Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(5)

 ゴールデンバウム王朝第33代皇帝オトフリート4世、実質的には最後の皇帝であるフリードリヒ4世から見れば曾祖父にあたるその人物は極端な漁色家であり「強精帝」と呼ばれた。その庶出子は確認されているだけでも624人を記録している。
 庶出であっても、皇子女として遇されるのがゴールデンバウム王朝の通例であったが、それだけの人数になればすべてを皇子女と遇することは不可能であり、多くは生まれるなり直ぐに臣籍降下させられた。男子には爵位が与えられ、女子には他の貴族との縁談が与えられたが、体面を維持させるだけの領地を配分することは財政的に不可能であった。そのため、彼らの多くは「持参金」なしで富裕な貴族に婿・嫁として押し付けられたが、当時のブラウンシュヴァイク公は正室、継室、継々室すべてをオトフリート4世の庶子である皇女を押し付けられている。
 もっとも、特に皇帝から目をかけられていた庶子の幾人かにはいくばくかの財産らしきものが与えられた。初代のバルツァー伯爵もそうであり、領地が与えられない代わりに、初代伯爵一代に限りヴァルハラ星系の租税収入の0.001%が年金として与えられた他、フレイア星系での塩の専売収入の1割がバルツァー伯爵家歴代に特権として与えられた。
 ゴールデンバウム王朝末期の閨閥史を専門とする歴史家でもあるゼーフェルト学芸尚書はある論文で以下のように述べている。
「オトフリート4世の極端な漁色は当時から批判と揶揄の対象となり、実際、国家予算に多大な負担をかけたが、王朝としてはプラスの側面もあった。貴族・富裕層のほぼすべてにゴールデンバウム王朝の血が入ったことにより、王朝末期の衰退の中にあって、家族的結束が強化され、支配層においてはむしろ王家の求心力が強まったことがひとつ。もうひとつが、単純にゴールデンバウム王家の血統が拡散したことにより、ルドルフ大帝の血統が王朝の存続に関わらず確保されることになった点が挙げられる。
 例えばゴールデンバウム王朝を倒して成立したローエングラム王朝にあっても、まず、皇帝ラインハルト自身、母方の母方の母方の母、つまり曾祖母がオトフリート4世の庶子のひとりであって、彼はルドルフ大帝を憎悪していたが、彼自身その末裔なのであった。彼が閨閥史にまったく興味がなくこのことを生涯知らずにいたのは彼にとっては幸いであった。
 彼の主要な親族・部下のうち、グリューネワルト大公妃アンネローゼ、国務尚書マリーンドルフ伯、皇后ヒルデガルド、皇帝アレクサンデル・ジークフリード、ヴェストパーレ男爵夫人、オーベルシュタイン元帥、ロイエンタール元帥、ファーレンハイト元帥、グリューネワルト大公ミュラー元帥、アイゼナッハ元帥、リヒター財務尚書、シルヴァーベルヒ工部尚書、そしてゼーフェルト学芸尚書らが、オトフリート4世の庶子を通してルドルフ大帝の子孫であった」
 オトフリート4世によってゴールデンバウム王朝の血の拡散がいかに広範囲になされたかの指摘であるが、逆に言えばその子女の多くは没落して、下級以下の貴族や平民に最末期には転落していたということであり、バルツァー伯爵家はオトフリート4世の庶子の家系の中ではほぼ唯一、有力貴族として地位を維持し、ローエングラム王朝下にあってもその地位を保った家系であった。
 バルツァー伯爵家は領地貴族ではなかったため、その後、金融業に進出し、金融貴族としての性格を強めた。その過程にあって私的な情報機構を整備・強化し、王朝最末期の動乱にあっても選択を誤らずに、ラインハルトを早い段階から支持した。当代のバルツァー伯爵は、キルヒアイス接触してその信任を得て、リップシュタット戦役でも地位保全をラインハルトに約束させたうえでローエングラム陣営に与した。その結果、金融業を通して蓄えられた膨大な資産とともに、安泰な地位を維持している。
