Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(2)

 あのような事件があっても、ノイエラントが騒然としても、なおもイゼルローンにおいては静寂は無縁であった。帝国軍がデモに対して、慎重にそのプレッシャーを受け流す構えを見せたことから、デモの多くは結局、デモにとどまった。既に旧帝国領からの移住者も多く、学生や勤め人たちはデモを終えると学校や職場に戻り、休みの日には再びデモに参加した。
 デモの圧力を軽視すべきではなかったが、結局は秩序あるデモンストレーションに終わった。むろん、そうなったのは帝国軍が力を受け流したからで、まともに正面からぶつかっていれば流血事件のひとつやふたつは起きていたはずで、そうなれば事態はエスカレートしかねかった。
 帝国軍相手に対するテロも発生したが、その被害が比較的軽微であったのは旧同盟市民がテロを支持していないからであった。何者がテロを企んだとしても民衆からの支持がなければ民衆の中にテロリストは姿を隠すことは出来ない。ブラウンがテロの標的としてワーレンを選んだのは失敗であった。
 帝国軍人ではあってもワーレンはノイエラント治安維持の職責を果たした男であり、善政を敷いた。気さくな人柄は旧同盟市民にも親しまれ、立場の違いを越えて、旧同盟市民との間には友情のような感情が形成されていた。これが殺害されていたのがレンネンカンプか、あるいはその息子であったならば旧同盟市民は喝采したであろう。ワーレン当人を狙うならばともかく、その息子を殺害したことによって、世論は一気にワーレンに対して同情的になった。ワーレンはわりあい公の場面でも、息子を溺愛していることを隠そうとしなかったから、子を持つ親ならば誰でも、あれほど溺愛していた一人息子をこのような形で殺されて、ワーレンがどれほどの痛みを味わっているかを思えば他人事とは思えず、地球教のテロによって同盟市民希望の星であったヤン・ウェンリーが殺害された例を思い浮かべても、いかなる大義を掲げようがテロは許されないというはっきりとした意思が市民レベルで醸造されたのであった。
 ワーレンが傷を受けたのも知らぬ風に気丈に振る舞えば、むろんその気丈さは賞賛されたであろうが、同情はやがて帝国軍人という一枚看板を掲げたワーレンに対しては薄らいでいったであろう。しかし期せずして、ワーレンの態度は無様であった。
 今回のテロではワーレン自身被害者であり、遺族であったが、そもそもがワーレンを狙った犯行であるのは明らかであったので、巻き添えを食った他の犠牲者や遺族に対しては、道義的な責任があった。
 ワーレンは被害者や遺族を見舞う中で、帝国元帥として威厳を保つことが出来ずに、彼らと肩を組んで共に泣き崩れ、再び立ち上がることもかなわぬほどに、うつぶせた。威令を保つべき帝国元帥としては醜態であった。その醜態がメディアを通して全銀河系に流れたのである。しかしその醜態は人間としては真実の姿を映し出していた。
 人々は立場の違いを越えて、その真実の姿に胸を打たれたのであった。
 ノイエラントのデモが、二三の例外を除いて、理性を越えて暴徒化せずに済み、更なるテロが抑えられたのは、因果関係を定量化してはっきりと示すことは出来ないにしても、ワーレンが示した一個の人間としての誠実さが再びこのような悲劇を繰り返してはならないという固い誓いを人々の胸に刻んだのは疑うべくもなかった。
 他の元帥たちは歯を食いしばることによって、ワーレンは歯を食いしばらないことによって、共にローエングラム王朝を守ったのであった。

 執務室に案内されたユリアンとカリンは、ソファに腰かけて、窓の外で宇宙船が行きかうのを眺めているワーレンを見た。ふたりの入室に気づくと、ワーレンはゆっくりと立ち上がり、
「遠い道のりを経て、よく来てくれた」
 と言って、新たにつけられた右腕の義手を握手として差し出した。
 数秒、ユリアンはワーレンを見つめていたが、ふいに涙をこぼして、そのままワーレンの肩を強く抱いた。ユリアンの涙は、ワーレンの肩にしずくとなって落ち、濡らした。
