Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(8)

 メックリンガーがミュラーの受諾の意をミッターマイヤーと国務尚書マリーンドルフ伯に伝え、両者が皇太后ヒルダにそれを伝達した。ヒルダは早速、ヴェストパーレ男爵夫人と共にグリューネワルト大公妃アンネローゼに面会し、アンネローゼの意思を確認した。その逆のルートを辿って、アンネローゼの受諾の意思がミュラーに伝えられたのは、新帝国暦4年1月20日のことであった。
 ドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に駐留していたミュラーは、宇宙艦隊司令部の今後の予定について細々とした指示を参謀長のオルラウ大将と首席分遣艦隊提督のヴァーゲンザイル上級大将に与えた。直ちにフェザーンに赴く意思をその場で伝達したが、フェザーンには月に二度は赴いているはずなのにと、やけに念入りな手配にミュラー艦隊の面々は訝しがった。
 艦隊の主要提督たちが持ち場に戻った後、ミュラーにとっては股肱の部下であるオルラウ大将と、副官のドレウェンツ大佐が残ると、そこで初めて、グリューネワルト大公妃とおそらく早々に婚約するであろうこと、自分が退役することを伝えた。
 彼らにとっては驚天動地であった。一個の艦隊は提督の個性が強く反映するだけに、首脳部の主要な面々はおおむね固定されている。ミュラー艦隊もそうであり、その部下たちは帝国軍人である前にミュラー艦隊の軍人であると言う自負が強かった。これがオーベルシュタインがたびたび警告を発した艦隊の私兵化につながるのはもちろんであったが、単に指揮系統のみならず全人格的な広範囲な団結があればこそ、艦隊が艦隊として機能するのもまた一面の真理であった。
 ミュラー艦隊の首脳部の面々は、ミュラーがなにぶん彼らよりも若いこともあって、自分が現役中はミュラー艦隊が維持され、ここで働けると信じて疑わなかった。それがよりによって元帥の中で最も若い、未だ青年と言っていいミュラーが、真っ先に退役することになろうとは、当てが外れるにもほどがあった。
「こうなってしまって、卿らには申し訳ないと思っている。宇宙艦隊司令部は新たな司令長官の下で再編されるだろうが、せめて従来のミュラー艦隊はまとまりとして維持できるよう、オルラウ大将を上級大将に推挙するつもりだ。オルラウ艦隊として、引き続き我が艦隊の中核を維持して欲しい」
「小官には上級大将に昇進すべき功がありません」
 オルラウのその言葉に、ミュラーは首を振った。思えば、ケンプ大将と共に副司令官としてイゼルローン要塞攻略にミュラーがあたった際に、若さゆえの暴発を抑えてくれたのもオルラウであった。ヤン・ウェンリーに翻弄されたあの敗北と敗残の中で、かろうじて司令部を維持し、ミュラーと残存兵を帝都へと帰還させたのもオルラウであった。泥水をすするような屈辱の日々を共にし、ついにはバーミリオン星域会戦でミュラーがラインハルトの苦境を救い、鉄壁ミュラーの名声を打ち建てた時もオルラウが参謀としてミュラーを補佐していた。
 オルラウがいなければ、宇宙艦隊司令長官はもとより、元帥になどなれはしなかったことはミュラー自身がよく分かっていた。
「オルラウ大将。いや、ヘル・オルラウ。卿は私の部下だが、兄とも思う恩人だ。卿がいなければ私が今ここにいることもあり得ないだろう。もとより、ケンプ大将と共にガイエスブルク要塞ともども朽ち果てていたはずの命だ。私が今、元帥に叙せられ、宇宙艦隊司令長官に任じられているのも、すべては卿の功績ではないか。私が元帥ならば卿が上級大将であって何の不思議があろうか。本来ならばもっと早く昇進させるべきであったが、上級大将になれば卿は私の下を離れざるを得ない。それで今まで決断を遅らせてしまった。このことを申し訳なく思う。しかしこのような事情と相成った。卿に、私の家族、私の艦隊を委ねたい。引き受けていただけるだろうか」
「もったいないお言葉です。されど、小官などに閣下の代わりが務まるはずがありません」
「いや、出来ないはずがない。それに、卿が引き継がねば、私の艦隊はばらばらにされて、部下たちは新しい場所で窮屈な思いを強いられるかもしれない」
 首席分遣艦隊提督のヴァーゲンザイル上級大将がいい例であった。彼はラインハルト直属艦隊において、その主力を担っていたが、ラインハルト没後は、首脳部ごと再編され、ミュラーの旗下に異動させられている。地位こそは、提督としてはミュラーに次ぐものであったが、ミュラー艦隊においては新参であり、その部下ともども大人しくしていることを強いられている。ミュラーはそのような目に股肱の部下たちを遭わせたくなかった。そうであれば首脳部や艦隊組織そのものを誰かに継承して貰わなければならないのである。ミュラー自身の分身とも言えるオルラウであれば、部下たちも窮屈な思いをしなくても済むであろう。
「閣下のおっしゃられることは良く分かりました。小官、閣下に及びもつかぬことは重々承知ですが、力不足を承知の上で、この任、引き受けさせていただきます」
 ミュラー艦隊から言わば与力の艦隊を除いて、中核部分をオルラウに引き継ぐ編成権限そのものは宇宙艦隊司令長官にあったが、オルラウを人事異動の時期でないこの時期に昇進させるには総司令官たるミッターマイヤーと軍務尚書のメックリンガーの承認が必要だった。とは言え、両者が別に拒否する理由はないし、ミッターマイヤー旗下ではバイエルライン、ジンツァー、ドロイゼンら3名も上級大将に既に任じられている。ラインハルトが定めた席次では双璧に次ぐ立場、つまりミッターマイヤーに次ぐ立場にあるミュラーが、その第一の股肱であるオルラウを上級大将に引き上げて、どうこう言われる筋合いではなかった。
「卿はそのまま、堅忍不抜であればよい。それだけで、バイエルラインあたりに後れを取るはずがない」
 ルーヴェンブルンの七元帥に次ぐ元帥叙任者が出るとすればそれはバイエルラインであろうというのが大方の予想であったが、ミュラーは能力においても識見においてもオルラウがバイエルラインに劣るとはまったく見ていない。次の元帥はおそらくオルラウになるのではないか、そこまではミュラーは口にはしなかったが、そうなったとしても当然だろうとは思っていた。
 自分が離れれば、数において元帥が減る。ワーレンはイゼルローンから動けないであろうし、アイゼナッハもアルターラントにおいてやや主流から外れつつある。摂政皇太后ヒルデガルド体制発足後の、元帥たちの合議による帝国軍運営体制は変質せざるを得ない。元帥たちはむしろ一線を退いて、元老めいた立場に立ち、一線を担うのは上級大将たちになるのかも知れないとミュラーは思った。