Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(4)

 ヴェストパーレ男爵夫人は皇太后首席秘書官を務めていて、多忙と言えば多忙だったが、それほどでもないと言えばどれほどでもなかった。外交、軍事、経済、いかなる意味においても専門家ではない彼女がそうした方面で仕事を振られることはなかったし、彼女自身もそれに関与しようとはしなかった。彼女が主に担当したのは交通整理や、皇太后の意思を察して、事前に案件を振り分けることであった。
 これは駄目だ、こうして欲しい、もっと調査して欲しい、これを判断するにはこういうデータが必要になる、ということを判断して、言いにくいことや拒絶を彼女が下見した段階で言っておく、人間関係の問題から、これはこうするべきだけど、事前にこの人に話を通しておいた方がいいというようなことがあれば、先に根回しをしておく、そういうことを彼女は行っていた。
 皇太后のスケジュール管理や、連絡役も彼女の業務であったが、そういう雑事は彼女にもスタッフはいるので、そちらに任せておけばいい。
 ヴェストパーレ男爵夫人のような役回りは、使う側からすれば便利ではあったが、案件の取捨選択や事前指示を彼女が行うとなれば、それは最高権力者の影を作るに等しく、よほど人格的にも能力的にも信頼できる人でなければ国政が壟断される危険性があった。ヴェストパーレ男爵夫人はその危険性を自覚したうえで、明らかに利益供与目的とみられる個人的な接触はすべて断っていたので、弊害が目立つことも無かった。
 彼女はヒルダの能力と性格を熟知し、その意向を推測して外れることが無かったから、最高権力者とは言っても女性であるがゆえに立ち振る舞いにいっそう気を付けなければならないヒルダにとっては無くてはならない人となっていた。ラインハルトであれば提案に対し、「それは駄目だ」の一言で済むものが、ヒルダであれば同じことをすればいたずらに反抗心や軽侮心を臣下に抱かせることになりかねず、意向を伝えるにしても当人が伝えるのではなく、なおかつ絶妙なさじ加減が出来る人が必要であって、ヴェストパーレ男爵夫人以外にそれは不可能だと思ったからこそ、首席秘書官に招いたのであって、その人事は大成功であった。
 ヴェストパーレ男爵夫人の仕事は、「大枠を整理して皇太后に示すこと、皇太后の矢面に立って、憎まれ役を、それもなるべく憎まれないようにしつつ果たすこと」であったので、雑事に四六時中追い回されるようなことは、男爵夫人が整理してないようにしていた。スタッフに振れる仕事はスタッフに振り、彼らのうち数人にヒルダに思考や意思を熟知させ、そう重要ではない案件については自分の代わりが務められるようにさせていた。
 ヒルダは男爵夫人を余人を以て替え難しと見ていたが、ヴェストパーレ男爵夫人は、この任を引き受けたのはあくまでヒルダの友情に応えて、ヒルダの負荷を減らすためにやっていることであって、後継者が育って自分がいなくても良い状況になれば直ぐに辞めるつもりだった。それもあって、自分のプレゼンスを不必要に拡大させないようにするために、仕事を抱え込むことはなるべくしないようにしていた。
 ヴェストパーレ男爵夫人は新帝都においてもやはり社交家であって、18時以降は基本的には自分の個人的な時間として確保していて、会いたい人や興味がある人に積極的にアポイントメントをとって会い、その中の数人は適当な地位に引き上げて、ヒルダの仕事が円滑に進むように体制作りをしていた。
 メックリンガーから「久しぶりにお会いしたい」と言われた時、「なら今晩、夕食でもご一緒しましょう」と軽いフットワークで対応できたのも、「忙しくなり過ぎない」という彼女の基本姿勢があればこそであった。
「最近、よく使わせていただいているお店よ。料理もおいしいからきっとメックリンガー提督のお気に召されると思うわ」
 ヴェストパーレ男爵夫人が待っていたのは、日本料理の店で、料理でももちろん評価が高い店だったが、店の奥に予約制の個室が幾つかあって、秘密裏の会合に便利であるから、ヴェストパーレ男爵夫人は多用していた。
 とりあえず、と酒を注ごうとすると、メックリンガーは、
「実は22時に別の会議がありまして、このあと、軍務省に戻らなければなりません。今日はアルコールは遠慮しておきましょう」
 と断った。
「まあ、つまらない。美女と晩餐を共にしておきながら、その後に予定を入れるなんて無粋な方ね。組織の上に立つ人が忙しすぎるのは、有能なのではなく、仕事の割り振りができていない証拠よ。お酒も飲まずに、自分は働き者だと酔ってしまわないよう、お気をつけることね」
