Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(6)

 
 帝国同胞団にとっては状況は悪化していた。
 ノイエラントの反乱の使嗾に失敗した時点で、ブラウンの計画はとん挫した。ポプランを使って、同盟領の反乱を鼓舞するなど、様々な計画を思い描いていたが、ワーレンへの同情が広がったことによって、市民たちが呼応せずに、武力闘争には至らなかったがために、状況は終息へと向かった。
 かくなるうえは、アルターラントの騒乱を可能な限り長引かせ、帝国の体力を削ぎ、他日を期すよりなかった。
 ブラウンは、人質を処刑して、メックリンガーの行動を遅らせるように主張した。
「ブラウン上級大将、卿は何か考え違いをしているようだ。人質などはいない。彼らはすべてゴールデンバウム王朝銀河帝国の国民である。政府も軍も彼らを保護する義務がある」
 しかしゾンネンフェルスの拒絶にあって、ブラウンは手詰まりになった。バルツァー伯爵に接触し、バルツァー伯爵を動かそうにも、バルツァー伯爵はブラウンを見るなり、
「卿の見込み違いではないか!このままでは当家も滅びる。いったいどうしてくれるんだ!」
 と罵倒の限りを尽くしたので、ブラウンもどうすることも出来なかった。
 帝国元帥として、女帝カザリン・ケートヘンに謁見した際、ゾンネンフェルスは、4歳の女帝から声をかけられた。
「ブラウンの進言を却下したそうな。あれでよい。この戦はどのみち負けが決まっておる。このうえ非道なことをすれば、人倫にもとるだけでなく、生き延びる我らの足枷にもなろうからの」
 女帝は4歳児には思えぬ明晰な言葉づかいでそう言った。
「はっ、陛下には無謀なる賭けに巻き込んでしまったこと、ゾンネンフェルス、心よりお詫びいたします」
「良い。我が父の愚かさもあってのことじゃ。しかし申し訳ないがわらわは卿とは生死を共にできぬ。この身にはゴールデンバウム家の血統が委ねられておるでの。生きて子孫を残さねばならぬ。状況的に見てわらわが巻き込まれたのは明らか、まさか皇太后も4歳児をどうこうはすまい。我が父は流刑くらいにはなるかも知れんがの、それはかえってそうなった方が当人のためにもよかろう。
 されど卿は首謀者、まあ無事には済むまい。かえってここで毒杯でも勧めるのが卿のためにはよかろうが、卿が死ねば卿の下の者が裁かれることになろう。気の毒だが、処刑されるために今しばらく生きながらえてくれるか」
「はっ、仰せの通りに」
「さて、これからは負け戦じゃが、負け戦ほど始末が難しい。メックリンガーと呼吸を合わせての、兵を引かせ、なるべく早くオーディーンを『解放』させるのが肝心じゃ。バルツァー伯爵が暴発せんように、ポプランとクロジンデでも見張りにつけておくのがよかろう。バルツァー伯爵を死なさんようにな。あれの首もまだ入用じゃ。ブラウンはまだあれはたくらんでおるな。いっそのこと始末してしまうか」
「ご命令とあれば」
「あれはの、同盟に通じておったらしいの。どうやらケスラーが嗅ぎつけたものだから、奴の思い通りにはいかなかったようじゃが、今となっては同盟の残党にも我らにも生きていてもらっては困る男よの。しかし仲間割れで幹部を殺したとあっては、仮にもゴールデンバウム王朝復興を名乗った者がそのようであっては後世の歴史家を笑わせることになろう。あの者には民兵を指揮させてみればよい」
民兵をですか?」
「そもそもあやつは我ら帝国民を侮蔑しておる。その侮蔑が相手には伝わらぬと思っておる。愚かな男じゃ。敗けがこんで民兵も気が立っておろう。難易度が高い任を与え、指揮させてみよ。民衆が始末をつけてくれるだろうて」
 ゴールデンバウム王朝はその最後の最後にひとりの天才児を産んだ。彼女の人生は、皇帝ラインハルトに劣らず、浮き沈みが激しいものであった。歴史の陰に長らく隠れていて、その天才を知る者は多くはいなかったが、いずれ彼女は再び銀河の歴史に登場することになる。
 ブラウンには既にオーディーン都部に迫る帝国軍から、重要拠点である武器弾薬庫を奪取する命令が下された。自分は参謀としてこのようなマイナーな作戦に関わっている暇はないとブラウンは主張したが、
「卿が自分の言い分を通そうと思うならば、まずは実績を示せ」
 との、ゾンネンフェルスの冷たい却下の姿勢によって、ブラウンはこの指揮から逃れられなくなった。ブラウンはバルツァー伯爵、ゾンネンフェルス提督と他人を動かすことによって権力を掌握していた。その他人が思うがままに動かなくなれば、ブラウン自身には状況を動かす権限は無かった。しかしブラウンはまだ諦めていなかった。人質を用いて戦況を膠着させられれば、まだ数ヶ月の猶予はある。ウルヴァシーに指令したミッションが成功すれば、なおも抵抗は可能だろう。
