Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(2)

 シュナイダーはオーディーンを離れてもよい算段をつけた、はずであった。ただ、クロジンデのことがやはり気がかりで、一日滞在を延ばせば何か消息が分かるのではないかと、いざ腰を上げようとすればその思いに駆られて、結局、オーディーンにだらだらと滞在してしまった。
 とりあえずハイネセンに戻り、幼帝の行方を追うという、目標はあったが、それとても雲をつかむような話で、一日二日遅れたとしてもどうということはないのであった。シュナイダー自身には家族はもはやおらず、故郷へ帰る必要もなければ欲求もなかった。この、ある意味自由な、するべきことが定まっていない状況が、クロジンデへの未練というか、亡きメルカッツに対する責任のようなもののみを浮かび上がらせた理由であって、ああいう形のままでクロジンデとの関わりに終止符を打つには、シュナイダーのメルカッツに対する敬意は大きすぎた。
 その思いが二度三度、四度五度とあの煉獄のスラムにシュナイダーの足を運ばせていた。クロジンデの消息が聞けるかも知れないと思ったからである。そうして何度が足を運ぶうちに、汚泥の中から水が湧き出してやがてひとつの潮流を作るように、この無秩序なスラムの中にも、不文律で支配された秩序のようなものがあるのにシュナイダーはやがて気づいた。
 どのような場所であっても人間は秩序を作るので、警察がいなくなればマフィアがその役割を担い、やがてそれ自体が国家へと発展してゆくものであるから、不文律が形成されつつあるのは意外ではなかったが、スラムが形成された時期からすればその進展が早いこと、暴力沙汰が表面上はほとんどないことからすれば、相当意図的に何らかの組織が関与していることを伺わせた。
 やがてその組織が帝国同胞団と呼ばれる互助組織であることは耳にしたが、興味はひかれながらも、だからと言ってどうこうしようとまではシュナイダーは思わなかった。彼は社会運動家ではなく旅人であったのだから。
 ラインハルトの葬儀が終わった頃に、シュナイダーが滞在するホテルに一人の男が訪ねてきた。訪問者が来たことを告げられると、その男と談話室で面会した。
「突然の訪問失礼いたします、シュナイダー中佐。私はエーリッヒ・ブラウンという者です」
 その男は左手を差出し、両者は握手をした。
「軍人の方ですね」
「元軍人ですが、お分かりになりますか」
「さきほど、左手で握手を差し出されました。左利きの方なのでしょう。しかし私の姿を見た際、わずかに右手を上にあげられました。これは敬礼をなさろうとしたのでしょうね。軍人の習慣です」
「ほう、それだけでお分かりとは中佐は情報士官でいらっしゃいますか」
「いえいえそれほどの話ではありません。私を中佐とお呼びになることがいささか気にかかったものですから。現帝国の記録では正確には私は少佐で退任しています。中佐の階級は銀河帝国正統政府での階級です。仮に私のことをお調べになったとしても、オーディーンでの記録では私は少佐になっているはずです。軍の内部事情に詳しい方か、あるいはそうした人から情報を得られる立場にいらっしゃるのだろうと考えた次第です」
「おみそれしました。中佐にはこちらの情報を出し惜しみして、探りを入れるべきではないと今確信しました。私自身は大尉で退任していますので、いかなる意味においても、中佐は私よりは階級が上になられます。それで思わず敬礼をしそうになったのが、失敗といえば失敗だったわけです」
「軍人の習い性ですね、こればかりは私自身も退任した身ですが、なかなか身に染みついた習慣は抜けませんね」
「中佐は現役の士官でいらっしゃるのでしょう、銀河帝国正統政府の」
 なるほど、そのあたりが本題なのかとシュナイダーはあたりをつけた。
銀河帝国正統政府はすでに無く、レムシャイド伯ら尚書たち、そして何より皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世はすでにいらっしゃいません。私一人が正統政府の軍人を気取ったところでどうなるというものでもないでしょう」
「しかし先日のイゼルローンでの会戦まで、メルカッツ提督はご存命でした。提督は正統政府の軍務尚書としてお亡くなりになったはずです。正統政府は事実上、解消しましたが、正式に解体されたわけではありません。それに伴う公金もいささかはあったはずですが、それもローエングラム王朝に返納されたわけではないようです。今はどなたが管理なさっておられるかは分かりませんが」
「さあ、それは私のような一介の中佐にはあずかり知らぬことです。メルカッツ提督のご存念がどのようなものであったとしても、今はメルカッツ提督はお亡くなりになったわけですし、私がいまさらどうこうする話ではありません」
