Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(3)

 影から他人を攻撃することは出来ない。隠れているつもりでも、攻撃を続ければやがてはその出処は明らかになる。
 ノイエラントの騒乱は、その陰謀の出処をケスラー憲兵総監に指し示すことになった。
「そうか。警察か。警察は軍とは違ってほとんどが現地採用、必然的に旧同盟警察の人的ネットワークが維持されている。旧同盟警察が絡んでいる組織ならば、旧同盟軍のユリアン・ミンツらが知らなくても道理。軍と警察はどこでも不仲であるあらな」
 後世に「新帝国暦4年の騒乱」と一括して表現されることになったこの事態では、政治学者や社会学者たちによる数多くの一般市民への聞き取り調査が残されている。
「それは民主主義は欲しいし、あって当然だと思うわ。でもだからと言って、今の枠組みを壊すのはね。ローエングラム王朝はまずまずの統治をしていると思うわ。暮らし向きは良くなっているし、社会には明らかに活気が出てきている。自由惑星同盟ね、もちろん懐かしいけれど、過去の存在よね。だって、いろいろ問題があったから滅びたわけで、そう簡単にむかしはよかったとは言えないと思うの。もちろん、帝国ももう少し市民の権利とかそういうのを重視して欲しいと思うから、デモにも参加しているけれど、同盟復活を望むっていうのは、まあ、方便よね。実際にはみんな、今の大枠は壊したくないんじゃない?」
 シヴァ星系住民のこの女性の声は、ノイエラント住民の平均的な意見を集約していた。政治的にはもう少しリベラルになり、市民の政治的参加を認めて欲しいとは思っていたが、だからと言って現在の政治体制の根幹を揺るがすのは御免だと思っていた。無論、軍や警察がデモを流血で以て鎮圧するような動きがあれば事態はエスカレートして、デモが反乱に、反乱が独立運動に発展する余地はあった。
 軍は一歩引いて、鎮圧や規制を警察に任せる姿勢を示していたが、4月の末日までには旧同盟警察の動きをケスラーが掌握したことから、積極関与に転じた。旧同盟警察がデモを規制するふりをして、実際には火付け役になっているのは疑うべくもなかったが、それはまだしも致命的な問題ではなかった。懸念すべきは、帝国への反感を高めるために敢えて民衆に対して物理的暴力を加えるのではないかということだった。そうなる前に、ケスラーは主導権を軍が握り返し、警察が関与できる余地を可能な限り封じ込めたのであった。
 それと同時に、エルスハイマーに根回しをしたうえで、ヒルダとミッターマイヤーに進言、内務省が主導して警察、公安の一斉パージを開始した。その過程で、旧同盟警察の秘密組織の存在が明らかになり、彼らが今回の事態の主犯であることも明らかになった。

