Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(7)

 時は再び歩みを進める。
 新帝国暦4年2月13日、ハイネセンポリスの首相公邸で、ささやかな晩餐会が開かれていた。主賓は総督のホアン・ルイ、ヤン・ウェンリー党からは幹事長のキャゼルヌと幹事長代理のムライ、そしてバグダッシュ官房長官が集っていた。
ユリアンから連絡があったのですが、オーディーンの騒乱の首謀者の中にどうやらポプラン中佐がいらっしゃるようなのです」
 夜は小食を心がけ、早々に自分の皿を下げさせたフレデリカは、食後のドライマティーニに軽く唇をつけて、そう言った。
「あいつのやりそうなことじゃないか。お祭り騒ぎには必ず首を突っ込む」
 一瞬驚いたキャゼルヌであったが、改めてポプランの人となりを考えれば驚くには値しないと判断した。
「ヤン夫人、ユリアン・ミンツはどうやってその情報を得たのかね?」
「ケスラー憲兵総監から聞かされたのだと言っていました」
 その答えを得て、ホアン・ルイは頷いた。
「敵さんはさっそく牽制にかかってきているようだな。その気になればこれをネタに弾圧しても良いのだと」
「ケスラー元帥の人となりから考えて、それは少々、穿った見方なのでは?」
「ムライ中将、おまえさんは、生真面目すぎるのが珠に傷だな。ケスラー元帥は紳士然とはしているが所詮は専制政治の番人、裏では拷問もやってのける男だろうて。アルターラントが騒然としている今、連中としては我々におかしなことをされては困るのさ。ポプランというその男、やんちゃも可愛らしいのは30歳まで、その気になればバーラトを弾圧できる口実をまんまと帝国に呉れてやったのさ。官房長官、おまえさんもそう思うだろう?」
 話を振られてバグダッシュは頷いた。
「まあ、具体的にどうこう言う話ではなく、また実際、ポプラン中佐が関与しているかどうかはともかくとして、この際、ケスラー元帥が牽制にかかってきたのは確かでしょうね。さすがに公安を一手に引き受けているだけのことはある嗅覚でしょう」
「そこでだ、改めて首相に伺っておきたい。わが政府はこのまま帝国と友好路線を維持してゆくつもりなのかね」
「そうおっしゃいますと、総督閣下は、この際、手を切れとでもおっしゃるのでしょうか」
 フレデリカは微笑を浮かべてホアン・ルイを見つめた。自分の意見を言う前に相手の見解を引き出そうとしている、なかなか堂に入った政治家ぶりというべきだろう。
「あんたは、グリーンヒルの娘で、ヤン・ウェンリーの妻だが、あのふたりは本質的に政治家向きではなかったな。あんたはそれとは違うようだ」
「私も今は政治家ですから、お褒めいただいたと受け取っておきましょう。午前中に総督閣下はソーンダイク氏と面談なさったようですね。彼から何か吹き込まれたのでしょうか?」
「午前中にはソーンダイクと会い、午後にはおまえさんと会っている。総督としてはきちんとバランスがとれていると褒められるべきだろうね。ソーンダイクは例によっての主戦論さ。ちょうどいい機会だからこの際、バーラトが先頭に立って、自由惑星同盟の復活を計るべきであると、滔々と話していったよ」
「不思議なものですね。ジェシカ・エドワーズ女史は主戦論を強く嫌っておられました。その後継者ともいうべきソーンダイク氏が主戦論を言い、軍事クーデターを引き起こした父の、その娘である私が主戦論を排する立場に立つとは、なかなか運命とは予測しかねるものですね」
「ソーンダイクは野党だから気軽に言っているのさ。実際に政権をとれば臆するはずさ。むろん、今現在、我々には一個艦隊もない。これで帝国からの独立など、お話にならないが、先の話としてはだ、いずれ独立を目指すつもりはあるのかね」
「閣下、自由惑星同盟に生まれた者で、再び同盟の旗を仰ぎ見たいと思わない者がどこにいましょうか。希望を言ってそれが叶うというなら幾らでも言いましょう。しかしお忘れなく、私たちは現実にバーラト星系の人々の生命に責任を負っているのです。冒険はできません」
「だが、アルターラントの騒乱が長引けば、賽の目は何が出るかは分からんさ。長引くと思うかね?」