「そうでしょうか。提督に従って自由惑星同盟に亡命したばかりか、その同盟からも更に再亡命する形になってイゼルローンのヤン艦隊に合流なさった中佐が、メルカッツ提督のご遺志を継いでおられないとしたらその方がありそうにもないことですが」
「買い被りすぎでしょう。私もこれからは自分の人生を生きるだけです。それにメルカッツ提督も、別に今更、ゴールデンバウム王朝を復活させようとなさっておられた訳ではありません」
「ところが、私たちにはあるのですよ、その意思が」
 ブラウンがそう言ったのを契機にして、シュナイダーは立ち上がった。
「どうやらこれ以上はお話は聞かないほうがよさそうですね。そちらのご事情には踏み入らないでおきましょう。私も既に倒れた王朝に未練はありませんから、私を引き入れようというならお門違いの話です」
「どうぞ、お座りください。あなたご自身には児戯めいた脅しが通用するとは思っていませんが、メルカッツ夫人については話はまた別でしょう。むろん、このようなことを仄めかすのも礼儀に反していることは重々承知ですが、少なくともこちらの話をしまいまで聞いてくださるくらいのことはなさってもよろしいのではないでしょうか」
「その話を聞いたうえで、足抜けする自由が残されていればよいのですがね。私は何しろヤン・ウェンリーと行動を共にしていた男ですから、今ではいささか民主主義というものを信ずるようになっています。こちらの自由をどうこうしようと言うならば、ローエングラム王朝にあなたがたを売ったうえで自分とメルカッツ夫人の安全を確保するといたしましょう」
「どうぞ、お座りください。今はただ話を聞いていただきたいだけです。その手段としてメルカッツ夫人を持ち出したまでですが、掛金を釣り上げるならば、メルカッツ提督のご令嬢についてはいかがでしょうか。彼女の身柄はこちらで保護している、とお伝えすればよろしいのでしょうか」
「証拠はありますか」
「今のところは別に。お聞きくださらないから持ち出したまでのことです。しかし私たちのもとに彼女がいないという証拠もないでしょう」
 シュナイダーは憮然として着座した。
「お聞き入れてくださって感謝いたします」
「話をそらすようでなんですが、あなたはただの大尉ではないですね。それこそ情報士官だったのではないですか」
「情報士官だったらそう簡単に退役させてくれませんよ。インテリジェンス・オフィサーではありました。ただそれは国家のものではありません」
「なるほど、そこまでおっしゃるとは、蜘蛛は獲物を逃すつもりはないらしい」
「そこまで余裕のない話ではありません。私個人の見解を言うならば、私としてはあなたを泳がせていても我々には害はないと思っていますし、逆に言えばそこまで利用価値があると思っているわけではありません。ただ、上の見解はまた別のものがありましてね」
「上とは?」
「それについてはいずれお会いしていただくことになると思います」
「そこまで話したからにはそれくらいはやってもらう、ということなんでしょうね」
「ええ、あなたはそうなさらざるを得ないと思いますよ。私がここまで話していること自体、こちらにフラウ・メルカッツというカードがあることの証拠ではないでしょうか」
「逆に解釈することもできますね。クロジンデが実際にはいないにも関わらず、ある程度そちらの事情を話すことによって、あたかもクロジンデというカードを持っていると思わせようとしている可能性もなきにしもあらずです」
「確かにおっしゃるとおりです。中佐には情報士官のセンスがありますね。艦隊司令官の副官という任務にもそういう性格があるのでしょうが。敵の意図を疑って疑って読みぬくという」
「しかし認めましょう、どちらにせよ今の段階では私には確認のすべがありません。真偽を確かめるには虎穴に入らざるを得ないようです」
「そうおっしゃっていただければこちらも話はしやすいのですが、どうぞそう敵対的な立場から私たちがお話しているわけではないということだけは弁解させていただきたいと思います。現在のご心境はともあれ、ローエングラム王朝に敵対してきたという点では私たちは同志と言ってもいいわけですし」
「ヤン艦隊の私の仲間たちはゴールデンバウム王朝とローエングラム王朝の二者択一ならば後者を選ぶでしょうが、確かに結果を言えば、私がゴールデンバウム王朝の側に立ったのは事実ですね。今後ともそうであるとは限りませんが。敵の敵は味方とは限りませんよ。敵の敵はもっと敵ということもあり得ますから」
「なかなか味わい深いお言葉です。しかし今はせっかくいただいた貴重なお時間ですから、本題に入ることにしましょう。
