうやら立ち直られたようで、イゼルローン回廊の交通量増大に対応する策として幾つか建白をいただきました。幸い、ノイエラントの騒乱も終息しつつあり、アルターラントの状況も峠を越えました。状況に余裕が出来たため、メックリンガー提督は敢えて犠牲を増やさぬよう、時間をそれなりにかけて投降を呼びかけつつ、オーディーンを解放する策に転じたようです。
 勝機を掴みつつあるがゆえにかえって譲歩をしやすくなりました。かねてからお話しした件、オーディーン解放の目途がつき次第実行したいと思います。そのための話し合いも必要ですし、実行する時にはあなたにいていただく必要があります。
 敢えて酷なことを申し上げますが、カリンさんのことはアンネローゼお姉さまに委ねられて、ヘル・ミンツは急いでフェザーンにお戻りください」
 皇太后のその言葉にカリンは震える思いがした。初めての妊娠。これから毎日変わって行くだろう自分の身体と力強く育っていく新しい生命。不安と恐れがそこにないと言えば嘘になる。カリンは無意識に傍らのユリアンの手を探して、その手を強く握った。この握り返してくれる手がそばにいなくて、自分一人で出産に立ち向かえるだろうか。ユリアンがいない中で、自分はやっていけるだろうか。
 その思いを受け止めて、ユリアンもまたカリンの手を強く握った。
 さすがにカリンを気の毒に思ったアンネローゼが間に入った。
ヒルダさん。政治向きのことは私にはよくは分かりませんし、口出しもいたしませんけれども、今、カリンさんからミンツさんを引き離すのはあんまりじゃないでしょうか。あなたがそうおっしゃるからには余程のことなのでしょうけれど、ミンツさん以外の他の方に代わっていただくわけにはいかないのでしょうか」
「お姉さま、残念ながらそういうわけにはいかないのです。これは私たちの義務なのです。皇帝ラインハルト陛下とヤン・ウェンリー提督、それぞれの後継者である私とヘル・ミンツがやらなければならないことなのです。他の誰にも代わりは務まりません。そのことはお分かりでしょう?ヘル・ミンツ」
「はい。分かっているつもりです。ミュラー元帥にお会いしたかったのですが、お待ちしている時間は無いようです。カリン、ひとりで、いや、お腹の中の子とふたりで頑張れるね?」
 カリンは本当は首を振りたかった。行かないでと叫びたかった。けれどもそうは出来なかった。ヤンの思いを継承したがゆえに、ユリアンは時に心無い中傷にさらされながらも、力の限りを尽くしてイゼルローン共和政府軍を率いてきた。その姿を見てきたカリンは、少しでもユリアンの力になりたいと思ったのではなかったか。であれば、今ここで追いすがって、ユリアンが行こうとしている道を塞いでしまう訳にはいかなかった。ユリアンが為そうとする大義を邪魔するわけにはいかなかった。
 その大義のために、ユリアンが全身全霊を捧げているのみならず、他の多くの者たち、カリンの父親のシェーンコップも命までなげうったのだから。
「行ってきて、ユリアン。そしてあなたがやるべきことを、あなたにしか出来ないことをやったなら、戻ってきて。私はここで待っているわ」
 ヒルダは立ち上がり、カリンに対して深々と頭を下げた。
 そして通信が切られた。

 その時であった。
 全館の電気が落ちて、暗闇が周囲を支配した。ユリアンは、銃を携帯していなかったが、ただちに警戒態勢をとった。本来ならばすぐにでも護衛も者たちが駆けつけてくるはずであったが、20秒が経過してもその気配は無かった。
「妃殿下、窓から離れて壁側に背を向けてください。カリンも」
 アンネローゼとカリンが言われた通りにした時、公邸の反対側、玄関ホールの方で爆発音がした。やがてその轟音が収まり次第、いくつかの銃声が間断なく聞こえた。
「大公妃殿下!」
 居室につながる扉の方から、幾人かの少年たちが駆けてきた。ユリアンは空手の構えを見せたが、
「この子たちは私に仕えてくれる者たちです」
 とアンネローゼが言ったため、構えを下した。
 少年たちは4人、すべてリップシュタット戦役後、アンネローゼが引き取って面倒を見ている貴族の子弟たちで、今は公式にグリューネワルト大公家の職員になっていた。彼らの長であるコンラート・フォン・モーデルは皇帝アレクの世話をするためにフェザーンに留まっていたが、それ以外は、ウルヴァシーにも同道していた。
