Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(4)

 
 イゼルローン共和政府の最高幹部会の面々は、政府代表であるフレデリカを含めて、すべて軍人だった。後に歴史家は、「あれほど軍政を嫌ったヤン・ウェンリーの活動の行き着いた果てが、軍政そのものであった」と揶揄するのだが、その評価は過程を無視した余りにも一方的な見方である。
 そもそも、ヤン・ウェンリー自由惑星同盟のくびきを脱してさえ、自立することを望まず、あくまで文民の統制下に自らを置くことを徹底した。イゼルローン共和政府が結果として軍人ばかりになってしまったのは、エルファシル革命政府が瓦解し、文民のほぼすべてがイゼルローン要塞を去ったからである。
 ただ、急ごしらえの政府ということもあって法体系の整備が追いつかず、フレデリカのみは有権者の選挙によって信任されていたが、それ以外の要職者や指揮系統は軍をそのままなぞっていた。たとえばキャゼルヌ中将は、イゼルローン共和政府においては実質的に官房長官・国務尚書・首席補佐官に相当する任を果たしていたのだが、それはイゼルローン共和政府軍における総務・人事の責任者という職責がそのまま横滑りしたものだった。
 人格的にも制度的にも、政府と軍の垣根は無いに等しく、それを軍政と言えば確かに軍政だった。
 最高幹部会の席で、今後の方針について語り合う前に、帝国との間に調印された講和条約について、注意点をバグダッシュ大佐が指摘していた。
「当たり前と言えば当たり前のことなのですが、意外と見過ごされがちな重要な事実を指摘しておきます。講和条約は帝国とイゼルローン共和政府の間で調印され、バーラト星系がイゼルローン共和政府に自治共和政府の名目で割譲されることになりました。バーラト星系が、自治共和政府を作ることを認められたわけではありません」
「貴官の説明はいつも回りくどくていかん。俺みたいな朴念仁にも分かるように話してくれ」
 ラオ大佐が、しぶい表情を浮かべた。
「そうですな、ではお言葉通り、ラオ大佐のような朴念仁にも分かるように話しましょう。バーラト星系において自治共和政府を作ることを認められた主体者はイゼルローン共和政府であって、バーラト星系の何らかの行政機構やその住民たちではありません。たとえばこのまま軍事政権をかの地に立てて、すべての権力は我々、最高幹部会が掌握することも法的には可能だ、ということです。自由惑星同盟は正式の条約で以て帝国に併呑され、帝国が我々にバーラト星系はどうとでもするようにと認めたのですから、イゼルローン共和政府がバーラト星系の住民の意思を無視してどのような政治を行おうともそれは完全に合法であって、極端に言えば民主主義にさえ拘泥する必要はないのです」
「まあ敢えて極論をしているのだろうが、無粋を承知で言えば、民主主義の旗を降ろせば我々がここにいる意味もなくなるぞ」
「おっしゃるとおり、敢えて、極論を申し上げています、デッシュ准将。べつにバーラト星系において選挙を行い、民主政府を構築すると言うなら、それはそれで構わないのです。ただ、それを決める権限と責任が、この最高幹部会にはあるということを各々、認識していただきたい」
 軍人にはある意味、刹那的なところがどうしてもある。考えるのは文民等、別の人であり、自分はそれに従うだけ。制度的にはそれでいいのだが、現在置かれている状況はそうではないことをバグダッシュは指摘したのだった。ヤン・ウェンリーはかつてラインハルト・フォン・ローエングラムに言った。
「民主主義とは、民衆が他人に責任転嫁できないという一点において、勝っている政治体制です」
 しかしバーラト星系の住民は、今、状況を自らの意思や思考によって統制できる立場ではない。彼らは、やりとりされる贈答品に過ぎない。状況を決定する権限、そしてそこから派生する事柄に対するすべての責任は、そう広くはない会議室に集まっている15名弱の最高幹部たちが負うべきものである。制度と言うものは、一度決めてしまうと、なかなか土台から変えると言うことが出来ない。小規模な改変を積み重ねるだけであり、銀河帝国が今もって専制君主体制なのも、自由惑星同盟が形の上では民主主義体制であったのも、そもそもの最初の設計がそうなっていたから、数百年を経ても体制変換にはならなかったのだと言える。
