Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(4)

 超光速巡洋艦は維持費、運航費が通常の艦船の2倍から3倍かかるばかりではなく、建造費そのものが通常型宇宙戦艦の5隻分に相当することもあって、帝国軍でも未だに試作初号機が建造されたに過ぎず、ルシファーと名付けられたその艦船はイゼルローン要塞に配備されていた。緊急の時に、ワーレンが用いられるよう、フェザーンから最も遠い位置に配属されている元帥であるワーレンに与えられていたが、ワーレン自身はこれまでそれを用いたことは無かった。
 イゼルローンとフェザーンを最短時間で結ぶというこの艦船に与えられた本来の使命で、この艦船を用いたのはユリアン・ミンツが最初ということになる。この時点でのユリアンの立場は一民間人に過ぎなかったが、このような特別な便宜を計られること自体、実質的には彼が一民間人ではないことを示していた。
 帝国暦4年4月25日、宇宙塵の発生によって大きく迂回航行を強いられていた超光速巡洋艦ルシファーは、ガンダルヴァ星系に差し掛かったところで、惑星ウルヴァシーに緊急着陸をした。
 乗員カーテローゼ・ミンツに、妊娠兆候が見られたからである。
 着陸後すぐにウルヴァシー最大の軍病院にて精密検査を受けたカリンは、夫のユリアン・ミンツとともに、検査報告を担当医から受けた。
「確かに妊娠していますね。妊娠半月というところでしょうか」
「それで、赤ちゃんは無事なんでしょうか」
 カリンはそう言いつつ、ユリアンの手を握りしめた。
「ええ、さいわい、異常は一切認められません。念のため一部組織を採取してDNA検査をしましたが、破損は認められませんでした。宇宙航行は確かに胎児にはよくはありませんが、すべての胎児が悪影響を蒙るわけではありません。あくまで確率の問題です。まずは安心なさってよろしいかと思われます」
 カリンとユリアンはほっと胸をなでおろした。自分たちがあちらこちら移動したがために、子に障害でも負わせたならば悔やんでも悔やみきれないところであった。
「ありがとうございます。安心しました」
 ユリアンはそう言って、医師に頭を下げた。
「良かったですね。あなたがたはお父さんとお母さんになられるわけだ」
 そう言われてようやく、ユリアンとカリンは、これは喜ぶべき慶事なのだと気づいた。これまでは胎児の状態が心配のあまり、喜ぶとかそういう状況ではなかったのである。
「ありがとうございます」
 ユリアンとカリンは再び頭を下げた。
「しかしですね、これ以上の航行はお勧めできません。やはり危険なのは確かですからね。お子さんのことを思えば、無理をしてでも出産なされるまではウルヴァシーに留まるのが賢明でしょう」
「ええ、よく考えてみたいと思います」
 ユリアンたちは検診室を出て、ふたりで喜びの声をあげた。
「おめでとう、カリン。君はお母さんになるんだね」
「ええ、あなたもお父さんよ、ユリアン
 ユリアンとカリンは、カリンの腹部を圧迫しないように気を付けながら強く抱き合った。
「不思議ね、あのワルター・フォン・シェーンコップがおじいちゃんになるなんて」
「そうだね」
 ユリアンも自分の両親のことを思った。そして自分とは仲が悪かったあの祖母のことも。思えば、あの祖母にとっては生まれてくる子は曾孫になるわけで、気が合おうが合わなかろうが、こうして血統が続いてゆくことに不思議な思いがした。一方で、ヤン・ウェンリーをどれほど敬愛しようとも、ヤンの血筋はこの子には伝えられない。けれども精神的なものは継承できるはずだ。生まれてくる子が大きくなれば、「ヤンおじいちゃん」がいかに優しい人だったか、いかに無私の人だったか、責任からは決して逃げなかった人であったことを語って聞かせようとユリアンは思った。
 病院の超光速通信設備を借りて、ユリアンとカリンはまず、ハイネセンのフレデリカに連絡を取った。フレデリカは首相であるから、当人が出てくるまでに何人かの人物の引継ぎがあったが、数十分後に画面に現れたフレデリカは、ユリアンとカリンを見るなり、
「おめでとう、ふたりとも。お父さんとお母さんになるのね」
 と言った。
「何も言っていないのにどうして分かるんですか?」
「だって、あなたたちふたりともそんなに嬉しそうな顔をしているなんてそれ以外に考えられないもの。ねえ、ユリアン、今自分がどれだけ幸福そうな顔をしているのか、鏡をごらんなさいな」
