Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(11)

 ミュラーは再び茶会でアンネローゼと対峙していた。両者は一言二言、挨拶の言葉は交わしたが、それ以上は会話をするでもなく、茶を啜っていた。
 たまらずに、ついにミュラーが口を開いた。
「この話、お受けになられるとは思いませんでした」
 ミュラーのその言葉は、アンネローゼの表情から表面的な微笑を消した。
「私が断るとお思いになったから求婚なされたわけですか。それは当てが外れてお気の毒でした」
「いいえ。先日の件を思えば、きっと私に対してご立腹だろうと思いましたので。私は断られても何度もお願いに上がるつもりでした」
「それはますますもってお気の毒に。ヒルダさんやミッターマイヤー元帥からよほど言い含められたのでしょうね。ミュラー提督に怒っているなんてとんでもありません。私のような女をめとわなければならないなんてと同情しているくらいですわ」
「なるほど。では、妃殿下は私が帝国への義務感から求婚したと思っていらっしゃるわけですな。それはご自分が義務感から結婚なさろうとしておられるからでしょうか」
「どうでしょうか。少なくとも私のような立場の女であれば国家への義務を蔑ろにしてはいけないことは理解しています」
「少しは、私への愛情もあったのかと自惚れていたのですが」
「まあ、先日あのようなことをおっしゃったのに、私の愛情が提督にとって何がしらの価値があるとは思ってもみませんでした」
「やはり、怒っていらっしゃる」
「怒ってません」
「妃殿下。アンネローゼさま。幾つかの誤解を解いておくべきだと思います。第一に、私があなたに求婚したのは、あなたのことがとても気にかかるからです。あれから私はあなたのことばかり考えていました。私の伯父に相談したところ、それは私があなたを愛しているからだと言っていましたが、このような気持ちになったことがこれまでないので、もし伯父の言う通りならば私は今まで誰かを愛したことはなかったのだと思いました。この気持は私自身にも掴み難いもので、歯切れよく申し上げることは出来ませんが、少なくともあなたが他の男と結婚なされるのはどうしようもなく嫌だ、ということは理解しています。私があなたに求婚したのはこの気持のためであって、正直に申し上げて帝国のためでは微塵もありません。
 第二に、あなたはご自分が思っていらっしゃるほど、帝国のために自己統御が出来ているわけではありません。もしそうなら、先日のいきさつがあったにせよ、あなたは大公妃として宇宙艦隊司令長官である私をいつものたおやかな笑顔で迎え、あたりさわりのない談笑をして客を気分良くさせていたでしょう。しかし先日のしこりからあなたはそうすることが出来なかった。それはあなたが大公妃である前に、ひとりの人間であるからです」
「よろしいわ、認めましょう。先日の件で私は怒っています。確かに、深く傷つきました。一晩中、泣きましたのよ。けれども、私が傷ついたのはあなたがおっしゃったことが事実だったからです。私は弟やジークを利用したのです。そのことに済まないという気持ちはありましたが、どこか、敢えてそうしている自分を赦してしまっているところがありました。あなたの断罪のお言葉は正当なものでした。私は赦されてはいけないのです」
「どうぞお話を最後までお聞きください、アンネローゼさま。もうひとつ誤解を解いておくべきことがあります。先日の私の言ですが、あれは極めて不当なものであったと今は思います。私は先帝の臣下としての自分の感情を優先するばかりに、あなたが立ち上がった時、無力な少女で、そこからたった一人で道を切り開いてきたと言うことを軽視し過ぎていました。公平さに欠ける物言いだったと思います」
「慰めて下さるのね。ありがとうございます。でも私は」
「あなたご自身がご自分に罪があるとおっしゃられるならばそれはそれでよろしいでしょう。しかしこれからは、どうぞそこに罪があると言うならば私にも背負わせてください。あなたがもう一人で戦う必要はないのです。あなたはもう、一人で大公妃、皇帝の伯母、カイザー・ラインハルトの姉、そして小さな弟ラインハルトの姉になりきる必要はないのです。アンネローゼ、ただのアンネローゼに私、ナイトハルト・ミュラーは求婚します。たとえ帝国を裏切っても、ただあなたの夫であり、あなたとすべてをわかちあうことを誓います」
