Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(5)

 帝国軍三長官は帝国軍首脳の中の心臓でもあり頭脳でもあり、皇帝ラインハルト時代においては当初、オーベルシュタインが軍務尚書ロイエンタールが統帥本部総長、ミッターマイヤーが宇宙艦隊司令長官を務め、現役の帝国元帥3名がその地位を占めた。ラインハルトの生前には、戦死による昇進を除いて他に元帥に叙されるものが無かったから、帝国軍三長官は職責においてもその就任者の階級においても、帝国軍の頂上であり続けた。ラインハルトはヤン・ウェンリーを帝国元帥の称号で以て帝国軍に迎える提案をしたが、もしこれがヤン・ウェンリーによって受諾されていたならば、帝国軍三元帥の間で構築されていた安定は脅かされていたかもしれない。軍務尚書職はともかく、実績と才幹において、ヤン・ウェンリーのそれがロイエンタール、ミッターマイヤー両元帥のそれに劣らぬものであるのは誰の目にも明らかであり、であればロイエンタールが統帥本部総長として、あるいはミッターマイヤーが宇宙艦隊司令長官として、ヤン・ウェンリーに命令を下すというのは、当人たちにとって相当な呑み込み難さを与えたはずだからである。
 オーベルシュタインがヤン・ウェンリー招請に反対したのはそう意味ではごく当然の反応であって、人事が自負と実績に基づいて微妙なバランスの上に構築されていることを踏まえれば、ラインハルトの人材収集癖も過ぎては国家の害となりかねないものであったと評する者がいたのも、当然であった。
 もっとも、ヤン・ウェンリーがその招聘に応じるはずがないことは、ラインハルトも予期しており、断られることを前提としての、敬意の表現であったのかも知れない。
 皇太后ヒルダが自らの政権執行開始において三長官の新人事を行った際にも、単に自分の考えのみならず、周囲がそれに納得するかどうかを重視して決定しなければならなかった。能力で言うならば、元帥になるほどの者ならば誰であれ能力はあり、歴代の三長官の水準程度ならば、ルーヴェンブルンの七元帥ならば誰がどの職についても相応に果たすことが出来るはずだった。ゆえにヒルダが要素として最重要視したのは、その人事に他の者が納得するかどうか、であった。
 軍務尚書職には、能力と適性、業務の継続性から言えば、ヒルダはフェルナー中将を考慮しなかったわけではないが、元帥ではない彼が元帥たちを統御するのは、統御する方にとってもされる方にとっても酷であった。フェルナーは軍務尚書職を務められるに十分な用意が出来ているのは確かであったが、ここはもうひとつ、段階が必要であって、数年以内におそらく上級大将にまでは昇進するであろうから、フェルナーを軍務尚書にあてるとすればそれ以後の話であった。では元帥の中でと見た場合、百人いれば百人、まずはメックリンガーの名を思い浮かべるであろうから、それに逆らうのも要らざる負荷を人事にかけることになり、ヒルダは常識的な線に沿って人事をなした。
 宇宙艦隊司令長官職は実戦部隊の責任者であるだけに、提督たち誰にとっても「本業」であって、ここに誰をあてるのかは更なる難題だった。宇宙艦隊司令長官は軍政においては軍務尚書の、軍令においては統帥本部総長の下に位置するために、三長官の中では最も劣位であり、首席元帥となるミッターマイヤーを留任させるわけにはいかなかった。ケスラーは憲兵総監であるから除き、メックリンガーを軍務尚書にあてるならばこれも除けば、ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、ミュラーからの選択になるが、ヒルダはアイゼナッハを三長官にあてるほど高くは評価していなかった。彼には極端な寡黙という癖があるからであり、上に立つ者は誤解を招かないよう、多弁に、何度も何度も同じことをかみ砕いて手を替え品を替え饒舌に話さなければならないとヒルダは考えていたので、補佐的な任務ならばともかく、頭脳となって全体を統括するような任務にアイゼナッハをあてるつもりはなかった。ワーレン、ビッテンフェルト、ミュラー三者であれば、ミュラーは年少者であるから他の二人が抜擢されても年齢ゆえにと自分を慰められるだろう。しかしワーレンとビッテンフェルトは実績において拮抗しているだけに、どちらかが自分の上に立つのを飲み込むのは相当な忍苦を必要とするはずである。それならばミュラーを、年少者であっても、鉄壁ミュラーとしての燦然たる実績があるだけに、ミュラーを抜擢すればビッテンフェルトとワーレンはかえって、自分を納得させやすいかも知れない。そう考えて、ヒルダはミュラー宇宙艦隊司令長官に任命した。
