Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(8)

 
 新帝国暦4年5月10日、“ゴールデンバウム王朝銀河帝国”は正式に降伏宣言をなし、ここに新帝国暦4年の騒乱は終結した。
 しかしここから先がむしろ、メックリンガーにとっては難事であった。インフラが破壊されたにも関わらず、流民が消え去ったわけではなかったからである。取り敢えず、オーディーンを軍政下に置き、工兵をフル稼働させて簡易住宅を建設させ、順次、流民に家屋を提供した。食糧についても配給制にしたが、そもそも流民の戸籍自体が無かったので、管理は困難を極めた。しかし王道に近道は無しとの精神で、ひとりずつ事情聴取をして戸籍を作成し、そうして「市民化」された流民は、インフラ再建や住宅建設の仕事をあてがい、給与を支払う形で日常生活を営めるように支援していった。一朝一夕ですぐにどうなるものではなかったが、しかしそれでも日々状況は改善して行って、数年もすればオーディーンの状況は平穏に戻るだろうと期待された。
 帝国同胞団の幹部は逮捕拘禁された者は15名弱とごく少なかったが、すべてにおいて自分が全権を振るっていた、責任はすべて自分のみにあるとゾンネンフェルスが主張したので、形式的な自白犯がいる以上、他に犯人を求めるのも困難であった。
 ゾンネンフェルスとバルツァー伯爵を含む15名は、いまだ蠢くかもしれない帝国同胞団の残党と切り離すために、護衛艦付きでフェザーンに送られることになった。女帝カザリン・ケートヘンとその父親のペクニッツ公爵については、「脅されてやむを得ず従った被害者」との扱いを受けたが、そう断定してよいかどうか詳細に調べるために、やはりフェザーンに送致されることになった。
 彼らの扱いをどうするかについて、帝国軍首脳と閣僚のうち、戦時内閣を構成する国務尚書、内務尚書、司法尚書、そして無論、軍務尚書が皇太后の前で御前会議を開いた。軍からはミッターマイヤー首席元帥の他に、ケスラー憲兵総監、ビッテンフェルト宇宙艦隊司令長官、フェルナー軍務尚書が列席し、ワーレン元帥、メックリンガー元帥、そしてミュラー元帥の資格でグリューネワルト大公がそれぞれ任地から超光速通信を介して、参加した。皇太后首席秘書官であるヴェストパーレ男爵夫人が会議の進行役を務めた。
 まず会議に先立って、ワーレンが自身および、本来であればミッターマイヤーの旗下ではあるが、自分を通して提出されたと言って、ビューロー提督による、ゾンネンフェルス提督の助命嘆願書を提出した。
「ワーレン、卿はいわば、子息をゾンネンフェルスによって殺された形になるのだが、それでも助命を嘆願するのか」
 ミッターマイヤーは感心すると言うよりはむしろ辛辣なニュアンスを含んでそう問うた。
「戦争で互いを殺傷するのはいかんともしがたいこと。それで言うならば私などは何人殺したか知れません。裁く時になって、自分だけが被害者ぶるのは公平を欠くというものでしょう」
「個人としては賞すべき態度かも知れんが、事が反乱であるがゆえに過剰な配慮は信賞必罰を曲げることになりかねん。本来なら、私の立場ならば先に意見を言うのは控えるべきなのだろうが、我が軍はともすれば情に流れて処分を甘くするきらいがある。またもやそういう流れになっては困るのでな、敢えて明言させてもらおう。首謀者は全員、処刑すべきである。それが私の見解だ」
 列席者から驚きの声が漏れた。温情的な意見を言うとすればこれまではまずはミッターマイヤー元帥がその先頭に立っていたからである。フェルナーが発言を求めた。
「ゾンネンフェルスはこれで二度にわたって軍法会議で処断されることになりますが、一度目はオーベルシュタイン元帥の厳罰論を押して、ミッターマイヤー元帥は温情論を主張なさったはず。いかなるご存念の変化がおありか、伺わせていただきたい」
「あの時点では現役の帝国元帥は私とオーベルシュタインの2名しかいなかった。オーベルシュタインが厳罰論を説くのであれば、必然的にバランスをとるために、私が温情論を説くしかなかった。今は元帥も複数おり、上級大将ではあるが卿は軍務尚書の任にある。組織的なバランスをあの時ほど重視する必要はない。あるいは今言ったことと矛盾するかも知れんが、現在の帝国軍上層部は温情論に流されやすい体質を持っている。ここにオーベルシュタインがいるならばともかく、いないのであるから、厳罰論を私が説くことにも意味はあろう。それだけではなく、ゾンネンフェルスに一度温情をかけたことが今回の反乱を招くことになった。温情をかけたことは私の失敗であった。経緯から見ても、今回は厳罰に処すのが筋である」
 これに対してミュラーが発言を求めた。