 であればこそ、バグダッシュは思考者としては敢えて民主主義に固執せずに可能な限りニュートラルな立場から考え抜くべきだと言いたかったのであるが、その意図を理解したのはフレデリカやキャゼルヌ、帝国からの亡命者であったリンツなど数名のみであり、彼らでさえ、結局のところ思考を重ねた上で民主主義が妥当な体制だと考えていた。他の者は、おしゃべり屋のバグダッシュがまた長々と空論をぶっている程度にしか思っていなかった。
 ハイネセンに向けて航行中の戦艦ユリシーズのこの会議室で、バーラト星系の人々の命運を今後数百年に渡って拘束するだろう決定が下されようとしていることに、もっと重い自覚を持って欲しいとバグダッシュは思うのだったが、そもそもそうした視点は、彼のように本質的にはどこにも属さない境界の人だからこそ持てるのかも知れない。
 ここにいる者たちは、命もいらず名もいらずの精神で、圧倒的に不利な状況で、それでもなお民主主義の旗を掲げて戦った人たちである。そうした彼らに、民主主義そのものを相対化しろと言っても無理な話かも知れない。バグダッシュは民主主義を悪い体制と見ていたが、他の体制よりはまだしも悪の程度が許容し得る体制だと考えていた。バグダッシュのように、民主主義を一応は支持しながらも、その正義を相対化できていたのは、バグダッシュの人生の中でもヤン・ウェンリーただひとりであった。
 ヤン・ウェンリーは民主主義の正義なんかはこれっぽっちも信じていなかった。ただ、他の政治体制はより悪いと考えていただけである。言ってみれば「まだしもマシな悪」を選ぶために、ヤン・ウェンリーは地位も安穏な年金生活も捨てて、命を賭けて戦ったのだ。何と酔狂な話だろうか。とは言え、それはバグダッシュ当人も同じだった。
 バグダッシュもまた信じてもいない正義のために、こうして命を賭けている。
 そういう意味では、ヤン艦隊の面々の中で、思考態度においてヤン・ウェンリーと最も近似していたのがバグダッシュであった。そうであるがゆえに、なんだかんだと言いながらヤンはバグダッシュを信頼していたし、バグダッシュもそれに応えた。今、バグダッシュが何を言っても聞き流されてしまうように、多くの人々から支持されていたように見えたとしても、ヤンもまた本当のその根幹の思想の部分では孤立していた。
 ヤンとバグダッシュは、一時的な利益の協調のために結びついている、いわばヤン艦隊の人間関係の中でも、最もマキアヴェッリ的な関係だと見られていたが、実は最も純粋な意味において思想的な結合関係であった。マキアヴェッリが、現実の政治状況では時に鋭く対立したチェーザレ・ボルジアの行動原理を最も深く理解していた人物であったように。
 もっとも、ヤンの周囲にあって、ヤンの思想的理解はともかく、人格的影響を受けている人々がこの幹部会にはいて、フレデリカやユリアン、キャゼルヌ、アッテンボローらがそうであった。彼らはバグダッシュの言うことを実際的な選択肢としては支持はしなくても、その指摘が本質的なおかつ根源的であり、鋭く重要であることは理解していた。不理解には慣れているバグダッシュとしては、それでまずまずとするべきであった。どちらにせよ、今後実際に政府を動かしてゆくのはフレデリカやキャゼルヌなのであり、彼らが判断する時に、相対主義の猶予の精神がそこにあるならば、信念やら理想のせいで酷いことになるのは避けられるだろうから。
 バグダッシュの提議を受けて、一応、妥当な政治体制について短く意見提示が求められたが、ほぼ満場一致で、民主主義体制が是とされた。それはバグダッシュの予想通りでもあり、バグダッシュ自身も大枠で言うならば民主主義を支持していたのだった。
 ただ、本筋の話はここから先である。
 バグダッシュは発言を続けた。
「ここから先がまずは本筋の話になろうかと思いますが、私どもイゼルローン共和政府の面々、簡単にヤン一派と呼びますが、バーラト星系の政治的命運はまずはこのヤン一派の手中にあると言うことはお分かりいただけたかと思います。そして大枠において、民主主義体制を保持することが決定されたわけですが、ここから先においても幾つかの対立軸とそれに伴う選択肢があります。主なものを列挙してみましょう。
大統領制か議院内閣制か。
・諮問機関的な元老院を設けるか、設けないか。
憲法裁判所を設けるか、設けないか。
・中央集権か地方分権か。
選挙制度は何を採用するか。小選挙区制か比例代表制か。
・選挙権に年齢以外の制限を設けるか、設けないか。