「まだ妊娠が分かったばかりなんです。生まれてくるまでには10ヶ月はかかるんでしょうけど、私、嬉しくて」
 カリンの眼からはダイアモンドのような光が流れ落ちた。
「シェーンコップ中将もきっと喜んでいらっしゃるわ。本当におめでとう、カリン」
 カリンはうなづいた。
「ところでユリアン。このことを知らされたのは私が最初だと自惚れてもいいのかしら」
「もちろんです。僕たちは何をおいてもまずフレデリカさんに知っていただきたくて」
「ありがとう。私もこの知らせをみんなに言いたくてしょうがないけど、一日は黙っておくことにするわ。その間に、リンツ大佐にはあなたたちが自分でお知らせすべきだと思うわ。カリンのお父さん代わりの人なんですからね。それとキャゼルヌ夫妻にも」
「そうするつもりです、ありがとうございます、フレデリカさん」
 カリンは礼を言った。
「それで、気が早いかも知れませんが、僕とカリンからフレデリカさんにお願いがあるんです。生まれてくる子にヤン提督をおじいちゃん、フレデリカさんをおばあちゃんと呼ばせても構わないでしょうか」
 その言葉にフレデリカはにっこりとほほ笑んだ。
「この年齢でおばあちゃんになることにはちょっとした躊躇いがあるけれど、そうね、喜びはずっと大きいわ。気を使ってくださってありがとう。喜んで、おばあちゃんにならせていただくわ。ヤンも本当に喜ぶでしょうね」
 フレデリカへの報告を終えた後、ユリアンたちはリンツに連絡を取った。
 リンツもまた大喜びをしてくれて、子が生まれたら一度顔を見せにハイネセンに来るようにと言った。
「そうするつもりです。ヤン提督のお墓にも赤ちゃんを見せなければいけませんし」
「そうだな、ユリアン。お墓と言えばまだ、あの墓が奇跡のヤンの墓だとはマスコミにはばれていないようだよ。先日早朝に、ヤン夫人を案内してお連れしたところだ。ヤン提督にとってもお孫さんになる子供だ。カリン、体だけは十分にいたわってくれよ」
 カリンはその言葉ににこやかに、そして力強くうなづいた。
 キャゼルヌ夫妻に報告した際の狼狽ぶりは滑稽なほどであった。
「ああ、なんて素晴らしいことなの。おめでとう、ユリアン、カリン」
「よくやった。よくやったなふたりとも」
 キャゼルヌはそう言ってバンザイと叫んだ。そこまで狂喜してくれるとはユリアンもカリンも予想外であったが、自分たちが思うよりずっと、他の人々の思いによって支えられているのだと改めて思い知った。生まれてくる子にも人の愛を知り、その絆を大事してゆけるように育って欲しいとユリアンたちはそう思った。
 その後、ワーレンにのみ連絡をして、ワーレンからひとしきり祝いの言葉を受けて、今日のところはまずはこれまでにして、荷物を取りに船に戻ろうとして、病院のロビーに出た。
「ああ、ユリアンさん、カリンさん。ウルヴァシーに緊急にいらっしゃったとうかがってお待ちしておりました」
 ロビーで二人を待っていたのはグリューネワルト大公妃アンネローゼであった。
「これは大公妃殿下、わざわざのお運び、恐縮です」
 ユリアンとカリンは同盟式の軍人の最敬礼を行った。ユリアンが皇太后ヒルダ、ミュラーと親しい関係から、フェザーンに居住後は、すでに何度となくアンネローゼとも夫婦そろって面談していた。アンネローゼは亡き弟、皇帝ラインハルトにとっては最後の友ともいえるユリアンに対してはむろん敬意を示していたが、そればかりではなく、親交を交えるに従って、アンネローゼとミンツ夫妻の間にも友情が形成されていた。ミンツ夫妻はグリューネワルト大公夫妻の結婚式にも出席していたし、新居に招かれた最初の客でもあった。
「カリンさん、お体は大丈夫?」
「はい、病気ではなくて妊娠しただけですから。幸い、おなかの中の赤ちゃんも無事で」
「まあ。おふたりとも、おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。そうと分かったらなおさら、ぜひ、私のところにご逗留ください。赤ちゃんがお生まれになるまでは動かさないほうがよろしいのでしょう?」
「ありがたいことですが、よろしいのでしょうか」
 ユリアンが聞いた。
「もちろんんですとも。放っておいたら私が夫から叱られますわ。あいにく、夫は二三日は視察に出ていますが、視察を終えたら戻ってきます。夫もおふたりの滞在を喜んでくれますわ」
 カリンの状態が状態でもあるので、この申し出は正直、ユリアンとカリンには有難かった。
 こうしてユリアンとカリンは、ウルヴァシー方面軍司令官公邸の客となった。