「長引くでしょうね。けれども、とりあえず一応の鎮圧を行った時に、皇太后が決断をすれば、私たちは全員、新しい時代に進むかもしれません。そこではもう、帝国、同盟、アルターラント、ノイエラントの区別自体が意味を失くすかも知れません」
「首相には何か考えがあるようだな」
「それほど、明確な輪郭が今現在あるというのではないのです。けれども、いずれそうするしかないだろうという見通しはあります。銀河を再び戦争の時代に戻らせるのではなく、なおかつ騒乱の火種を乗り越えるには、道はそうたくさんあるわけではありません。そしてそのために、ユリアンフェザーンにいるのでしょうから。ヤン・ウェンリーの遺志と共に」
 フレデリカが何を言おうとしているのか、ホアン・ルイは漠然と分かったような気はしたが、明確にと問われればそれはまだ霧の中にあった。その霧の中で、フレデリカや自分にどのような役割が与えられているのかを考えるために、ホアン・ルイは口を閉じた。

 ユリアン・ミンツは一学生であった。ただ、誰も彼をそうは見なかったし、そう扱いもしなかった。大学に赴いて、多くの教授たちから話を聞き、時には請われてヤン・ウェンリーのことを話すこともあったが、学生たちは彼を敬して遠ざけた。皇太后や元帥たちを知己に持つ青年、しかも妻帯者と、青春の愚行を共にするわけにはいかなかったからである。
 ユリアンの方もそうしたことには興味がなかったから、放っておかれるのは勉強に集中できて都合がよかった。ユリアンに限らず、この時代の人々の歴史知識は遡っても地球統一政府までであったが、歴史を専門的に学ぶことによって、それ以前の「古代」にまでユリアンの思考と知見が伸びたのは当人にとっては大きな収穫であった。
 ユリアンがとりわけ着目したのがモンゴル帝国大航海時代、そして21世紀のグローバリズムの時代であった。それらは「異なる文明が遭遇し、融合した時、何が起こるか」の実例であった。
 地球統一政府以後、アーレ・ハイネセンに導かれた者たちが自由惑星同盟を建国するまで、人類社会は融合し、統一していた。人々が文明の衝突に思いも及ばなくなっているとしても無理からぬことであった。しかし同盟が建国以後、人類社会は再び分裂し、その状態が数百年に渡って固定化した。帝国も同盟もそれぞれに内在する因果律によって統治され、運営された。皇帝ラインハルトによって再び、人類社会が融合を開始した時、そこには必ずや文明の衝突が生じるはずであった。
 帝国軍首脳のうち、フェザーンにおいてユリアンが特に親しく交際しているのは皇太后ミュラーであった。メックリンガー、ヴェストパーレ男爵夫人、ミッターマイヤー元帥らとも数度に渡って会食する機会を得たが、皇太后とほど親密で深い話をすることはなかった。
「ヘル・ミンツはフェルゼン伯爵をご存知かな」
 皇太后のもとへ赴く際に、たまたま内務尚書のエルスハイマーと廊下ですれ違った際、エルスハイマーがそういきなり言ったことがある。
「18世紀末、19世紀初頭のスウェーデンの外交官ですね」
 素知らぬ顔でユリアンはそう答えた。エルスハイマーはふっと笑って、
「ご存知ならば結構だ」
 と言ってそのまま歩み去った。その人名が示唆するところは明白であり、フェルゼンはフランス王妃との内通を疑われ、いずれ革命へと至る王家の権威の失墜の原因を作った。皇太后ユリアン・ミンツはいまだ、若い男女であり、一方が未亡人で一方が妻帯者とは言え、親密すぎる関係が公然化すれば、それは王朝にとっては決して好ましくない風評をもたらすであろう。
 エルスハイマーは、実態はともあれ、両者が親密になりすぎることが傍から見てどう見えるのか、警告を放ったのである。
 しかしヒルダのユリアンに対する態度はますます親密さを増していた。見るものが見れば、あるいはそこには依存があったと評するかも知れなかった。
 統治者は孤独なものであり、ましてや人類社会全体に君臨する立場となればその孤独は壮絶なものがあった。弱音も迷いも愚痴も臣下には決して漏らしてはならない。