「僕はユリアン・ミンツ、君たちの名を教えてくれ。名前だけでいい」
 順に、パウル、エルンスト、トリストラム、ギュンターと名乗った。
「そうか。居室棟は他に通じておらず、行き止まりになっているんだね?」
 4人の中でリーダー格のパウルが、
「はい」
 と頷いた。
「居室棟に銃火器はあるかい?探してくれないか」
「確か大公殿下の書斎と寝室にいくつか護身用の銃火器があったと思います。手分けして持ってきます」
 集められた銃火器はすべて短銃で、6つあった。そのうち4つを少年たちに回し、ひとつを自分が用い、もうひとつをカリンに渡した。
「一番奥の部屋は寝室になっているようだ。カリン、君はそこで大公妃殿下をお守りしてくれ。君も軍人なのだから出来るね?」
「分かったわ。あんたが来るまで絶対に寝室の扉は開けない」
「待ってください、ミンツさん。何が起きているのでしょうか?」
 アンネローゼが聞いた。
「分かりません。ただ異常事態が発生していることだけは間違いありません。このような状況になっても、護衛も使用人たちも駆けつけていません。用心をするに越したことはありません」
 ここウルヴァシーはかつて皇帝ラインハルトが地球教徒たちに襲撃され、ルッツ提督が戦死した場所だった。今は地球教徒の勢力も一掃されたはずだったが、かつての故事が不吉な思いをユリアンに抱かせていた。
「君たち、そして大公妃殿下。私は帝国軍の軍人ではありませんが、この中で身重のカリンを除けば唯一の実戦経験がある者として、指揮をとらせていただきます。生き延びるために指示に従ってください」
 全員が頷いた。
「カリンはただちに大公妃殿下を連れて奥の部屋へ。僕がいいと言うまで出てきてはいけない」
「分かったわ。さあ、参りましょう、妃殿下」
 カリンとアンネローゼは奥の寝室に退避した。
 窓側の壁全体にはシールドを下し、出入口を一枚の扉のみに限定した。
 その扉の壁沿いにパウルとエルンストが配置され、扉を開けて正面のところにトリストラムとギュンターが、強化ガラスのテーブルを盾にして配置された。ユリアン自身は扉に対して斜め45度の位置に立ち、三方向から侵入者を迎撃する構えであった。
パウル、ここの警護隊長は誰だ?その人の経歴を教えてくれ」
フランケンハイマー中佐です。元はロイエンタール元帥の旗下にあった方ですが、更にその前はキルヒアイス提督の部下だったそうで、ローエングラム王朝に対する忠誠はまずは疑わなくてもよいかと思います」
「適切な助言だ。ありがとう」
 その時、閉ざされていたドアがカギで開けられようとした。
「待て!ドアを開けるな。侵入次第、撃つ」
「我々は警護隊の者だ。この公邸はテロによって半壊している。大公妃殿下の御身を守るために入らせてもらう」
フランケンハイマー中佐を連れてくるように。彼自身があなたがたが警護隊の人間だと証明しない限り、中に入れるわけにはいかない」
「中佐殿は負傷された。今、お連れするのは無理だ」
「ならば、ミュラー元帥の到着を待つ。大公殿下によってあなたがたの身分が保証されない限り、侵入次第、発砲する」
「おまえは誰だ。おまえに我々に指図する権限はない」
「元自由惑星同盟軍中尉ユリアン・ミンツだ。大公妃殿下の御下命によって、臨時にこの公邸の警備責任者となっている。君たちは私の指示に従う義務がある」
「同盟軍の指示になど、従う義理はない!」
 ドアが開けられ、一人の男が侵入しようとした時、正確に5つの銃弾がその男を刺し貫いた。血を吐きつつ、その男は横向きに倒れた。
パウル、その男の顔を見てくれ。見たことがある顔か?」
「いいえ!知らない男です」
 ユリアンはその言葉で、この者たちがテロリストの一味であると確信した。
 恐ろしいのは催涙弾や手榴弾が投げ込まれることだった。元々、安全のためか、扉の幅は狭くなっている。ひとりずつしか出入り出来ないのだから、少年たちの銃口で侵入は阻止できるかも知れない。しかし手榴弾などが放り投げられれば、彼らでは対応できない。投げ入れられる瞬間を狙って、ユリアンが銃弾で叩き潰すしかない。数分、数十分のことならばともかく、数時間、ともすれば数日の長丁場になりそうだった。
 しかしやり抜かなければならない。カリンのお腹の中の子のためにも。
 ウルヴァシー公邸襲撃事件はこうして始まった。