 皇太后執務室で、皇太后、国務尚書、内務尚書、軍務尚書、帝国軍総司令官、憲兵総監が集まり、皇太后政治学担当補佐官であるリヒャルト・ホーフスタッターが簡単な講義を行っていた。
「まず社会の構成員を、収入を不労所得を除外して勤労によって得ているかどうか、収入における税負担の割合で、社会当事者度でもって個々人を分類します。更にそれに、収入の多寡と、実体経済との関連性によって補正値を掛け合わせます。たとえば、公務員は勤労によってその所得を得ていますが、実体経済の影響を受けにくいので、社会当事者度は低くなります。
 そしてあらゆる社会的な問題を、貨幣によって置き換えて妥協可能かどうかという点で、妥協可能性の程度で数値をつけます。たとえば、ある産品からどの程度の税をとるかどうかは、単純に税率の問題であって価値判断が入り込む余地はほとんどありません。話し合いで決着をつけやすい問題です。対して、人工中絶を認めるか否かというような問題では、個々人の倫理観や宗教観とリンクしており、妥協可能性がほとんどありません。
 社会当事者度の高低が、問題の妥協可能性にどう関係してくるかをグラフ化しますと、社会当事者度の低い者、金利生活者、年金生活者、学生や専業主婦などの被扶養者、そして公務員や教員などは、妥協可能性が低い問題をより重視し、固執する傾向があります。簡単に申し上げれば『生活の糧を稼ぐことから距離がある者ほど、食うための問題には関心が薄く、よりイデオロギー的な傾向を強めやすい』ということです。
 従って社会当事者度が低い者の割合が増えれば増えるほど、財政的な負担が生じるのみならず、社会全体から妥協可能性が失われてゆくことになります。食うために働いている者は、職場の上司が嫌な奴でも、妥協できる範囲内で妥協しようとします。食うために働く必要がない者は、妥協する必要がなく他罰的な傾向を強めます。
 警察官が公務員であるがゆえに、今回、陰謀をもてあそぶ主体になったということは、非常にありそうなことです」
「そういう意味では小さな政府路線を採る帝国の基本政策は間違ってはいないということだな」
 エルスハイマー内務尚書が問うた。単に財政的な負担を減らすというのみならず、社会の妥協可能性を強めることこそがローエングラム王朝銀河帝国の生存にとっては不可欠であったからである。
「そうとも言い切れません。失業者についての調査では、失業の期間が長いほど、あるいは失業率が高く社会当事者度を強める可能性が低いほど、やはり妥協可能性が低くなってゆく傾向があります。絶望的な状況が強まれば民意は過激化するということです。失うものがない人間は、おそれを知らなくなりますから。
 社会当事者度が低い者たちは、実体経済や勤労者に依存しています。その増大は、財政を悪化させる要因となり、なおかつ、妥協可能性を弱めるとなれば帝国にとっては有害でしかない存在に思えるかも知れません。しかし、一人の人間が、ライフサイクルのときどきによって学生になり、勤労者になり、年金生活者になるように、社会当事者性が低い者たちを敵視すればそれは将来の勤労者やそれがもたらす実体経済を破損することになりかねません。
 重要なのは、例えば公務員などにも信賞必罰を強化したり、実体経済に応じて俸給を増減させるなど、社会当事者性を強めること、失業者に職業訓練を施すなどをして、勤労者に戻して、社会全体の社会当事者性を強化することです。
 それに、社会当事者性が低い者たち、たとえば学生などが過去の人類社会において改革の原動力となってきたことなども踏まえれば、人類社会を劇的に進化させるパラダイムの変換は、そうした「有閑階級」の余技によってなされてきたと言っていいでしょう。健全な人類社会の発展のためには、妥協することも大事なのと同じく、時と場合によっては妥協しないことも大事なのです。
 社会当事者性の高低で誰かを断罪するのではなく、その配分が社会全体で適切な水準を維持するように政策をうってゆくことが重要です」
 ホーフスタッターの講義は帝国首脳部にひとつの方向性を与えた。

 警察のパージを開始して以来、ノイエラントの混乱は急速に終息した。デモはいまだに続いていたが、通常の市民集会の規模に落ち着き、軍は通常任務に戻り、行政機構は活動を再開して、遅滞を取り戻しつつあった。
 警察官のうち100万人弱が解雇され、そのうち半分弱に内乱誘発罪が適用されて検挙された。彼らは留置惑星として用いられていたいくつかの惑星に分かれて送致され、そこで帝国憲兵によって取り調べを受けた。皇帝の勅許、もしくは内閣の決定があれば非軍人の公務員についても、内乱誘発罪については軍法による処断が可能だという規定に沿って、彼らの身柄は内務省、司法省から離れて、軍務省が管理することになった。
 新帝国暦4年5月5日に、帝国軍総司令官ミッターマイヤー元帥は、ノイエラントに展開していた各艦隊のうち、宇宙艦隊司令長官ビッテンフェルト元帥が率いる黒色槍騎兵艦隊についてドライ・グロスアドミラルスブルク要塞への帰陣を命じた。次いで、ジンツァー艦隊に対してウルヴァシーに向けて撤収するよう命じた。
 ローエングラム王朝成立後の最大の危機を、皇太后ヒルダとミッターマイヤー首席元帥はかろうじて乗り越えつつあった。