Struggles of the Empire 第8章(終章) 両雄の勅令(3)

 新帝国暦4年6月に入って、ミッターマイヤー銀河帝国軍総司令官は退役する意向を皇太后と国務尚書に告げた。むろん、両名はすぐに慰留したが、ミッターマイヤーの意思は固かった。更に驚かせたのは、退役と同時に元帥杖を返上し、上級大将の階級に戻る意向を明らかにしたことであった。
「単に、私に仕えるのがお厭になったというわけではないようですね。どういうご存念あってのことか、ご説明いただけますか」
 ヒルダに対して、ミッターマイヤーは存念を打ち明けた。
 まず第一に軍組織のこと。自分はまだ壮年であり、それでいながら既に軍のトップに登ってしまった。このまま居座ればこの先、二十年以上、帝国軍上層部では人事的な停滞が発生するであろう。本来、元帥は退役間近になって極官として与えられるもので、二十代や三十代で叙された最近の状況が異常であったこと。自分が退任することで、軍組織の健全化が可能になるだろう、とミッターマイヤーは言った。
 しかし退任はそれが目的ではなく、あくまで要素のひとつに過ぎず、先日の両雄の勅令を踏まえれば、今後は王朝を守るための主戦場は政治に足場を移し、帝国議会がその舞台になるであろう。ならばそこに立たなければならない。旧帝国には政党はこれまでなく、政党を結成し、その支持を拡大させるためのノウハウがない。3年後に、議会制民主主義に移行するならば、王朝を擁護する国民政党がなければならない。ミッターマイヤーはその中核に自分がなろうと言うのだった。これから先、ミッターマイヤーは議会制民主主義の下において政治家として王朝を守り抜く決意を固めていた。
 司法省の憲法草案に目を通したミッターマイヤーは、現役の軍人は行政官・立法官・司法官のいずれも兼務できないことを知った。これは政治学的には常識であったから、ミッターマイヤーはそれに異は唱えなかったが、問題は元帥と言う地位であった。元帥に退役なしと言う。むろん、一時的な措置として退任する例はあったが、元帥はいつでも現役復帰できる特権があり、その特権がある限り、法的には退役状態にはなり得ないのであった。ミッターマイヤーが帝国議会において議席を占めるためには、元帥杖を返上する必要があった。
 帝国議会は二院制になる予定であり、各選挙区から議員を選出する代議院と、構成員を専門家集団や軍人、貴族、官僚などから皇帝(あるいは摂政)が勅任する元老院から成っていた。軍人は元老院議員には退任せずとも勅任を受ければなれたが、元老院には法案のチェック機能しかなく、政治を主導するのはあくまで代議院であった。代議院議員になるためには、ミッターマイヤーは元帥を辞さなければならなかった。
 この3年の間に、ミッターマイヤーは保守党を結成し、代議院において過半数を得られる政党に成長させるつもりであった。
 この構想に対して閣僚たちのうち、エルスハイマー、ブルックドルフ、マインホフらは賛成し、保守党の結党メンバーとなったが、リヒターとブラッケは、自分たちの立場はむしろヤン・ウェンリー党に近いと言って、彼らは現役閣僚のまま、ヤン・ウェンリー党に入党した。
 メックリンガー、ワーレン、ケスラーもミッターマイヤーに賛同し、彼らは現時点では退役しなかったが、3年後には、ミッターマイヤーと同様に退役したうえで元帥杖を返上し、保守党の政治家として第二の人生を送る意思を皇太后に伝えた。
 メックリンガーは空席となった統帥本部総長に請われたが、オーディーンの状況未だ安定ならずと言って、現役中はアルターラント方面軍司令官として職務を全うする意向を示した。ワーレンもまた、この3年のうちにイゼルローン総督としてやるべきことはやっておきたいと述べ、イゼルローン総督として現役を終える意思を示した。ケスラーも退役まで憲兵総監にとどまることになったが、ビッテンフェルトは生涯一軍人として、残留する決意をミッターマイヤーらに告げた。
 ミッターマイヤーは6月中に実際に退役したが、各元帥の意向を前提にして、帝国軍上層部の大幅な入れ替えが行われた。ミッターマイヤーの後継として、ビッテンフェルトが首席元帥に移動し、帝国軍総司令官となった。人々はこの人事に驚き、ミッターマイヤーの後継となるなら、メックリンガーやワーレンの方が適任だろうと噂されたが、実際には、現役元帥はビッテンフェルトただひとりとなる予定であり、ビッテンフェルトは軍の実務から離れて、皇帝ラインハルト旗下の諸提督のうちの遺老として、帝国軍の栄光を象徴する存在となるのであった。
 そのビッテンフェルトの下にあって実務を補佐する者として、軍務尚書にはこれまでどおり、フェルナーがとどまり、統帥本部総長にはオルラウが、宇宙艦隊司令長官にはバイエルラインがあてられた。彼ら三長官に元帥杖を授与すべきかどうか、皇太后の諮問があり、ミッターマイヤーを含む現役の元帥たちは討議したが、今後は元帥杖はよほどのことがない限り、授与しない方針が決せられた。バイエルラインらもまだ若く、人事の流動性を強めるために適当な時期に退役しておそらくは保守党に合流して貰う以上、元帥杖は障壁となりかねないからであった。
 こうした情勢の中、この先、10年、20年に及んで軍に影響力を強め、軍を代表するようになったのが、フェルナーであった。
 閣僚たちは新体制下では議院内閣制によって選出される予定であったが、軍務尚書の後継職となる軍務大臣のみは別であった。軍務大臣は勅任官であり、閣議の決定に従う必要はあっても、首相によって任免されない存在であった。軍務大臣のみは現役の軍人が務め、そしてそれにはフェルナーが長く在任したのであった。これは民主主義体制において、時に政治家たちの政治的野心のために無謀な軍事作戦行動が繰り返されたことをかんがみてなされた措置であり、軍政と軍令を専門家である軍人に委ねるためになされた措置であった。フェルナーは政治的術数に長け、政党政治家たちとも良好な関係を築き、なおかつ軍の中立性を保ったために、統帥本部総長と宇宙艦隊司令長官、それと憲兵総監は随時入れ替わっても、フェルナーは軍務大臣として在任し続けた。
 ミッターマイヤーは後に内閣総理大臣となり3度に渡って組閣し、在任は通算8年を越えたが、フェルナーの軍務大臣としての在任はそれをはるかに上回る22年間に及んだ。フェルナーはミッターマイヤー内閣でも軍務大臣であったが、キャゼルヌ内閣、アッテンボロー内閣、エルスハイマー内閣でも軍務大臣であった。
 フェルナーは退役間際に元帥杖を受けるか否かを皇帝アレクサンデル・ジークフリードに打診されたが、謝絶している。フェルナーでさえ謝絶したことが前例となって、その後、上級大将たちは元帥杖の授与を打診されても謝絶することが慣例になった。従って、元帥杖を授与されてなおかつ返上しなかった元帥としては、ビッテンフェルトとミュラーが最後の例となった。