Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(1)

 シュナイダーはメルカッツ母子に会った後、数日帝都に滞在し、これからどうするべきかを思案していたが、やはりメルカッツ母子、特に娘のクロジンデを放っては置けないと思った。十分なカネは渡したから、それで責任は果たしたとしてもよかったのだが、あの状況を見て、カネだけ渡して責任を果たしたというのも詭弁に過ぎると思った。
 そもそもメルカッツが同盟に亡命し、そのためメルカッツが単にリップシュタット貴族連合に与したというにとどまらず、帝国にとっても叛逆者となり、あの母子を叛逆者の家族としてしまったのはシュナイダーがメルカッツに亡命を勧めたからであった。
 そういう意味では責任はメルカッツ以上にシュナイダーにあった。
 クロジンデの態度、振る舞いは強烈で、シュナイダーは彼女によって叩き潰され、打ちのめされたが、落ち着いて考えてみれば、ああいう境遇、状況にあって、ああなるのはむしろ神経がまともな証拠とも言えた。よくよく考えてみるに、シュナイダーがおぞましさを感じたのは娘に体を売らせて貴婦人の真似事をしていたメルカッツ夫人であり、異常な状況にあって正常であるのは異常である。簡単にクロジンデの気持ちが分かると言ってはいけないほど、彼女が生きてきた道は苛酷であったが、メルカッツ夫人がああいう人であったことが、貧困や迫害、体を売ったことよりも、彼女を苛んでいるのだということはシュナイダーにも理解出来た。
 副官ではあってもメルカッツ家の内情に立ち入ったことはなく、実際のところはどうであったのかは知らないが、不仲であったとも聞いていないので、メルカッツと夫人はそれなりにうまくやっていたのだろう。中流貴族にして軍人の妻としては、メルカッツ夫人は過不足はなかったに違いない。彼女の不幸は、彼女は変れる人間ではなかったにも関わらず、周囲の環境が激変したことであった。もう少し変化がゆるやかであったならば、彼女は自分の精神と環境に折り合いをつけることが出来たのかも知れないが、実際にはそうはいかなかったのであった。
 あのスラムの家を再び訪ねた時、そこにいたのはメルカッツ夫人のみであった。
「クロジンデさんはどうしました?」
 シュナイダーをみるなりびくついたメルカッツ夫人のことは気にも留めず、クロジンデのことを聞いた。
「あの子は出ていきましたよ。お金が手に入ったなら、もう自分といる必要もないだろうと言って。まったく薄情な子ですよ。それよりもシュナイダーさん、あなたまさかお金を取り返しに来たんじゃないでしょうね」
 そう言うなり、メルカッツ夫人は胸元を抑えた。そこに小切手を隠しているのはばればれであったが、さっさと小切手を現金化する世知もこの婦人にはないのであった。
「そうですか」
 それ以上はシュナイダーは何も言わなかったのは、メルカッツ夫人がクロジンデのことには関心がなさそうであったし、出ていくのも無理はないと思ったからである。
 シュナイダーは周囲の家の者たちを呼び、いくばくかのカネを握らせて、
「後でもう一度こちらに来るけれども、もしクロジンデが戻ってきたら、こちらのホテルまでシュナイダーを訪ねてきてほしいと言ってくれ」
 と連絡先を書いた紙を渡した。滞在先の住所だけではなく、自分の通信用アドレスも書いておいたから、もしクロジンデが自分に連絡を取りたいと思えば、とれるようにしておいた。
「さあ、いつまでこんなところにいるつもりですか。私と一緒に行きましょう」
 シュナイダーはメルカッツ夫人を連れだすと、近くに待たせていたタクシーに乗せて、帝都中心部に向けて走らせた。
「どこへ連れて行くおつもり?」
「元いた世界に戻るんですよ。これから何の心配もないんです。私がすべてやってあげますからね」
 シュナイダーがそう言うと、メルカッツ夫人は幼女のように眼を輝かせて、うんうんと頷いた。
 それなりのカネがあるのだから、旧メルカッツ邸を買い戻すことも出来たが、保護者もいない、せめてクロジンデがいれば話は別だったが、差配してくれる人が誰もいないメルカッツ夫人の境遇を思えば、これから先はホテル暮らしの方がいいとシュナイダーな判断した。
 オーディーンの中心部に着き、まず、高級デパートに入って、メルカッツ夫人の衣装を整えさせ、アクセサリーを幾つか購入した。そういう形を作ればさすがに貴婦人だった記憶がよみがえってくるのか、メルカッツ夫人の物腰は陰りひとつないレイディに見えた。
 もし信用できる執事がいれば、その者を雇用して彼女の面倒をみさせるのだが、この時代、信用できる使用人を見つけるのは至難の業であった。ホテルを選んだのは企業であるだけに、カネさえ支払えば一定の水準で彼女を遇し、企業として信用問題があるので、彼女を騙すようなことはしないだろうと踏んだからであった。
 高級ホテルに彼女の部屋をとったシュナイダーは、彼女をそこで休ませると、支配人にアポをとり、支配人室で彼女の今後について話し合った。20年分の料金を前倒して支払うこと、そして彼女を特別に保護して貰う謝礼として同額を支払うこと、20年を過ぎて彼女が生存した場合はホテル側はシュナイダー、もしくはその遺産相続者に追加料金を請求できること、20年以内に彼女が没した場合はホテル側は受け取った料金を返却しなくてもよいこと、彼女に変事があった時はシュナイダーに連絡すること、彼女自身の財産の中から、毎日1500帝国マルクをホテル側は現金化して振出し、彼女に与えること、等々において合意が結ばれた。
「帝国軍上級大将の夫人であった人だ。世事には疎いがそれなりに敬意をもって接して欲しい」
「承りました。稀にこのようなご依頼があります。私どもにもまったく経験がないことではありませんので、どうぞご安心ください。マダムはお客様ではありますが、当方で保護するつもりで、不自由はおかけしません」
 そこまでの手配をして、夫人の部屋を訪れると夫人は早々にメイドを相手に、貴婦人の心得を楽しそうに話しており、もはや真似事ではなくようやく復帰できた貴婦人の立場を早々に満喫していた。
 メイドはシュナイダーを見るなり、カッツィの礼をとった。
「マダムのお世話をいたします、アメリアです」
「そうか。よろしく頼む」
 シュナイダーな自分では意識していないが、かなりの美丈夫であるので、シュナイダーに見詰められたアメリアは顔を赤らめた。
「メルカッツ夫人。私はもうしばらく帝都にいますが、数日以内には去るでしょう。しかし後のことはこちらのホテルの者たちによくよく言ってありますので、不自由なことはありますまい。何か困ったことがあればどうぞ、すぐに連絡をしてください」
「何からなにまで、ありがとうございます、シュナイダーさん。私もこれでようやく一息ついた気持ちです」
「クロジンデのことはこちらでも捜索しましょう。どうぞご心配なさらずに」
 そう言われて、メルカッツ夫人は娘のことをようやく思い出したが、さして興味が無いように笑顔で頷いた。
 それから数日間、シュナイダーは例のスラムに通ったが、クロジンデはいよいよ決意を固めて出て行ったようで、帰ってくる気配はなかった。シュナイダーは幾つかの探偵社を訪ねて、高額の報酬と引き換えにフルタイムでクロジンデの捜索にあたるよう依頼を行い、とりあえず、それでなすべきことはまずはやったという思いを得た。