「そうか。そうか、卿は俺のために泣いてくれるのだな。俺と俺の倅のために。ありがとう。ありがとう」
 ワーレンも強く、ユリアンを抱きしめて、大粒の涙を流した。カリンはふたりの肩に手を置き、やはり涙をぼろぼろと流した。この涙を届けるために、ユリアンはひと月の旅程を経て、イゼルローンに赴いたのであった。
 半時ほどたって、ようやく落ち着いた後、ソファに腰かけて、ユリアンとカリンに対面したワーレンは、心からの感謝の言葉を言った。
「今このような時、卿もフェザーンを離れている余裕は無かっただろう。皇太后陛下も卿をとどめおきたかったに違いない。それでも卿は俺のためにここに来てくれた。皇太后陛下もそれを許された。ミンツ夫人にまで長旅を強いてしまった。卿らの友情、この恩義を生涯忘れはしない」
「私も親しい人、家族をテロで失いましたから。ワーレン提督のお悲しみはかけら程度であっても理解できるつもりです。今はうわべだけを見て、思ったよりも元気そうでよかったなどとは言わないでおきましょう。思った通りに、そうお元気ではいらっしゃらないというのが正直な感想です。けれども、人であるならばそれはあたりまえのことです。まして、子を失くされたのですから。私と妻にはまだ子はいませんが、いつも想像しています。その想像の子でさえ、もしこのような形で失われたならと考えたら胸が張り裂けそうになるのですから、提督が打ちひしがれても当然です。そういう時に支えるために、私のような友がいるのですから」
「ありがとう。このようなことが起きてしまって、正直、まだ昨日のことのように悲しみは生々しい。だが、少しづつではあっても立ち直りつつあるのだ。自らも子を失くしたテロの犠牲者が気丈にも私を慰めてくれた。銀河の端から波濤をものともせずに卿たちのようにただ慰めを与えるためだけに訪れてくれた者もいる。悲しみの中にあってこそ、私は人間がいかに気高いのかを知った。そのことによって、生命を与えられし者として、悲しみを希望に変えつつある。今日は卿たちが来てくれた。そのことがすごく嬉しい。喜びを感じたのは久しぶりだ」
「そうおっしゃっていただけて、来た甲斐があったというものです」
「私はもう、大丈夫だ。悲しみは決して薄れることは無いだろうが、悲しみを悲しみとして抱えて生きてゆくことは出来る。トーマスもそれを望んでいるだろう。そういえば、ヘル・ミンツ、卿とヤン夫人に謝罪しなければならないことがひとつある」
「それがなんであれ、許しますよ」
「まあ、一応、聞いてやってくれ、卿の口添えでヤン夫人からせっかくいただいたヤン提督の遺品の万年筆だが、倅の遺体と共に焼いてしまった。あの事件の時も倅はそれを持っていたんだが、事件後に確認したが万年筆自体には破損は無かった。しかしあれは倅がとても大事にしていたものなので、本当は歴史的な遺物として、後世に残すべきものなのだが、親としてわがままを言って、一緒に焼いてしまった。ヤン提督の遺族としても、歴史家としても卿は俺を批判する資格がある」
「そのどちらででも批判はしませんよ。差し上げたものをどうなされようがご自由ですし、それに差し上げたものをこう言ってはなんですがあれ自体には大した価値は無いものです。市販の大量生産されている万年筆ですから」
「いやいや、ヤン提督ご愛用というところに価値があるのだ」
「そんな身の回りの日常品を聖遺物のように扱われることにヤン提督ならばこそばゆく感じられるでしょうね。ヤン提督がお使いになっていた日用品なら、私もフレデリカさんもまだまだごまんと持っておりますから、ご心配には及びません」
「そうか、そう言ってもらえれば気持ちも楽になるが」
「さて、それではそろそろおいとましようか、カリン」
 ユリアンはカリンを促しつつ、立ち上がった。
「何だ?今日はもうホテルに帰るのか?ホテルなんて予約を取り消して俺の家に何か月でも泊まれよ」
「いいえ、ホテルは予約していません。用は済みましたし、この足でフェザーンに戻るんです」
「なんだと?それはあんまりすぎないか?イゼルローンは卿らにとってもなじみがある場所、むかしなじみの場所を数日かけて歩いてもいいじゃないか」