「過去の処断についてはその時点で決着がついているはずです。今、蒸し返すのがいいとは思えません。今回の事件そのもので評価すべきです。はっきりと申し上げます。反乱と言う行為はともかく、それに至った経緯については我々にも明らかに落ち度はありました。罰せられるならばまず、アルターラントの荒廃を見過ごした内務省、手をこまねいていた帝国軍が罰せられるべきではありませんか。ゾンネンフェルスには人質の安全を図るなど、武人として賞せられるべき面があったのも確かです」
「卿は今、軍人として列席しているのだから、皇族としての敬称は省略させていただこう。ミュラー元帥の言うのはある意味正しい。内務尚書も、首席元帥である私も責任は痛感している。しかし我々は国家そのものを代表しているのだから罰せられるわけにはいかない。ミュラー元帥の言が正しいがゆえに、ゾンネンフェルスは叛逆者としてなおいっそう罰せられなければならない」
「それは閣下がかつておっしゃった、ローエングラム王朝は正義によって立つということに叶いましょうか」
「国家の存在そのものが正義なのだ、ミュラー元帥。国家が倒れて、正義が残るということはあり得ない」
 ミュラーはまるでオーベルシュタインと話しているようだと思った。この叛乱そのものは、一応は鎮圧を見た。しかし帝国軍総司令官が極端に反動的になってしまったとすればそのことの方がむしろ弊害が大きいではないか。
「閣下、実際問題として、ゾンネンフェルスはオーディーンにて多数の民衆の支持を得ました。破れたりとは言え、その事実に変わりはありません。今、鎮圧によってオーディーンは大人しくなっていますが、ゾンネンフェルスを処刑すれば、過激な一派が呼応する可能性があります。敢えて申し上げますが、オーベルシュタイン元帥ならば今回の件ではまずそのことを考慮なさったでしょう」
 フェルナーが言葉を選んで慎重に言った。そのフェルナーに対してミッターマイヤーはひにくげな微笑を与えた。
「そうか。この件ではオーベルシュタインはむしろ温情論をとると言うか」
「理から言えば、厳罰に処すべきでしょう。オーベルシュタイン元帥は理を常に重視なさいました。しかし、状況を見なかったわけではありません。出来もしないことを出来るとは思われませんでした」
 フェルナーのその言葉にミッターマイヤーは沈黙した。その沈黙を受けて、フェルナーは出席者に向けて言葉を続けた。
「しかし総司令官閣下がお示しになった視点はごく重要だと思います。厳罰に処すにせよ、温情をほどこすにせよ、それは我々自身の理念や満足によってなされてはならないのです。それが可能かどうか、それがいかなる政治的な状況をもたらすか、レアルポリティークの視点から判断を下すべきだと考えられます。理念は重要です。しかし同時に我々は理念の奴隷になってはいけないのです。武人としての自負、あるいは武人的寛容、それもまた理念であるには違いありません」
「それで、軍務尚書、卿自身はどのような対処が妥当だと思うのかね」
 メックリンガーが、フェルナーの判断を提出するよう促した。会議の流れからすれば、おそらくそれが結論となるはずであった。この男を抜擢したのは成功だったとメックリンガーは思った。あるいはそうでなければ根底を揺るがしかねない大失敗であったかのどちらかであった。
「新たに流刑星を建設し、他の囚人と隔離したうえでの終身の禁固刑が相当であると考えます。その流刑地においては、最大限の生活上の便宜が図られるべきでしょう。一人たりとも処刑して、いたずらに殉教者を作る義理はありません」
「まあそれが妥当なところでしょうな」
 国務尚書マリーンドルフ伯が念押しして、ゾンネンフェルスらについてはそう処遇が決定した。
 引き続き、ペクニッツ公爵と女帝の扱いについて議題が移った。
 これについてケスラーがまず、報告を上げた。4歳児の女帝はともかく、ペクニッツ公爵については単純に状況に流されたとは言い難いこと、ある程度の責任を問うべきであるとケスラーは述べた。
「少なくとも女帝の保護監督権をあの男から取り上げる必要があります。今後、また利用されかねないですから」
 本当であれば女帝をフェザーンに引き取るのは避けたいところであった。フェザーンは政治の中心地であり、旧王朝の主がいれば、いかなる障りとなるか知れなかった。オーディーンに残しておくのが一番良かったのだが、オーディーンでこうして利用された以上、フェザーンに移すのもやむを得なかった。
 フェザーンに連れて来れば、皇族として遇さざるを得ない。
 その前提から言えば、保護者があれほどあやふやな男では、困るのであった。
 ヒルダが口を開いた。
「ペクニッツ公爵については今回の責任をとっていただき親権停止、オーディーンにて自宅軟禁といたしましょう。上皇陛下、ペクニッツ公爵夫人については保護監督権を皇室、具体的には私が管轄することにします。宮内省の方から職員を派遣することにさせましょう。ただしフェザーン中央市には置きません。フェザーンの郊外に居住していただきます」
 こうして女帝は、政治の中心地に一歩近づいたのであった。