Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(3)

 帝国軍総司令官ミッターマイヤー元帥と軍務尚書メックリンガー元帥は皇太后ヒルダにビジネスディナーに招かれたが、たまたまその曜日はヒルダが設定していた「アレクと夕食を共にする日」だったので、皇帝の付き添いのグリューネワルト大公妃アンネローゼも同席し、皇帝自身は乳母に抱かれて、ミルクをたらふく飲み干した。
 両元帥と皇太后、大公妃は会話と食事を楽しんだが、頃合いを見てアンネローゼは皇帝を伴って退席し、食卓にはチーズのアペタイザーが運ばれ、食後のワインが注がれた。ワインをグラス半分飲み干して、ヒルダは口火を切った。
「ミッターマイヤー元帥、わざわざお呼び立てしたのは実は軍にお願いしたいことがあるからなのです」
「伺いましょう」
軍縮を財政的に進めていただきたいのです。今後2年以内に、平時予算で1割の削減をお願いしたいのです」
「陛下、臣の記憶が定かならば、これ以上の軍縮を進めないことを既定方針としたのはわずか3ヶ月前のことだと記憶しておりますが、急な方針変更にはいかなる理由があるのかお聞かせいただけるでしょうか」
「それについては小官からお話ししましょう。閣僚のひとりに関わる話なので、陛下にはなかなかお話し難いことでしょうから」
 そう言って、メックリンガーは発言の許可をヒルダとミッターマイヤー双方に得て、先日の閣議の内容をかいつまんで話した。
「なるほど、それについての経緯は理解した。軍務尚書が毅然と反論したのは正しい。別にそれでおしまいの話ではないのか」
「ところがそうはいかないのです。財務尚書は帝国の元勲であり、先帝陛下が崩御されて半年もたたないうちに、帝国政府の統一が危うくなれば、国家の信用にことは関わってくる話です」
「それはいささか奇異な話ではないか。複数の人間が集まる場所なのだから、意見の対立はあって当たり前だろう。それをいちいち辞職をたてにして自分が気に入らないことを潰そうとするような人物はそもそも要職に相応しくないのではないか。財務尚書が辞めるというならば、財政家が帝国全土に他にいないわけでもなし、辞めて貰えばいいではないか。それで秩序が動揺するならばその時こそ軍が任を果たすまでのこと。財務尚書が笛を吹いたからと言ってどうして我々がそれに付き合って踊らなければならんのか」
 ミッターマイヤーが存外に険しい態度を示したので、メックリンガーはさらに踏み込むべきか、やはり軍の首座に対する遠慮があり、躊躇した。それを見てとったヒルダは言葉を引き取って、話し出した。
「ミッターマイヤー元帥。リヒター財務尚書は確かに狷介なところがありますが、その能力、識見、無私において帝国にとっては無くてはならない方です。この評は先帝陛下も私も同じくするところです。それに、財務省提出の資料では、財務尚書が言っていることもおおむね正しいのです。今日明日、この先一二年でどうなるという話ではありませんが、このまま行けば財政的な膠着状態に陥ることは確実に予想し得ることです。不測の事態に対処するためにも帝国にはある程度の財政的なフリーハンドが必要で、旧王朝ではその必要が生じる都度、大貴族を粛清し、資産を没収してその必要を満たしてきました。カストロプ公の事例はその最後の一例です。もちろん現王朝で使える手ではありません。財政硬直が常態化する前に、現王朝は早め早めに手を打つ必要があります。 軍は規模においても財政においても帝国最大の組織。ここに手をつけないわけにはいきません」
「お言葉ですが皇太后陛下、先の既定方針はいかがなりましょうか。取り消しと言うことでしょうか。あれは政府と軍との約定にも等しいもの。それを軽々しく足蹴にするようでは、将兵にいかにして信義の実を徹底させられましょうか。そもそも先の既定方針が決定されたのは軍がすでに実質的には大幅な軍縮を達成しているからであり、現場は悲鳴を上げています。ロイエンタールの叛乱以後、皇帝ラインハルト陛下のイゼルローン御親征もあって、多くの将兵が失われたにもかかわらず新兵が十分に補充されていません。通常の人事ルーチンが行えず、初年兵が二年も三年も初年兵のままという例も珍しくはありません。軍は既に痛みに耐えています。このうえ更に痛みを強いられるようでは、将兵の中に高まる不満を抑えきれなくなるかも知れません。臣は断固として、さらなる軍縮には反対する次第です」
 ミッターマイヤーは更に頑なな姿勢を取り、このままでは皇太后と正面衝突になるのを恐れたメックリンガーが、何とかときほぐそうと、ミッタマイヤーに対峙した。