 統帥本部総長にミッターマイヤーを充てた第一の理由は、ミッターマイヤーを充てなければこの職をめぐって、ワーレン対ビッテンフェルトの構造が蒸し返されるからであり、そのどちらをも充てるわけにはいかなかったからである。ミッターマイヤーを帝国軍総司令官として三長官の上に置くことは早々に決めていたが、ケスラーを憲兵総監に留任させれば手持ちの元帥はミッターマイヤー以外には、他にワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハのみであり、ワーレンとビッテンフェルトを拮抗させ、アイゼナッハを三長官職には充てないという当面の方針から言えば、三者のうち誰も統帥本部総長に充てるわけにはいかなかった。将来的にはフェルナーの昇進を待って、フェルナーを軍務尚書にするならば、メックリンガーを統帥本部総長に横滑りさせると言う漠とした青写真もあった。となればここ数年は統帥本部総長職をミッターマイヤーに預けるしかなく、首席元帥であるミッターマイヤーが統帥本部総長としては軍務尚書の下であっては困るので、統帥本部総長を軍務尚書と同格としたのであった。表向きは、日常的にはこれという職権も明確ではない帝国軍総司令官という職にミッターマイヤーを棚上げしておくのは、人事効率上不適であるので、ミッターマイヤーに日常的には統帥本部総長の職責を果たしてもらうということで、周囲の納得も得られるとヒルダは判断した。
 そしてワーレンには行政的才覚を見込んで、イゼルローン総督の地位を与え、ビッテンフェルトにはウルヴァシーに駐在させてノイエラントほぼ全土の治安維持活動に従事して貰うことにした。アイゼナッハを旧帝国領担当に置いたのは、旧帝国領が銀河帝国にとって本丸とも言うべき地域であり、軍が忙しく活動しなければならないようなことは起こり難いだろうと見たからだったが、実際にはアルターラントは平穏とはかけ離れた情勢になりつつあり、アルターラント担当を閑職と見たヒルダは、自分のその見通しが誤りであったことを遠からず思い知らされることになる。
 ともかくも、そう言う次第で、三長官職はミッターマイヤー、メックリンガー、ミュラーが占めることになったが、三者は定期的に三長官会議を開いていた。ミッターマイヤーとメックリンガーは帝都に常駐していて、ミュラーはドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に陣取っていたが、ドライ・グロスアドミラルスブルク要塞が距離的にフェザーンに隣接していることもあって、ミュラーは会議のたびに帝都に帰還していた。
 三長官会議を終えて、ミッターマイヤーは他に用事があり早々に引き揚げたが、メックリンガーとミュラーは軍務省上階にある将官用のバー『ジークフリード・キルヒアイス』に場所を移して、話を続けた。
「それで、小官に内々の話とはどういう内容でしょうか」
「単刀直入に言おう、ミュラー提督。卿にはこの際、軍籍を退いていただきたい」
 メックリンガーが持ち出した単刀のその余りの鋭さに、ミュラーは言葉を失ったが、数十秒の沈黙ののちに、ようやく絞り出して問うた。
「思いますに、軍籍を退かねばならぬほどの落ち度が小官にあったとは記憶はしていませんが。何か思いもよらぬことで、皇太后陛下のご不興をかうような真似をしたのでしょうか」
「そうではなく、実は」
 と、メックリンガーは事情をおおまかに話した。