 しかし銀河系の統一によって、その地位も荒波に洗われようとしていた。貴族間の個人的なネットワークに依存していたゴールデンバウム王朝下の金融業にあっては、ノイエラントやフェザーンの、規制を取り払われた、競争的な金融業に対しては太刀打ちができなかった。バルツァー伯爵家はなおも一大資産家であったが、今後のことを見据えるならば、フェザーンに移転して新参の、中小の金融業者として生きるか、一介の投資家として生きるかの選択を迫られつつあった。
 ゾンネンフェルス提督が帝国同胞団への支援を求めてバルツァー伯爵に接触してきた時、第三の道があるのではないかとの考えが伯爵の脳裏にひらめいた。それはアルターラントを経済的に他の地域から切り離して、そこに自らの金融帝国を保全するという道であった。
 もっともこのことはいきなり生じた考えではなく、バルツァー伯爵は自分なりに良心に照らし合わせて考えた結果であった。ゴールデンバウム王朝宗家に対する忠誠はなかったものの、バルツァー伯爵は自分が皇帝の純粋に男系をたどっての玄孫であることに誇りは持っていた。もし民衆がローエングラム王朝を拒絶するならば、自分がゴールデンバウム王朝の末裔として帝位に上る、もしくは皇帝を新たに擁立して何の不都合があろうか、と思った。
 それは野心とは少し性質を異にする。バルツァー伯爵には正確に言えば目的を実現するためのプランは無かった。プランがあれば状況を無視してそれに固執する結果になりがちである。バルツァー伯爵が手にしていたのはカードであって、そのカードを切るかどうかは状況次第、民衆がローエングラム王朝を見限るかどうか次第であった。
 ゴールデンバウム王朝が腐敗していたならばローエングラム王朝によって打倒されたのは歴史の必然であり道理であっただろう。だがしかし、だからと言ってどうして銀河を統一する必要があったのか。アルターラントの今の苦境はすべて根本の原因は銀河を統一したことによって生じていた。帝国は帝国で、フェザーンフェザーンで、同盟は同盟で、互いに講和を締結し、管理可能な範囲で交流を行っていればこのような事態は避けられていたはずであった。
 ローエングラム王朝は反ゴールデンバウム王朝という以上に大銀河系主義であった。しかし人類社会が長年に及んで分断されていて、その閉鎖された生態系においてそれぞれ独自に適応してきたのは事実なのであって、大銀河系主義はそれぞれのミクロの生態系を破壊することにつながっていた。求めらるのはそれぞれの地域の独自性を尊重したうえでの緩やかな交流であって、それは小銀河系主義とも呼ばれる立場であった。
 ラインハルトの覇業は銀河を統一したということによって賞賛されるべきではなく、まさしくその理由において、諸々の生態系を破壊したという点において批判されるべきであった。
 バルツァー伯爵は一大資産家であったが、これまでの生き方の清算を迫られているという点においては煉獄のスラムにさまよっている流民たちと本質的には同じ立場に立たされていた。
 我々は清算を迫られなければならないのか、その自問にバルツァー伯爵は力強く、否と自答した。アルターラント自体が、少なくともヴァルハラ星系がその独自の歴史に基づく生態系を維持できれば、何もこれまでの生き方を変える必要はない。
 その目的に向けて、バルツァー伯爵は準備を開始した。流民の怒りに一定の方向性を与え、秩序だった動きが可能になるように元軍人を多く配下に従え、事が起きれば対処できるようにしていた。しかし、海洋の大きなうねりを見越して対処することはできるが海洋のうねりそのものは起こすことはできない。その点は、バルツァー伯爵は自身を過信していなかったし、野心によって盲目になることもなかった。うねりは民衆によって引き起こされるのである。
 そしてそれがもし引き起こされるならば、それは陰謀の結果ではなく、ローエングラム王朝自身の失政の結果であった。