「…ナイトハルト…酷い人。そんなことを言われたら私は」
 ミュラーは立ち上がり、アンネローゼの傍らに寄り添って、その体をそっとその長く逞しい腕で抱いた。
「今はっきりとわかりました、アンネローゼ。私はあなたを愛しています。小さなアンネローゼ、どうか私のことも好きになってください」
「分からない。私は分からないわ。私もあの日からずっとあなたのことばかり考えていました。でも、これは何なのかしら。分からないのよ。こんな気持ちで、あなたに妻にしてもらってもいいの?あなたを利用してしまうかも知れないのに」
「夫婦にとって利用するなんてことはないんですよ、アンネローゼ。あなたの幸福が私の幸福、あなたの力になれることが私の幸福なのだから」
 ふたりは互いの澄んだ目を見て、それからおもむろに唇を交わした。そして微笑むミュラーに、アンネローゼは飾り物の微笑を捨て去った後に自然に沸き起こった喜びの表情を浮かべて、言った。
「ナイトハルト。私、怒っているのよ。私をこんなに揺さぶるなんて、いけない人ね」
「あなたは結構怒りっぽい人だ、アンネローゼ。でも、大公妃に似つかわしい微笑なんかよりもずっとその方がいい」

 新帝国暦4年2月3日、帝国全土に向けてグリューネワルト大公妃アンネローゼと、宇宙艦隊司令長官ナイトハルト・ミュラー元帥の婚約が発表された。両名の一日も早い結婚をという希望に沿って、皇族とそれぞれの親族、閣僚、帝都に帰還できないワーレンとアイゼナッハを除く現役元帥たち、そしてわずかな友人のみが参列した結婚式がその7日後、2月10日には早々に挙式された。友人として招かれたのは、ヴェストパーレ男爵夫人とシャウハウゼン子爵夫人、ミュラー艦隊の首脳部、ミッターマイヤー夫人、マリーカ・フォン・フォイエルバッハ、そしてフェザーン大学で歴史を学んでいるユリアン・ミンツとその夫人カリン、そしてアンネローゼが保護者となっていたコンラート・フォン・モーデル少年のみであった。ミュラーの伯父のヘルムートは1万帝国マルクを祝儀袋につめて参列者に渡そうとしたが、最初に接触したのが運よくヴェストパーレ男爵夫人であったので、ヴェストパーレ男爵夫人がなだめすかしてその企画を取りやめさせた。
 ミュラーは帝国軍を退役し、宇宙艦隊司令長官職も辞したが、元帥の称号と地位はそのまま維持された。この結婚によってミュラーは皇族の一員となり、グリューネワルト大公殿下と称されることになった。ミュラーの男系の親族のうち男子に対しては帝国騎士号が授爵された。ローエングラム王朝では、ジークフリートキルヒアイスがその死後に大公に叙されたのを唯一の例外として平民に対して新たな叙爵は無かったが、ミュラーに大公位が与えられたこと、その親族に帝国騎士号が与えられたことは今後の叙爵の解禁に道を開くものとなるかも知れなかった。
 結婚によってミュラーは姓をフォン・グリューネワルトに変えることになったが、従来の姓はミドルネーム扱いにして、ナイトハルト・ミュラー・フォン・グリューネワルトを名乗った。軍人としても隔絶した地位を得た人であったので、一般にはミュラー元帥と呼ばれ続けた。
 グリューネワルト大公夫妻はルーヴェンブルン宮殿東棟に引き続き居住し、皇帝アレクの養育は夫妻に委ねられることになった。
 ミュラーの数々の功績を鑑みて、帝国軍は軍人の最高の武勲章であるジークフリード・キルヒアイス武勲章をミュラーに授与した。この武勲章はこれまで3名しか授与されておらず、ファーレンハイトとシュタインメッツがそのうちの2名であったがこれは死後の授与であり、生前授与はミュラーに対してかつて一度与えられたのみであった。ミュラーは同じ武勲章を二度、授与されたことになるが、ミッターマイヤーでさえ授与されていないこの最高武勲章を二度授与されたことは、異例の措置であったが、ミュラーが果たしたこれまでの数々の武勲を思えば、それも当然であろうと誰もが思った。