「おっしゃる通りです。私は元は艦隊指揮をもっぱらとする人間でして、軍政畑はどうも勝手が違って、軍務次官のフェルナー中将に助けられてなんとかこなしている有様です。徐々にでも非才ながら、慣れていければいいのですが」
「素直ないい子を苛めるのはこれくらいにしておいてあげるわ。でもね、あなた絵を描く時間も取れないようなら、あなたの才能に対してそれは不誠実と言うものよ。これは芸術愛好者としての忠告ね。私は飲むわよ。この美味しいお酒を飲むために働いているんだから」
 メックリンガーは、にこやかに頷きながら、ヴェストパーレ男爵夫人のグラスに酒を注いだ。
「で、今日は先日のミッターマイヤー邸でのどんちゃん騒ぎで話されたことについてかしら」
「なんと。そんなことまでご存知でしたか」
「あちこちにスパイを放っているわけじゃないわよ。エヴァは私のお友達だから、あなたとケスラー提督と、久しぶりにお会い出来てミッターマイヤー提督も楽しそうだったとお話を聞いただけよ。まあでも、総司令官と憲兵総監と軍務尚書が集まって、話す内容が好きな女の子のあてっこだけじゃないわよね」
「いやはやなんとも。まったくもって油断ならない女性ですな、あなたは」
「あなたも油断ならない殿方よ。そういう危険な男性って私は好きよ。で、今日の用件は、アンネローゼの結婚相手の話かしら」
 メックリンガーは頷いた。
「この件については私が下準備をすること、ミッターマイヤー元帥と国務尚書マリーンドルフ伯から改めてご依頼がありました。それで、あなたのご意見も伺っておきたいのです。今回のこの件は明らかに政略結婚ですが、大公妃殿下は本当に納得されていらっしゃるのでしょうか。あなたはこの結婚計画に賛成なのでしょうか」
「私が賛成するも反対するも、アンネローゼがそれでいいって言うんなら、それでいいんでしょうよ。アンネローゼはいかにもおしとやかで、流されるままに思えるかも知れないわね。けれど、彼女はラインハルトを育てた女性よ。絶対に嫌なことは死んでも拒むわよ。逆に言えば、彼女は状況に押し流されてきただけのように見えるけれど、そこには彼女なりの意思があったのは間違いないわ」
「皇帝の寵姫に無理やりにされたことも、彼女の意思なのですか?」
「私は嫌なことを言うかも知れないわ。これは彼女だけの話ではなくて、女全体の話だけれども、どういう状況に置かれても、どういう時であっても女が行動する時、そこには必ず自分なりの計算があるの。もちろんアンネローゼも皇帝の寵姫に好き好んでなったわけじゃないわよ。でも逆に好き好んでなれるものでもないのよ。寵姫はただの愛人じゃない。正妻ではないけれど、法的に認められた皇帝の妻よ。ラインハルトがどう憤ろうと、アンネローゼが寵姫になったからこそ、その後の彼の運命が開けたのは事実。アンネローゼはラインハルトの傍にあって、まだ幼年だった彼の中に眠る豊かな才能を知っていた。それをどうにか活かそうとするなら、寵姫になるのはそう悪くはない選択でしょう?」
「しかしカイザー・ラインハルトは、姉君を犠牲者とみなし、助け参らせるために銀河を手に入れようとなされた」
「そこが私に言わせれば男の思い上がりな部分よね。女には何にも出来ないとでも?状況に流されるしか何もできないとでも思っているのかしら。リップシュタット戦役以後はともかく、それ以前はどう見ても、ラインハルトがアンネローゼを保護していたのではなくて、その逆じゃないの。もっともアンネローゼは賢い人だから、男のそういう思い上がりの面も十分に分かっていたし、弟とは言えラインハルトも男の一人であることは分かっていたはず。彼の騎士道精神を刺激して、自分自身を人参にして、叱咤激励して走らせたはずよ。公平に見て皇帝フリードリヒ4世はアンネローゼに対しては誠実だったし、優しかったし、ラインハルトにも目をかけていた。男と女はね、一度身体を交わして一緒に暮らせば、それなりの情がわくものなのよ。アンネローゼはそれなりにしあわせだったに違いないわ。ただ、ラインハルトには、姉は不幸であると思って貰っておいた方が万事都合がよかったのよ」
「それは…つまり大公妃殿下は弟君を騙して、銀河の征服に駆り立てさせたということでしょうか」
 ゴールデンバウム王朝末期の秘史に触れる思いがして、メックリンガーは指先が震える思いがした。
「嫌な言い方をするのね。ラインハルトの才能は誰の目にも、特に傍らにいたアンネローゼの眼には明らかだった。それを活かそうとするのはある意味、近親者の務めじゃないの。アンネローゼもまさか弟を皇帝にまでしようだなんて、そんな大それたことを考えていたわけじゃないとは思うわ。ただ、この際、ミューゼル家の家格の上昇を自分と弟を通してやり通そうと考えたのは、まあ確実よね。彼女も帝国騎士の娘、家の力が弱いばかりに母を殺されても泣き寝入りしか出来なかった絶望を知っている。ミューゼル家に力をつけさせて、絶望に逃げることしか出来なかった父親を救いたかったのだと思うわ。それが実現する前に、父親が死んだのは大きな悲しみだったでしょうし、ラインハルトが父親を蔑んだのはアンネローゼにとっては本当に辛いことだったでしょうけれど、彼女は彼女なりにこれまで能動的に自分の人生を生きてきた。運命と戦ってきた。