もちろんこれ以外にも対立軸はありますし、ここから派生する対立軸もあります。ただ、これらについて議論する前に、私たち自身の立場をどのように規定するかをまず考えておく必要があるでしょう。その立場の相違は私が思うに3つの立場に集約できると思います。
・ヤン一派が政治権力のすべてを掌握する。もしくは制度的な形で指導的な権限を保持する。
・ヤン一派に制度的な特権は与えられないが、一政党を組織して、集団としてまとまった政治活動を行う。
・ヤン一派は、あらゆる意味において解体される。個々人が市民生活に戻り、その範囲内において各々の意思で政治活動を行う、あるいは行わない。
これを順に、A案、B案、C案とします。いずれにせよ、バーラト自治共和政府が正式に発足するまでは、帝国による譲渡先がイゼルローン共和政府である以上、私たちヤン一派が自治共和政府発足に向けて当面すべてを取り仕切る形、つまりA案の形になります。選択が求められるのはそこから先の話だということです。バーラト自治共和政府において、ヤン一派は制度的に指導的役割を果たすのか、あるいは普通選挙において一政党として出馬して、政党として影響力を行使するのか、それとも完全に解散するべきなのか、この点をまずは決めておく必要があるでしょう」
 まず多数決を行って、全員一致で、A案、B案、C案の中から、立場を選ぶことが決定された。次に、これは決定としてではなく、意見の分布を見るために、各自がこの三案のいずれを支持するかを表明した。
 最高幹部会は17名で構成され、そのうち、アッテンボローユリアンフェザーンに赴いているために欠席である。彼らはフレデリカに対して委任状を提出しており、フレデリカはこれについて3票を行使し得る立場にある。ポプランも最高幹部会の一員であったが離任が報告されたため、除籍になっていた。
 その投票の結果、分布は以下のようになった。
 A案、コリンズ憲兵大佐、マグナス大佐(キャゼルヌ中将の副官)
 B案、フレデリカ・ヤン(委任票としてアッテンボロー中将、ユリアン・ミンツ中尉)、キャゼルヌ中将、スール中佐、リンツ大佐、バグダッシュ大佐、シャルチアン中佐、コリンズ大佐、ニルソン大佐、ブラッドジョー大佐、アシュール中佐、ラオ大佐、デッシュ准将
 C案、マリノ准将
 分布が明らかになった時点で、B案以外を支持したコリンズ、マグナス、マリノは、「強いて選ぶならばと選んだまでだ」と言い、自説に固執する姿勢は見せなかったので、おのずとB案が採用されることになった。
 正式の党の設立はまた別の機会に行われるとして、続けて党名と基本理念について議題が移った。これについてもバグダッシュはあらかじめ準備を行っていて、
「小官は『ヤン・ウェンリー党』を候補として提出します」
 と述べた。
「何のひねりもないな。直截的過ぎるんじゃないかね」
 キャゼルヌが、個人崇拝の匂いを嗅ぎ取って、ほとんど反射的に反対の姿勢を示した。そういう形で自分の名前を利用されることを、ヤンならば嫌がるだろうことが分かっていたからである。
「おっしゃる通りですが、これにはそれを上回る長所があります。
 第一に、実態を表しています。そもそもから言えば、我々は旧同盟の第13艦隊に端を発し、ヤン艦隊として組織されたのですから、ヤン・ウェンリー党の名は、最も実態に即した名称です。
 第二に、政治姿勢を細かいニュアンスまで伝えられます。ヤン提督は言葉以上に生き方によってその思想を示されました。そして私たちは彼の下で共に戦った者たちです。我々がどのような政治姿勢を持っているかについては、ヤン・ウェンリーの名の中にこそ正確に込められているというべきです。
 第三に、党利党略において有利であることが挙げられます。ヤン提督の人気・名声は絶大なものがありますから、この名を用いればそれがそのまま我が党にスライドすることになります。
 第四に、私たちがヤン提督の継承者であることは過去の事実を見れば明らかであり、私たちがこの名称を用いれば他の者たちがヤン提督の名を用いることを予防できます。何しろヤン提督の名にはそれだけの引力があるのですから、私たちが使わなければ他勢力が用いるだけの話です。私たちが使えば、他の者たちは、ヤン提督となんら関わりが無いにも関わらず用いている名前泥棒という印象が強くなりますから、この名称の使用を抑制できます。ヤン提督がこのような形で、ご自分の名前を使われることを嫌っていたのは疑うべくもないことですが、どうせ利用されるなら私たちが節度をもって利用するのが彼のためでしょう」