「そういうわけにはいきません。提督がおっしゃったように本来なら私は今はフェザーンを離れられる状況じゃないんです。一日でも早く戻らないと、皇太后陛下がお待ちなさっておられるでしょう」
「ふむ。それでも卿は来てくれたのだな。二ヶ月も時間を無駄にすることが分かっていながら、俺のために」
「提督と私の友情のためにです。私自身、提督のお顔を見て安心したかったのです」
「分かった。あいにくうちの艦隊は出払っているが残っている艦船のうち、一番速いものを用意しよう。ビッテンフェルトの旗艦よりも速いぞ。なにしろ最短で20日弱でフェザーンに到着する。イゼルローンにしか配備されていない最新鋭の超光速巡航艦だ。それを使うがいい。ただ用意が整うまで6時間程度はかかる。それまで思い出の地を回ってはどうかな?」
「それではその時間を利用して行っておきたい場所があります。場所を教えていただけますか?」
 結局、ワーレンはユリアンとカリンに付いて行った。目的地がワーレンの息子、トーマスの墓参だったからである。
 イゼルローンは人工天体なので土がない。土葬が出来ないため、死者は基本的に火葬される。いずれ土葬にすべく遺体が保存されていたヤンは特殊な例外で、ヤン艦隊の戦死者たち、パトリチェフも、メルカッツも、みな火葬されていた。居住区の外れに納骨堂があり、目的の場所につくまでに、ユリアンたちはパトリチェフ、ブルームハルト、メルカッツ、フィッシャー、それにロムスキー医師の遺骨を見舞った。その近くにあるひとつの区画を指して、ユリアンはワーレンに言った。
「義父です」
 墓碑銘には「ワルター・フォン・シェーンコップ、恋に生き、戦いに死す。美女たちの涙の海で溺死」と刻まれてあった。ワーレンはなんだこれはという表情をカリンに向けた。
「えっ、えーっと、これは違うんです。ポプラン中佐が父の墓碑銘はこうでなくちゃいけないと言って。私はもうちょっと普通なのがよかったんですけど、ローゼンリッターの人たちがこれがいいと言って。そう言われるとそれもそうかななんて思ったりしたりして。もうやだ、だから普通のがいいって言ったのに!」
「カリン、ワーレン提督は何もおっしゃっていないよ」
「だって、変だと思われたでしょう?実際、変だし」
「いやいやそんなことはない、ミンツ夫人。かの高名なシェーンコップ中将らしいじゃないか。ロイエンタール元帥の墓碑銘はどうだったかな」
「あっ、あのっ」
「うん?」
「厚かましいんですけど、ワーレン提督にお願いが一つあるんです」
「なにかな?」
「ワーレン提督はトーマスさんのお墓参りにけっこういらっしゃいますよね。その時、ついでと言ってはなんなんですけど、お余りでいいんです、余った花の一本でも、この男の墓に備えてくださったら、すごく嬉しいんですけど、やっぱりご面倒でしょうか」
「いや、そんなことはない。今まで気づかなくて申し訳なかった。友人として気づいておくべきだったな。卿らはフェザーンにいてそうそう頻繁にこちらには来られないのだし、卿らの代理として、シェーンコップ中将のみならず、ヤン艦隊の面々、メルカッツ提督の墓前にも花をそなえよう。約束する」
「そうしてくださると私もありがたく思います」
 ユリアンはワーレンに頭を下げた。カリンもあわててそれに倣った。
 トーマス・ワーレンの墓前には花がうずたかく供えられていた。まだ事件の記憶が新しく、ワーレン家以外の一般市民も、花を供えてくれていた。
「トーマス、おまえが会いたがっていたユリアン・ミンツが会いに来てくれたよ」
「そうなんですか?」
「あいつはまったく、帝国元帥の息子のくせに同盟びいきというか、ヤン艦隊が大好きでね。卿は年齢も近いから親近感を抱いていたようだ。若くして全軍を率いた卿に、自分の夢のようなものを重ねていたのだろう」
 ユリアンはひざまついて手を合わせた。宗教心のようなものはもちあわせていなかったが、死者を前にして祈る時、自然と神のようなものを思った。死者の魂が安らかになれるようにと願うその心は、神が死者のためのものではなく、死者の面影を胸に抱いて生きてゆかなければならない者たちのものであることを物語っていた。