 それを彼女が弟を騙したかのように言うのは、間違いではないけれど事の本質を半分も捉えていないわ。彼女は必死に、誠実に、自分の人生を生きて、自分の役割を果たそうとしてきた、その中には確かにつらいこともあったけれど、しあわせなこともたくさんあった、それでいいじゃないの」
「…私は先帝陛下の臣、そう簡単に割り切ることは出来ませんが、過去のことは過去のこと、今お話しすべきはこれからのことです。大公妃殿下は王朝の利益のために、ご自分を犠牲になされるお覚悟がおありとのことですが、それで本当によろしいのでしょうか」
「王朝と言っても、彼女にとってはミューゼル家であることをお忘れなく、軍務尚書閣下。実家が防衛力を強めるために、彼女にできることがあるなら彼女はそれをするだけでしょう。それは彼女にとっては犠牲ではなくて喜びであるはずです。父もなく、弟もなく、今、彼女にとって一番大事なのはアレク、皇帝陛下のみのはずです。確かに彼女が新たに子を産めば、アレクにふりかかる危険も軽減できるでしょうし、それに、アレクに万が一のことがあっても、次世代以降もミューゼル家の血統に皇位をつないでゆくことが出来ます。彼女はミューゼル家の娘なのですよ。ミューゼル家の利益第一に動くのは当たり前のことでしょう。そうやって彼女は生きてきた、今後もそうするだけでしょう。
 それに、政略で結ばれた夫婦が不幸だなんて誰が決めたの?銀河帝国の貴族は、ほとんど例外なく政略結婚で結婚したけれど、かなりの夫婦が幸福に暮らしたわ。マリーンドルフ伯もそのうちのひとりよ。むしろ恋愛で結ばれた結婚の方が破綻しやすいのではなくて?ほとんどの場合は、恋愛感情はいつか冷めるわよね。冷めた時に、結婚生活の基盤が恋愛感情しかなかったならば、夫婦の間に残るのは他人への違和感だけじゃないの。政略結婚は、家同士のむつみあい、親をたて、兄弟をひきたててくれる感謝、互いの立場に対する敬意、人間関係をつなぎとめる要素はより豊富に揃っているわ。
 私も、アンネローゼがしたくもないのに、政略結婚に利用されるというなら、これはもう断固として反対するわよ。でもそうじゃないのだもの、すべて了解したうえでアンネローゼ自身がそうした方がいいと考えているなら、彼女の考えを支持するのが友人としての務めであるはずよ」
「なるほど、それについては分かりました。問題は相手です。実は相手については我々で話してすでにめぼしい人物はいるのですが」
ミュラー元帥でしょう?」
「ほう、国務尚書か皇太后陛下がお話されましたか?」
「いいえ。でも指折って数えればそうそう適当な殿方がいらっしゃるわけでもなし、条件から言えば一番適当なのはミュラー元帥なのは誰の眼にも明らかよ。実は、ミュラー元帥の身辺調査は私が独断で行わせてもらったわ。これというマイナス要因もないわね。ご兄弟が多いのが問題と言えば問題かも知れないけれど、まあみなさん、ご立派な人たちで、親族関係の問題もないわね」
「そうですか。実はこちらでも身辺調査は行わせているのですが、そちらの報告書も参照させていただけますか」
「そうおっしゃるかと思って持参しています。お渡ししておくわ」
 ヴェストパーレ男爵夫人は報告書をメックリンガーに渡した。
「で、元帥ご本人にはいつお話なされるおつもり?」
「2日後にフェザーンに会議で来られる予定なので、その後、数時間とってもらうよう、話をつけてあります」
「では、この話はその結果待ちね」
「大公妃殿下の方はどうなのでしょうか。ミュラー元帥でよろしいのでしょうか」
「べつに忌避される理由は何もないでしょうけれど、今の段階でミュラー元帥の名を明かして、アンネローゼに話すことは出来ません。アンネローゼがそれでいいと言って、もしミュラー元帥が拒絶すれば、アンネローゼが恥をかきます。拒否するならするで、それは必ずアンネローゼの側でなければなりません。彼女が先帝の姉で、皇帝の伯母で、皇位継承順位第一位の人であることを忘れてはなりません。万が一にも、彼女に恥をかかせることがあってはなりません。恥をかくなら、ミュラー元帥の方にかいていただきます」
 厳しい顔でそう断言したヴェストパーレ男爵夫人の顔を見て、メックリンガーはどうして彼女が皇家の人々から家族同然に扱われているのか、その理由を垣間見た思いがした。