「ミッターマイヤー元帥。陛下はそういう事情は十分に分かっていらっしゃるのです。お分かりだからこそ、一度は軍縮はこれ以上は進めないともおっしゃってくださった。しかしもはやそれでは済まない状況なのです。単に財務尚書ひとりが騒いでいるという問題ではありません。小官も軍務尚書として軍政を預かる身ですが、仔細に検討すればやはり財務尚書の言うことに理がある。好きか嫌いかで言えば小官は彼を嫌いだとここで申してもいいのですが、彼の人格を否定したところで言っている理がどうこうなるものではありません。元帥、どうぞ今少しだけ、さらなる広い視野でこの件をご覧になってはいただけませんか。かつて元帥がおっしゃったように、政府があってこそ軍があるのであり、軍が帝国そのものを食いつぶす前に、我々軍人が率先して身を切る必要があるのではないでしょうか」
「メックリンガー。軍人の本分は戦うことにあり、戦うための組織を維持することにある。卿はそのことを忘れたか。どう言葉を繕ったところで、力があってこそ正義は維持できるのだ。その力を差し出してきたのは官僚ではない、政府でもない、軍であり、前線で戦ってきた将兵たちだ。皇帝ラインハルト陛下はそのことをご存知であったから常に前線にご自身の身を置かれた。先帝陛下は将兵の歓呼の中で皇帝となられたのだ。帝国は正義に拠って立つ。正義は力に拠って立つ。力とは軍である。軍を弱体化せしめて、どうして帝国が安泰であり得ようか。こういうことは言いたくないが敢えて言わせてもらおう。卿はこの信念に立って、軍務尚書の職を果たすべきだ。内閣の一員として俺を説き伏せようとするのではなく、帝国の根幹が奈辺にあるかを示すために、そこにいるのだということを忘れて貰いたくない。むろん軍は政府を尊重すべきではある。しかしそれは隷従関係ではなく、敢えて力を暴走させぬためにそうするのであって、力そのものを弱めていいというわけではない。卿は軍務尚書であるが軍人である。すべての軍人はまず俺の部下であることを思い出して貰いたいものだな」
 ミッターマイヤーは軍人としては「物分りがいい」方である。単に戦術家として優れているにとどまらず、マリーンドルフ伯が国務尚書の後任にかつて推したことがあるように、政治的な識見も豊富に持っている。しかし根本においてはやはり軍人であって、軍を守るためであれば獅子にも狼にもなれる人であった。
「ミッターマイヤー元帥、メックリンガー元帥は軍務尚書として常に閣議にあっては強いプレッシャーに晒されているのです。今日のことも嬉々としておっしゃっておられるわけでは決してありません。どうぞ、そのことは分かってあげてください。帝国軍総司令官のおっしゃることもごもっともです。それを否定する気はありません。私もこのような立場でなければ、敬愛するミッターマイヤー元帥といささかでも道を違えるような真似は決してしないでしょう。しかし現実には私は摂政皇太后の立場にあり、帝国軍のみならず、帝国国民、全人類に対して責任を負う人間です。そういう人間としては、単に敬愛する人から嫌われたくないという理由から、自分が考え抜いて妥当だと思った方策を曲げるわけにはいきません。敢えて無理を申し上げます。これによって軍が血を流すことも、末端の兵に多大な犠牲を強いることも知ったうえでのお願いです。ミッターマイヤー元帥、どうか私にお力をお貸しください」
 ヒルダは立ち上がり、額が足につくほどに深々と礼をした。その姿勢を見たメックリンガーもただちに立ち上がり、ミッターマイヤーに対して同じく深々と腰を曲げて礼をした。
 ミッターマイヤーは困惑した。ひどく当惑した。とりあえずミッターマイヤーも立ち上がったが、礼の姿勢を一向に崩さないヒルダとメックリンガーを見ても、それでいてなお、うんとは言えなかった。ミッタマイヤーが抱えたものも、彼個人の情で処理してしまえるような、軽いものではなかったからである。
 しかし長い沈黙のうちに、
「どうぞ、お顔をお上げください。皇太后陛下。いえ、今日は敢えてフロイライン・マリーンドルフとお呼びしますか」
 と絞り出すようにしてミッターマイヤーが言った。
 ヒルダは顔をゆっくりと上げた。
「あなたがご自分のお立場ゆえに譲れぬことがおありのように、私にもそのようなものはあります。今なお、私は軍縮には反対ですし、それが帝国の将来を揺るがしかねないとも思っています。しかしこの先がどのような未来であろうとも、このウォルフガング・ミッターマイヤー、たとえ最後の一人となってもあなたの傍らにありたいと思います。仰せの件、とにかく努力を尽くしましょう。決して楽な道ではないと思いますが、今日メックリンガーがやったようなことを、他の将兵に対して私がいたしましょう」
「ありがとうございます、ミッターマイヤー元帥」
 ヒルダはそう言ってもう一度礼をした。
「しかし楽ではないと言うのは本当のことです。この話を聞けば、早々にまずはミュラーやビッテンフェルトあたりがどうこう言ってくるでしょう。もちろん話せば矛をおさめてはくれるでしょうが。まずは元帥たちを説得する必要があるでしょう。ケスラーとワーレンも良い顔はしてくれんでしょうな。もっとも、アイゼナッハが苦情の一つでも言うと言うなら、ぜひ、聞いてみたいものだが」
 そう言ってミッターマイヤーは笑った。すべてを流して受け止めてくれるその笑顔は、帝国軍総司令官、疾風ウォルフがともあれヒルダの政策を支持してくれると言う確約であった。