 しかし、ユリアン・ミンツはある意味、ヒルダの臣下ではなかった。彼はかつて敵対した陣営で、指導者として多くの将兵を率いた身であり、自らの責任で幾つもの決断をなした男であった。ヒルダからすれば唯一、同業者として同一平面上に立っていられる人物であった。
 銀河に君臨する女性にしては狭すぎる私室の書斎に通されて、震えながら泣いているヒルダの姿を、ユリアンは見た。
「ああ、ヘル・ミンツ。私は統治に失敗してしまった。どうすればいいの?」
 そのような姿は誰にも、侍女にさえ見せなかったヒルダであったが、ユリアンにはそのままを見せた。
「さあ、涙を拭いて。あなたはよくやっていらっしゃいます。あなた以外には他の誰にも、カイザー・ラインハルトにも出来ない統治です。さあ、床に座り込んでいないで、そちらのソファにかけましょう」
「ごめんなさい、あなたにまでこんなみっともない姿を見せてしまって。さぞかし失望なさったでしょう」
「大丈夫、人間ならば誰しも、あなたは優秀な女性ですが、それでも人間であるには違いないんですからね、うまくいかない時もあれば、そのせいで打ちひしがれることはあるものです。少しだけ、愚痴を吐き出せばまた英邁なる銀河の統治者にお戻りになることはあなたご自身、お分かりのはずです」
「上手くやっていたつもりなの、実際、統計はすべて順調でしたわ。なのにどうしてこんなことになってしまったのかしら」
「それはカイザー・ラインハルトがその卓越した天才によって銀河を統一してしまったからですよ」
 ユリアンは歴史の事例を引いて、文明と文明が衝突する時に、何が起こってきたのか、何が起こるのかを逐一説明した。軍事的成功によって、帝国が同盟を征服することは可能であったとしても、本質的にアリストクラシー(縁故社会)である帝国が、本質的にメリットクラシー(競争社会)である同盟に、民生部門や技術革新において勝てるはずがないこと、その結果、軍事的な流れとは逆に、銀河の統一は経済と文化においては、同盟による帝国の征服という形を取らざるを得ないこと、そのしわよせは社会の最下層部に押し付けられることを、幾つもの実例と歴史の事例を引いて、ユリアンヒルダに説明した。
「皇帝ラインハルトは死の直前まで、征服にあけくれていて、この歴史の必然に直面する前にお亡くなりになりました。その結果、この試練はまるごとあなたのために残されたのです」
 ユリアンの説明は、聡明なヒルダなればこそ、砂漠が水を得たように、語られるやいなやすぐに吸収された。その両眼からは涙が消え、再び英知の光が輝き始めた。
「おっしゃるとおりです、ヘル・ミンツ。どうして今までそのことに思い至らなかったのかしら。私はまったくもって愚かな君主というしかありませんね」
「分かっていればもっと早く私も申し上げていたのですが、私自身、この考えに至ったのは最近のことなんです。人類社会が分断され、再び融合されるなんてことは1500年以上、絶えて無かったことですから、思い寄らないでも致し方ないことです」
「私はどうすればいいと思われますか。率直にお答えください」
「それは皇帝ラインハルトが人類にもたらした統一をどうなさりたいかにかかっているかと思います。私が思うに、もはや過去に戻ることはできないでしょうし、できるとしてもそれは人類社会の退嬰をもたらし、当座はそれでよくても、停滞をもたらして多くの禍根を残すかと思います。むろん、今のこの現状は、当座の生みの苦しみと軽く扱えるほど楽観できるものではないでしょう。癌を治すために四肢を切断しては、何のための医療か分からないのと同じことです。将来の人類社会の発展のために、今の人類社会が衰亡しては元も子もありません。ですが、だからと言って皇帝ラインハルトが生涯をかけてもたらした人類社会の統一はそうそう簡単に捨ててしまえるほど軽いものではないはずです」
「ありがとうございます。霧はまだ稜線を覆っていますが、足元は見えるようになったようです。まだです。まだ、私は打ちひしがれてはなりません。やれること、やらなければならないことがまだあるはずですから」
 そう言って立ち上がった姿は既に銀河の支配者に戻っていた。