「国務尚書、ミッターマイヤー首席元帥、ヴェストパーレ男爵夫人、そして私、いずれもがミュラー提督がこの任に相応しいと見ている。皇太后陛下にはヴェストパーレ男爵夫人から内々のご意向を伺っており、ご両者同士の同意があるならば、賛成するとのお考えも承っている。卿の返事を聞かないうちは大公妃殿下ご当人にご意向を伺うわけにはいかないが、結婚なされること自体には妃殿下も承知なさっておられる。諸条件を鑑みて、我々は卿に大公妃殿下のご夫君となっていただくのが、帝国にとってもっとも望ましいと判断している」
「そんな、幾ら皇族の数を増やす必要があるとは言え、大公妃殿下をそのように扱うのはなんともおいたわしいこととは思いませんか。先帝陛下がご存命であられたならば決してお許しにはなりますまい」
「それについては、ヴェストパーレ男爵夫人から逆におしかりを受けた。大公妃殿下がご自分でお考えになって、諒と返答なさったものを、政略の犠牲者のように扱うのは妃殿下のご人格やご意思を無視した勝手なおしつけであると。ご親友のヴェストパーレ男爵夫人がおっしゃるには、大公妃殿下は本質的には芯がとても強いお方。なにしろ先帝陛下をご養育なさったお方だ。絶対に嫌なことなら何としても拒絶なされるはずだと。ご自分でお考えになって、踏み込まれたことに、その自主性を我らが尊重しないようでは、敬してたてまつっているようで、実際には逆に牢獄におしこめているのも等しいのではないか」
「しかし」
「卿が断れば、他の候補をあたるまでの話だ。結婚話自体は取り止めにはならん。政略結婚で妃殿下がおいたわしいというのであれば、卿自身がご夫君になって、お幸せにして差し上げればいいではないか。我々も妃殿下の幸福をまったく考慮していないわけではない。卿であればこそ、おしあわせな結婚生活を妃殿下に差し上げられるはずだと見込んだからこそ、候補に推しているのだ」
「しかしながら小官は平民でありとても釣り合いが取れません」
「現在の七元帥のうち、貴族であるのはアイゼナッハのみ。既に爵位の有無はもはや問題ではない。それに先帝陛下は貴族と婚姻なさった。バランスをとるためにも、大公妃殿下のご夫君となられるのはむしろ平民である方が望ましい」
「しかし、しかしながら」
「卿のことだから、結婚は愛する者としたい、とでも言うのではないか?」
 メックリンガーの指摘に、ミュラーは頷いた。
「別にその考えが悪いとは思わん。むしろ健全な思考だろう。しかしこれは年長者が若者にしがちな説教と聞いて貰っても構わんがね、愛とはそこにあるものではなく育むものだ。もっとも、こればかりは理性ではどうこうし難いものであるから、いかんともしがたい相性のようなものはある。卿が、大公妃殿下をどうしても愛せそうにないというならば正直にそう言いたまえ。妻として、妃殿下を扱えそうにないと言うなら、みすみす不幸になるのは互いに避けるべきだろう」
「分かりません。そういう対象として考えたことが無いのです。お美しく、気高く、お優しい方で、光り輝くような、すばらしい女性だとは思いますが、先帝陛下の姉君、小官にとっては主筋にあたられる方。そのお方を妻にと考えること自体が、あのお方を汚してしまいそうで」
「それは卿に限ったことではない。この王朝の旗の下に参集し、心ある男ならば、誰しもが思うことだ。だからこそだ。それはもちろん、大公妃殿下がどなたかと恋仲になって、結婚なされると言うなら、それが一番望ましい展開だろう。しかし、今のままでは男たちは誰しも、妃殿下を崇めはしても、結婚の相手とは考えない。それでは困るのだよ。崇めているばかりでは子は出来ないのだから。だから私たちがこうして段取りをしているのだ。今まで考えたことが無いというならこれから考えるべきだろう。帝国のため、妃殿下のため、自分自身のため、何をすればよいのかを。
 ドライ・グロスアドミラルスブルク向けては明日夕方に発つのがよろしかろう。卿も判断材料としていささかなりとも妃殿下の人となりに接する必要があるだろう。明日、妃殿下の午後の茶会に卿は招かれている。帝国の重臣たちと顔つなぎしておく必要からこのところ順繰りに妃殿下には帝国の重臣のうちの誰かしらを茶会に招いていただいているが、明日は卿の番だ。直接伺いたいことがあるなら失礼にならぬ程度に伺えばいい。ただし妃殿下ご自身にはまだ、卿が候補であることをお知らせしていない。不用意なことは言わないように」
 こうして、ミュラーはアンネローゼと面談することになった。