 それを敢えてしたとして、その先に何があるのか、それを問われればブラウンも明確な答えは持っていなかった。それがない以上、数ヶ月の延命にこだわるブラウンはもはや、祖国の喪失を異郷で知った悲しみの妄執に囚われているだけに過ぎなかった。
 ゾンネンフェルスの読み通り、二千の民兵を率いながらも、戦略には通じていても戦術には通じていないブラウンは作戦に失敗した。その失敗を愚かな民兵のせいにしたブラウンは民兵たちを前にして散々愚弄した。元々、規律によって服従を叩きこまれているわけではない民兵は、愚弄を侮辱と解釈し、二千の民兵がブラウンに襲い掛かった。
 こうしてブラウンは見下していた民衆たちによってリンチを加えられ、オーディーン地表で肉塊となることによって行方不明となったのであった。それと同時に、ブラウンに従っていた民兵たちは解散し、そのままもとの民衆の海へと消えていった。
 ゾンネンフェルスは何人かの部下に逃亡を勧め、可能な限り責任を問われる者を少なくしようとしていた。そのために、自分と共に責任を問われるべき何人かの首謀者、バルツァー伯爵などには、信頼できる兵を派遣し、逮捕拘禁した。逃げられないようにするためである。
 クロジンデとポプランを呼び、ゾンネンフェルスは数日中に降伏する旨を伝えた。
「我が志ならず、と言うべきなのだろうが、実を言えば元から無謀なのは分かっていた。こうしてはっきりと物理的な暴発を示して、フェザーンの眼を向けさせるのが目的であった。その意味では、目的は達したであろう。皇太后陛下もミッターマイヤー元帥も暗愚なお方ではない。必ずやこのようなことが二度と起こらなくても済むように、適切な策をとってくださるであろう。敗けると分かっていた戦いに卿らを巻き込んで申し訳なかった。女帝陛下にも同じくお詫びを申し上げた。
 女帝陛下は賢明なお方。生きてご成長を見届けたいがそれは叶うまい。脅迫によって、陛下の御父君に無理強いしたと言えば、陛下の御身は安全であろう。できれば卿らには生きて、陛下の今後を見届けて欲しいが、卿らも我が政府の幹部ではある。逮捕されれば無事ではあるまい。ここに資金がいくらかある。これを用いてしばらく潜伏して、折を見てオーディーンから脱出してくれ」
「そういうわけには参りません。ポプランはともかく、私は自分の意思で提督にお仕えしたのです。身を売っていた私に、提督は生きる使命を与えてくださりました。生きるも死ぬも一緒です」
 クロジンデのその言葉に、ゾンネンフェルスは冷たい微笑を浮かべた。
「人は一人で生まれて一人で死ぬのだよ、クロジンデ。ロイエンタール元帥と共に生き、共に死ぬと誓った私がこうして生きながらえている。君もこれからは自分で自分の人生を選び取らなければならない。状況によって強制されるのではなく、誰かに道を与えられるのではなく、君自身が何をしたいかによって人生を掴まなければならない。その選択は時に、状況に流されるているよりもいっそう辛く困難なものであるかも知れない。しかしだからこそ、君は生き続けて、選択を重ねてゆかなければならないのだ。死ぬまでは人生は終わらないのだから」
 既に涙を流しているクロジンデに、ゾンネンフェルスは今度は柔らかな微笑を与えた。その髪にふれて、優しく頭を撫でた。
「幸せにおなり、クロジンデ。君の人生はこれまで辛いものだったが、これで終わりではない。逃亡者の日々は楽ではないだろうが、それでも君の人生を全体では幸福であったと死の間際に言うためには、あえてそれに挑戦する価値はある。ポプラン“中佐”、巻き込んでしまって勝手な願いだが、巻き込みついでにクロジンデのことを頼んでもいいだろうか」
「“元帥閣下”、必ずや御下命を果たすよう全力を尽くします」
 ゾンネンフェルスは頷いて、手を振って、両者に退出を促した。ゾンネンフェルスの執務室の扉が閉められたその時が、帝国同胞団、ゴールデンバウム王朝正統政府の実質的な終焉の時であったのかも知れない。
 クロジンデの手を引いて、ポプランが旧軍務省を出た時に、その袖を横からひっぱる者がいた。
「ボリス・コーネフ。あんたいったいこんなところで何をしているんだ」
「いや、そろそろ入用じゃないかと思ってね。フェザーン商人は売り時を逃さないものさ」
「冗談じゃない。こんなことに関わってはろくなことにならんぞ。従兄弟をこんなことに巻き込んだとあっては、イワン・コーネフに何を言われるか分かったもんじゃない」
「ところが雇人はおまえさんじゃなくてね。おまえさんは積荷でしかないのさ。民間宇宙港に“親不孝号”を停泊させてある。このまま連れてゆくぞ」
「よく、こんな時に、オーディーンに入れたな」
蛇の道は蛇ってね、まあこの辺のノウハウはフェザーン商人にはあるものさ。こちらのご婦人ともども、さっそく我が豪華クルーザーにご案内しよう」
