Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(6)

 アウグスト・ザムエル・ワーレンが目覚めた時、彼は軍病院のベッドの上にいた。体の節々が痛かった。首をあげることもままならず、両腕両足を、確かめるようにしてゆっくりと動かした。左腕の義手は破損しているのか、感覚がない。しかし右腕と右足にも感覚は無かった。
 ワーレンは呻いた。それに気づいた傍らにいたハウフ大佐はかけていた椅子からはねあがるようにして立ち上がり、上官に敬礼をしたが、首も動かせないワーレンにはその姿勢は見えなかった。しかし長年の付き合いゆえか、それがハウフ大佐であると認知したワーレンはしゃわがれた声でまず問うた。
「ハウフか。俺の体はどうなっている?」
「各部、破損が見られますが内臓には異常はありません」
「外面には異常はあるということか」
「はっ。止むを得ざる外科的措置として、閣下の右腕と右足は切断せざるを得ませんでした」
「義手がもう一つと義足が必要になるな。何が起きた?簡単に報告せよ」
「18時59分、閣下がいらした飲食店にて、爆弾テロ事件が発生しました。現場からはプラスチック爆弾の残骸が発見されております。犯人等は不明、現在捜索中です」
「被害状況は?」
「該当建造物の破損、死者45名、負傷者は閣下を含めて62名に及んでいます」
「現在指揮は誰が採っている?」
「非常時規範にのっとり、軍関係の職責についてはライブル大将閣下が指揮権を代行なさっておられます。現場の指揮はビュルメリンク大将閣下がおとりになられています。行政関係の職についてはそれぞれ副総督が職務を代行なさっておられます」
「…倅はどうなった?」
 その問いにハウフは言いよどんだ。ハウフが返答できないことで、ワーレンはすべてを悟った。
「せめて、苦しまずに死ねたのか」
「即死でいらっしゃいました」
「…そうか」
 このような時にも、ワーレンはただ軍人であろうとした。そうでなければならないと思った。しかし無理だった。ワーレンの両眼からはこらえきれずに涙があふれ出し、嗚咽がひしゃげた喉から漏れた。
「…ハウフ大佐、車椅子に乗りたい。手伝ってくれんか」
「いけません、閣下、お命には別条はないとはいえ、絶対安静には違いはありません。どうぞご無理はなされませぬように」
「済まない、ただ今だけはわがままを言わせてくれ。帝国元帥としては無謀な真似は慎むべきなのは重々承知している。しかし父親としては、亡きがらとは言え倅に一目だけでも会いたいのだ。それを済ませたらもう無理は言わない。今だけは、ただあの子の父親でいさせてくれんか」
「…閣下。実を申し上げればご子息のご遺体の損傷は激しく、ご遺体というようなひとかたまりでは発見はされませんでした。かたまりとしては胸部が残されていたのみで、それ以外は肉片となり飛び散り、原型をとどめておりません。現場の検証官が言うには、爆発の瞬間、ご子息は身を挺して閣下をお守りしようとなさったらしいとのこと、重症ではありますが閣下がご無事であったのはそれゆえだとのことです。その分、ご子息のご遺体の損傷は激しく、そのようなお姿をご覧になっては、閣下のご回復に障りとなりましょう」
「どのような姿でも倅は倅だ。会えぬ方がよほど辛い。卿にも子はおろう。この気持ちは分かってくれるはずだ」
「…わかりました。くれぐれも、無理はなさらぬように。またご自分をお責めになられぬよう」
 霊安室には数室が用いられていたが、トーマス・ワーレンの遺体の損傷は特に激しく、他の遺族が目にすれば衝撃が甚だしいので単独で部屋を占拠していた。
 中に置かれた遺体は確かに事前にハウフ大佐が説明していた通りの状況であり、ワーレンは故障した左腕の義手を伸ばして、息子の胸をさすった。血肉に汚れた上着の胸ポケットの中から、ヤン・ウェンリーの遺品の万年筆が出てきた。それだけは不思議と何の損傷も受けていなかった。それを見て、ワーレンはふたたび大粒の涙をぼろぼろとこぼし、万年筆をそっともとの胸ポケットに戻した。
「トーマス、なぜ俺を助けようとした。俺は千回死んだとしても、おまえに生きていて欲しかった!」
 ワーレンはトーマスの血肉で全身ちまみれになりまがら、その遺体にしがみつき、慟哭の叫びをあげた。朝が来て、空が白んでも、すすり泣く声は止むことがなかった。
 永遠の夜に生まれついたかのように、ワーレンの慟哭は低く、長く、止むことはなかった。

 ワーレンの負傷と、その子息の死は、むろんフェザーンにおいても深刻な衝撃を与えた。ヒルダやミッターマイヤーは超光速通信を通して、ワーレンに面談を求めたが、対応したライブル大将は、ワーレンが肉体的にも精神的にもいまだ面談に応じられる状況ではないと説明した。
 ヒルダの執務室にはマリーンドルフ国務尚書、エルスハイマー内務尚書、ミッターマイヤー総司令官、ケスラー憲兵総監、フェルナー軍務尚書、そしてヴェストパーレ男爵夫人が集って、ライブルの報告を聞いていた。