 まず、私たちはゴールデンバウム王朝のある程度の再興を目指す立場です。ある程度というのがどの程度になるかは状況次第ですね。帝国全域に王朝を復権できるとまでは思っていません。ただし、状況によってはバーラト自治政府のように、ローエングラム王朝と協定を以てオーディーン、ヴァルハラ星系にゴールデンバウム王朝の自治政府復権させることは可能ではないかとみています。それは将来のプログラムの話ですが、当面の問題としては、ではゴールデンバウム王家の代表者として誰をたてるかという問題があります。これについては女帝カザリン・ケートヘンを復権させるか、別の人物をあてるか、いまだ我々とても方針が定まっているわけではないのですが、いるかどうかも分からないエルウィン・ヨーゼフ2世を押し上げるわけにはいきません。
 彼にはこのまま歴史の闇に消えていてもらったほうが、我々としても都合がいい。他人事ながら気の毒な子供ですが、エルウィン・ヨーゼフ2世に今更出てこられても、ローエングラム王朝以上に我々のほうが困ります。エルウィン・ヨーゼフ2世の探索は止めていただきたい」
「探し出したからと言って、別に彼を皇帝になそうというつもりはありません。ただ、一個の人間として幸福な生活を送れるよう整えてやりたいだけです。それがメルカッツ提督のご遺志でした」
「もちろんそうでしょう。しかし彼が生きていること自体が、生きているとすればですが、私たちには脅威になるのです。もし生きているとすれば、今、名乗りを上げていないということは皇帝に戻るつもりは当人にもないのでしょう。あなたが彼を探し出せばどう隠そうとしようとしたとしても、いずれ彼の存在は発覚します。それは彼の幸福を破壊することになるのではないでしょうか」
「今が幸福だというならわざわざ接触するつもりはありません。しかし確認はしてみないといけないわけです」
「その確認行為自体が、彼にとっては危険でしょうね。彼が最後に確認されたのは惑星ハイネセン、子供の才覚で、他の星に渡るとは考えにくいですから、バーラトに留まっているとすれば、無力な子供に対しては民主主義政府はそれなりに援助をするはずです。彼がエルウィン・ヨーゼフ2世であろうがなかろうが。あなたのご友人のフレデリカ・ヤンにお任せしてはいかがでしょうか」
「それがこの話の本題ですか?」
「本題の一つです。もうひとつは、あなたの処遇の話です。銀河帝国正統政府は消失しましたが、三人だけ、その主要な構成員の中で生存が確認されている人物がいます。そのひとり、シューマッハは現在、ローエングラム王朝の拘束下にあり、おそらくローエングラム王朝に取り込まれるでしょう。また、別の一人のランズベルク伯は精神病院で残りの余生を過ごされるでしょう。残りの一人があなたです。メルカッツ提督とともに、あなたは最後までローエングラム王朝と戦ったという実績があります。あなたは今や銀河帝国正統政府を代表する人物であるわけです。どうやらそれなりの公金も保持なさっておられるようですし。
 まあ、カネの話はいいでしょう。資金は我々は不足しているわけではありませんから、あなたのカネをどうこうするつもりはありません。我々が欲しいのはあなたの名前です。ゴールデンバウム王朝の糸をつなぐ正統性の一本があなたであるわけです。あなたを私たちの組織の幹部にお迎えすることによって、権威を強化したいわけです」
「さて、私にそれだけの価値がありますかな。あなたご自身、そこまでの価値はないとおっしゃった」
「誤解なさらぬよう。最終的に事を決するのは、実行手段、戦力です。ゴールデンバウム王朝は民衆の支持を失ったから倒れました。自明の理です。私たちが最高を目指すゴールデンバウム王朝は、旧来の王朝であってはなりません。民衆の支持によって作られるものでなければなりません。その意味で、あなたというカードは本質ではありません。あなたというカードを持っていようがいまいが、私たちが民衆の支持を得られなければ事は成りません。しかし、あくまで理屈上の正統性の確保という意味ではあなたを取り込むことは有益です。決して害にはなりません。それにあなたご自身の能力がおありになる。それは組織を強化するうえで有益なものになるでしょう」
「で、ともかく、その組織の主催者に私に会えと言われるわけですね」
「そうですね、しかしまずは、私たちの実行部隊の長に会っていただきたいと思います。組織に参加していただけばあなたの上司になる人です」
「その人の身元を聞いてもよろしいでしょうか」
「ええ、ここまでくれば十中八九お会いはいただけるのでしょうし、そうなれば分かることです。その方も先年、私たちに加わっていただいた方です。ロイエンタール元帥の下で幕僚を務めていた方です。ゾンネンフェルス中将と言えばご存知でしょう」
 ブラウン大尉は有能な男だが確かに国家機関の情報士官ではないようだ、とシュナイダーは思った。国家機関の情報士官ならば重要なカードを切る時こそ、平静を装うものだからである。しかしブラウン大尉はゾンネンフェルス中将の名を出してシュナイダーを驚かせることにささやかな快感を得ていることを隠しきれていなかった。
 そしてシュナイダーは確かに、驚いてはいたのであった。ロイエンタール元帥の幕僚であった高名な提督が、この組織に関与していることに。