「なるほど、おまえさんは何にでももっともらしい理屈を用意しているもんだ」
 キャゼルヌは皮肉を言ったが、筋が通っているので「反論」は出来なかった。
「褒め言葉と受け止めておきましょう。私から述べるべき提出理由は以上です」
 他に民主党や、共和党の名も出されたが、バグダッシュが最初に出した案の理屈が余りにもすっきりとしていたために、大勢はヤン・ウェンリー党に決しそうであった。しかし、ここでほとんど発言しなかったローゼンリッター連隊長のリンツ大佐が発言を求めた。
「先ほどのバグダッシュ大佐のご説明は実に筋が通っていて、政治的な理屈から言えば難をつけようがありません。しかしごく当然のことを指摘しますが、ヤン・ウェンリーは一個人であり、その名の使用に関しては当人の絶対的な意思が優先されるべきです。ヤン提督はすでに故人ですが、ご遺族はいらっしゃいます。ヤン夫人と、提督の被保護者であったユリアン・ミンツです。いかに外野から見て筋が通っていようとも、ご遺族がダメだと言うならばダメです。小官はバグダッシュ大佐の提出の党名案を採用するかどうかは、最高幹部会のメンバーでもある、ヤン夫人とユリアン・ミンツに一任されるべきだと考えますがいかがでしょうか」
 それもそうだという話になって、フレデリカに発言が求められた。フレデリカは自身の考えを述べた。
「私どもの考えを尊重して下さることに感謝いたします。夫の妻と言う立場から言えば、故人がこのような形で自分の名を用いられるのを嫌がっただろうと推測するのは容易です。その立場から言えば、反対すべきなのでしょうが、ここで反対したところで、他勢力が夫の名を利用するだろうことも、バグダッシュ大佐がご指摘の通り、おそらく確実だろうと思います。ひるがえって、イゼルローン共和政府の代表と言う立場から見れば、バグダッシュ案には捨てがたい有利さがあり、公的な立場から考えて、私はバグダッシュ案を支持します。いずれあちらで夫に恨み言のひとつも言われるかも知れませんが、そもそも私がこのような立場に立ったのも、あの人が勝手に行ってしまったせいですから、ここは当人に泣いて貰うことにします。しかし、これは家族の問題でもあるので、ユリアンとも話し合って、ヤン家として返答を出す猶予をいただきたいと思います。手続き的に言えば、ここにユリアンからの委任状がありますので、私の一存で決定することも出来るのですが、このことで多少なりともしこりを残すことはしたくありません」
 それで、明日の会議までに、フレデリカがユリアンの意向を確かめることになった。

 その話を聞いて、ユリアンは、
「そんなこと、提督は嫌がられるに決まっています!」
 と超高速通信の向こう側のフレデリカに向かって言った。ユリアン一行は皇帝葬儀の後、ハイネセンに向かうべく、ワーレン艦隊に同乗させて貰い、既にユリアン一行はハイネセンに到着していた。フレデリカと会談するに際しては、宿泊先のホテルの通信設備を利用していた。
「ええ、そうでしょうね」
「ならばどうしてフレデリカさんはその場ではっきりと断ってくれなかったんですか!」
「公人としてはバグダッシュ大佐のご意見がとても筋が通っていると思ったからよ」
「公人公人って、その前にフレデリカさんは提督の妻でしょう!」
「今は夫の妻である前に公人です。あなたもよ、ユリアン。私たちが数多くの人たちの幸不幸に直接の責任を負っていることを忘れてはいけないわ」
「そんなことは分かっています!分かってるけれど、けれど…」
 もし銀河の波濤を越えて、手が伸ばせるならば、フレデリカはユリアンを抱きしめたかった。ユリアンにもバグダッシュ案が筋が通っていて、公人としては反対すべきではないことは分かっていた。ここでそれを撥ね退けても、いずれヤン提督の名が政治勢力によって利用されることも分かっていた。それでも、いくら理不尽であっても、家族ならば、家族の意思を尊重し、そのために戦うべきではないのか。その思いは、フレデリカとは言うまでもなく共有できていると思っていたので、ユリアンはフレデリカにも裏切られた気がして傷ついていた。
 その傷は、この少年がいかにこれまで自分を殺して、叱咤して、踏みとどまって頑張って来たかの表れである。ヤンの家族で有ればこそ、その理想を継承すべく、少年が抱えるには大きすぎる責任をユリアンはこれまで懸命に抱えてきた。それを知っているフレデリカだからこそ、ユリアンが怒っているにも関わらず、ユリアンを愛おしく思ったのである。