「ワーレン元帥閣下は軍籍を含むあらゆる官職から辞職なされるご意向を漏らしておられます。むろん、今は気弱になってのことでしょうから、お聞き流しください。しかし閣下が蒙った打撃がいかに大きなものであるのか、どうぞ軽くお考えにならないでください」
「分かりました。当面の代行をよろしくお願いします」
 ヒルダがそう言うと、ライブルは最敬礼をして、通信を終えた。
「ワーレンが気を奮い立たせてくれればよいが。子を失くすというのはあれほどの男にしてひどくこたえるのだな」
 ケスラーが悪気はなくともそう言えたのは、いまだ人の親ではなかったからだろう。人の親であるマリーンドルフ伯、ヒルダ、ミッターマイヤーはワーレンの胸中を思い、他人事ながらわが身を切られるような思いを噛みしめていた。
「ワーレン元帥閣下はこのまま立ち直れんかも知れませんな」
 水のような冷徹さでフェルナーが言った。その冷徹さがあればこそ、軍務尚書に引き上げたのだが、今はフェルナーの冷徹さがミッターマイヤーには辛かった。
「そうなったとしてもワーレンを責めることは誰にも出来んさ。テロの横行を許したのは我々、帝国軍、帝国政府の落ち度、このようなことを二度と起こしてはならん」
「つい先刻、帝国同胞団、彼らの言い方では銀河帝国正統政府ですが、彼らが犯行声明を出しました。オーディーンの包囲を解かぬ限り、要人を順繰りに殺傷してゆくそうです」
 ケスラーが言った。
内務省としては詫びを申し上げるべきでしょうな。正直に申しまして、警察では帝国同胞団がイゼルローンにまで勢力を及ぼしていることをまったく関知していませんでした。犯行声明を彼らが出さなければ、犯人の推測さえ容易ではなかったでしょう」
 エルスハイマーは頭を下げた。
「実を言うと憲兵隊にも十分な情報がない。帝国同胞団については徹底的に調査しているが、その下部組織のようなものがアルターラントの最深部以外に伸びているとはまったく掴めていない。実は帝国同胞団の犯行声明にしても事に乗じてのフェイクではないかと疑っているくらいだ」
 ケスラーはエルスハイマーを慰めるかのように言ったが、内容自体はとても慰めにはならぬものであった。
「メックリンガーに指示して作戦の進行を急がせよう。ともあれ、オーディーンを早々に鎮圧すれば、帝国同胞団が何者であれ、その脅威は粉砕できるのだからな」
「ミッターマイヤー元帥。事を急いでくれぐれも民衆に危害を加えるようなことがないよう重々ご注意ください。虐殺者の汚名をきれば統治そのものの根幹が揺らぎますから」
「国務尚書、ご懸念は重々理解しております。メックリンガーのことですからそのあたりのことは十分に配慮してくれるはずです」
 マリーンドルフ伯とミッターマイヤーの両名を制するようにして、ケスラーが口を開いた。
「お待ちください。今回の事件は非常に示唆に富んでいるように小官には思えます。内務省憲兵隊が尽力してテロ組織の尻尾も掴んでいないというのはいかにも不自然、これは帝国同胞団があるいは一枚岩ではないのかも知れません。バルツァー伯爵家には独自の諜報組織があります。それを介してのテロということも考えられますし、あるいは」
「あるいは?」
 ヒルダはケスラーを見据えて発言を促した。
「バーラト自治政府がこれに噛んでいるのかも知れません。彼らならば、イゼルローンの細かい部分まで熟知しておりますし、工作員を派遣することは容易でしょう。オーディーンとハイネセンの間に何らかの連携があるならば、今回のことも可能であっただろうと思われます」
「それはさすがに疑いが過ぎるというのではありませんか」
 ヴェストパーレ男爵夫人が口を挟んだ。
「万が一、彼らが私たちに刃を向けるとしても、ワーレン元帥をいのいちばんに標的にするかしら。ワーレン元帥はユリアン・ミンツやヤン夫人のご友人、いわば政権内における彼らの代弁者となり得る人。グリューネワルト大公殿下ミュラー元帥が退役してからはますますワーレン元帥の重要性は彼らにとっては強まっているはず。ワーレン元帥まで退役するようなことになれば彼らにとっては大打撃でしょう。もし私がヤン夫人なら、狙うならまっさきにあなた、ケスラー元帥を狙いますわ」
 それもまた道理であったが、ケスラーには今一つのみこみ難い疑惑が残った。
「バーラト自治政府と言えば、今朝方、ユリアン・ミンツからイゼルローンに弔問に赴きたいとの伝達がありました。帝国軍と政府からも人を送るので、弔問使節団の中に彼を加えることにしました」
 ヒルダがそう述べた。
「さすがにユリアン・ミンツが関与しているならばワーレン元帥のお顔を見にのこのこ弔問に行けるほど厚顔無恥ではないと思うのですがいかがでしょうか」
 ヒルダはそう言って、ケスラーは見た。ケスラーは黙って頷いたが、心のうちではなお、疑念を消しきれなかった。
(なるほど、ユリアン・ミンツはそこまで厚顔無恥ではなかろう。しかし、バーラトの連中が彼らなりの大義を実行する路線にかじを切ったのだとしたら)
 これほどの疑念を抱かなければならない憲兵総監という立場に、ケスラーは嫌気を感じるのであった。