「あれが豪華クルーザーなら、ユリシーズは豪華客船だろうよ。雇人ってのは誰だ?誰がおまえさんを雇った」
「企業秘密かもしれんが、口止めはされていないんでね、言っても構わんだろう。ユリアンだ。おまえさんとの友情のために、危険を押して乗り込んできたと言いたいところだがこっちも部下を養わなければならん身でね、まあ商売だ。必要経費だけで言っても決して安くはない。ユリアンはヤンの遺産をそれなりに相続したようだが、たぶんこれでほとんど吐き出したんじゃないか。イゼルローンに赴く前に俺を尋ねてきて、手配をしていった」
「冗談じゃない。そんなことをしてもらういわれはない」
「おまえさんは意地を張ってもいいかも知れんが、もうキャンセルはできんぞ。ユリアンは無駄金を使ったことになる。それにな、そちらのお嬢さんのことも、よろしく頼むとユリアンは言っていた。シュナイダーがユリアンに会って、詳細を報告したようだな。おまえさんのくだらない面子のために時間を浪費するべきじゃないだろう」
 結局、考えてもこれが最善の方法であるには違いなく、ポプランはクロジンデともども、親不孝号の客となった。
 既に偽造書類は揃えられていて、指紋や声紋を変えるための専門の医師も乗り込んでいた。ポプランとクロジンデは簡単な手術を受けて、別人になりすました。
「おまえさんはこれからイワン・コーネフを名乗る。まあ他に適当な名前を思いつかなかった。経歴はイワンと同じだ。ただし、こちらのイワン・コーネフは『戦死しなかった』。クロジンデ、君はイワン・コーネフの妻、ハリエットだ。旧同盟市民なんで、いろいろ設定を覚えておく必要がある。書類に目を通しておいてくれ」
 オーディーン宙域を脱する時に、帝国軍による査察が入ったが、書類が揃っていたため、そのままオーディーンを離れることはすんなりと了承された。
「これでいいのかしら。自分たちだけが逃げてきて」
 既に遠い一点となった惑星オーディーンを見ながら、クロジンデが呟いた。それに対してボリス・コーネフが口を挟んだ。
「それがいいかどうかは後々、あんたが決めればいい。とりあえず安全な場所まで送り届ければ俺の仕事は終わりだ。そこから先のことは知ったこっちゃない。だがね、逃げた云々で言えばむしろ逆だと俺は思うね。逃げたのは状況がここまで悪化していたにも関わらず見て見ぬふりをしたオーディーン総督や帝国軍だ。あんたは逃げなかったから、今こういう状況に置かれているわけだ。逃げた者が逃げなかった者を裁く、そんな決着の仕方が正義だとは俺にはとても思えんね。他人事ながら我が親友ヤン・ウェンリーも同意してくれるだろうよ。そんなのはただ醜悪なだけさ」
「ヤン提督ならそう考えるのかしら」
 クロジンデはポプランにそう尋ねた。
「提督ならば…ああ、まあそうだろうな」
 とポプランは答えた。
「それが自由惑星同盟流の考えなのね。今、私、分かった気がするわ。どうして父が帝国に背を向けてあなたたちと一緒に戦ったのか。その考えが正しいのかどうかは私にはわからない。でも、私みたいな女にとってはその考えはすごく優しい」
 クロジンデの眼にふと涙が宿った。転落の人生を歩みだして以来流す、最初の涙だった。ポプランは、その突然の涙にどうすることもできず、ただ、クロジンデを優しく、強く抱きしめた。
「ごめんなさい、泣いたりして。今、私初めて父のために泣ける気がするわ。父がもうこの世界にいないということがたまらなく寂しい」
「クロジンデ。自慢でも懺悔でもないが、俺は数えきれないほどの女と寝た。今ここで言うことじゃないかもないかも知れないが。しかしだからと言って、俺は相手のことを何も知らなかったし気にかけていなかった。君が言うとおりだ。俺は子供だった。君が俺をひとりの男にしてくれた。これから先の人生は楽なものではないかもしれない。でもきっと俺は君と一緒ならしあわせになれると思う。君のこれからの人生、俺にくれないか」
 ポプランとクロジンデは唇を重ねた。
「ポプラン、私は欲張りなのよ。あなたの人生を私が貰うのよ」
 そして二人は再び唇を重ねた。それが互いに了承の印であった。
 コーネフはそれを見てわざとらしい咳ばらいをした。
「あー、お楽しみのところなんだが、行き先を決めてもらいたいんだがね。どこへでもお連れするよ。ハイネセンでもイゼルローンでも」
「それならあそこへ行って欲しい」
 ポプランは行き先を告げた。
「あんなところへ?」
「再び歩みだすにはふさわしい場所だろう?それでいいね、コーネフ夫人?」
 ポプランはクロジンデに聞いた。
「どこへなりとも。あなたがいる場所が私が帰る場所なんだから、イワン・コーネフ」
 クロジンデ、ここから先はハリエット・コーネフとして知られることになるその女性は言った。
 以後、銀河帝国のいかなる記録からも、オリビエ・ポプランとクロジンデ・フォン・メルカッツの足跡は消失した。