「ヤンのために怒ってくれてありがとう。私は政府の代表として、もうそのようには振る舞えないの。このことで意見が違ったとしても、そう言ってくれたことに心から感謝するわ、ユリアン。あなたがどうしても嫌と言うなら、断りましょう。けれども、私の意見は変わりません。あなたは私の意見を尊重することも出来るわ」
 そういう形で、ヤンを裏切ることの責任をフレデリカひとりにかぶせることも出来る。むしろそうして欲しいとフレデリカは思った。
「ヤン提督は僕の家族です。法的な意味で養子になったわけじゃないけれど、あの人は僕の父でした。そしてフレデリカさんも僕の家族です。家族ならば、退くも進むも一緒です。必ず最高幹部会にお伝えください。ユリアン・ミンツは自分の名と責任においてバグダッシュ案を支持します」
 ユリアンがここで拒絶したとしても、フレデリカは賛意を示したと言う事実は残る。ユリアンが反対したにも関わらずフレデリカは支持したと言うことになればフレデリカを攻撃したい者たちに格好の材料を与えることになる。
「なあに、ヤン提督はあの女にたぶらかされていただけで、あの女の方は夫のことをちっとも大事に思っていなかったのさ。その証拠に、ヤン提督の名を利用することについても、ユリアン・ミンツは反対したのにあの女は賛成したじゃないか。結局、あの女は自分の権力が欲しいだけで、ヤン提督のことはユリアン・ミンツほどには思っていなかったのさ」
 そのような陰口が叩かれるのは目に見えている。
 ユリアンは自分が利用されて、フレデリカが攻撃されるのだけは家族として防がなければならなかった。
「ねえ、ユリアン。あなたはヤンが私たちを置いて行ってしまったことについて、怒りを感じるようなことはないの?」
「そんなことは…ありません。提督だって好き好んで死んだわけじゃありませんし、きっと死ぬ前にフレデリカさんや僕に謝っただろうと思いますから」
「そうね…。でも、私はあるわ。こう言うことがあれば特にね。あの人が残していったものを守るために、私は純粋にあの人の妻として生きることさえ、許されていないわ。これが辛くないわけがないじゃない」
「そうですね。すいませんでした。僕が迂闊なことを言ってしまいました。フレデリカさんのお気持ちを分かっていないわけじゃないのに、自分本位の子供じみた態度をみせてしまいました」
「私はね、あの人が死んだ時、きっと時がいつか癒してくれるだろうと思っていた。そう思わないと生きてはいられなかったのよ。でも半年が過ぎて一年が過ぎても、悲しみの塊のようなものは消え去りはしない。ひとりねをする時に今でもどうして横にあの人がいないんだろうって思ってしまうの。そしてそのたびに、あの人に、私を置いて行ったあの人に怒りを感じるのよ。毎日毎晩よ。ただひとつだけ良かったと思うのは、あの人よりも先に私が死なずに済んだと言うと。あの人にこんな気持ちをさせなくて済んだのだもの。ごめんなさい。今日の私はどうかしているわ。こんなことを話せるのも今はもうあなただけになってしまったわ」
 溢れだした涙を拭って、フレデリカは笑って見せた。そして「ミンツ中尉」に対して礼をして、通信を終えた。
 ユリアンは数分、席に座ったまま、己の迂闊さを責めていたが、大きなため息を漏らして、立ち上がると、背後にカリンが立って、涙を流していた。
「ごめんなさい、あたしそこの物陰から話を聞いてしまって…」
 涙の中からそれだけをカリンは絞り出すようにして言った。ユリアンはカリンを抱きしめた。
「カリン。僕よりも長く生きてくれ。君を失ったら僕は気が狂ってしまうかも知れない」
 必死に頷くカリンを見て、いや、とユリアンは首を振った。
「やっぱり、僕の方が長生きした方がいいかな。君にフレデリカさんのような思いはせさたくない。絶対に」
 そう言いながら、ユリアンも涙を流した。この時、初めて、ユリアンはヤンに対して小さな鋭い怒りを覚えた。
 提督、どうして死んでしまったんですか。
 言っても詮無いことながら、その言葉が脳裏を駆け巡った。
 どうしてフレデリカさんを一人にしてしまったのですか。
 その苛みの大きさを思えば、たとえいまわのきわでヤンがフレデリカとユリアンに謝ったとしても、それでけではとうてい釣り合わない大きな失策というしかなかった。