Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(10)

 ハイネセン郊外の空港に、戦艦ユリシーズから第一陣の連絡艇が着陸すると、待ち受けていた十万を超える群衆は、大喝采でイゼルローン共和政府の面々を迎えた。
 その熱狂は、フレデリカやキャゼルヌ、出迎えていたユリアンアッテンボローにとってもむしろ恐怖を感じさせるほど圧倒的なものであり、帝国軍は熱狂が暴動にすり替わらないか、神経をはりつめて警備にあたっていた。フレデリカはそのまま旧自由惑星同盟最高評議会議長官邸に入り、幾つかの官公庁を政府庁舎として用い、大規模ホテルの幾つかを当面、帰還者たちの住居として接収することを決定した。帝国軍が退去すれば、膨大な数の官舎の空きが生じるはずだったから、住居の不足は解消されるはずだった。
 バグダッシュは政府スポークスマンに就任し、今後の政治スケジュールについて記者会見を行った。
「私どもヤン・ウェンリー党はおおむね、旧同盟憲章をそのままではありませんが、基本的にはその体制を復旧させるつもりです。もちろん、バーラト自治政府銀河帝国自治領にとどまることは大前提ですので、自由惑星同盟が再建されるわけではありませんが、行政や司法については、改めるべき点は改めた上で、大枠では同盟の体制を引き継ぎたいと考えています。
 ただし正式の憲法発布は、新議会によって行われる予定であり、新議会は、18歳以上のバラート星系のすべての住民を有権者とし、十一月十五日に比例代表制によって総選挙を行い、成立する予定になっています。
 その間は、イゼルローン共和政府が存続し、その法によって統治が行われることになります。選挙管理については公平を期すよう全力を尽くしますが、共和政府から独立した独自の選挙管理委員会を今週内に発足させたいと考えています」
 バグダッシュの声明を待たずして、既に幾つかの政党が結成され、選挙活動に入っていたが、少なくともハイネセンについては、この日の状況を見る限り、ヤン・ウェンリー党に対する支持は圧倒的だった。
 しかし他の惑星の状況は未だそれほどクリアではない。
 自由惑星同盟はその名の通り、主体となる行政単位は惑星であった。惑星内の州ではなく、星系でもなく、惑星単位で自治主体がもうけられ、それら惑星が連合することによって、同盟を結成していたのである。エル・ファシルのように、辺境の星系であれば、星系そのものがカントンと呼ばれる自治主体を構成している場合もあったが、バーラト星系のような「歴史のある」星系では、カントンは惑星ごとに置かれていた。
 惑星ハイネセンはバーラト星系の盟主であり、かつては人類の半分の上に君臨していたが、バーラト星系内の他のカントン、たとえば惑星テルヌーゼンなどは、ハイネセンに対抗意識を持ち、政治的な選択でもしばしばハイネセンの世論とはまた違った傾向を見せることがあった。ソーンダイクは自身にとっては故郷であるテルヌーゼンに拠点を移し、政党「民主主義者同盟」を起ち上げ、ハイネセンを本拠とするヤン・ウェンリー党に対抗する構えを見せていた。
 ヤン艦隊の面々の中にも、テルヌーゼン出身の者は数多くいて、たとえばデッシュ准将がそうだったが、デッシュが言うには、テルヌーゼンにハイネセンへの対抗意識があると言ってもしょせんはコップの中の波が高いか低いかを競い合っているようなもので、ソーンダイクの党が地域政党としての求心力を持つことはまず考えられないと指摘した。
 比例代表制だから、議席を独占するようなことはあり得ないが、ヤン・ウェンリー党が過半数を確保するのは現場の人間のほとんどが意見として一致していたし、ジャーナリズムの調査によっても裏付けられていた。

 ハイネセン到着のその日はそれぞれゆっくりと休んで、フレデリカとユリアンは翌日の正午近くになって、ワーレンとエルスハイマーが待つ帝国政府合同庁舎へ赴いた。
 軍の解体の確認書にユリアンは軍司令官として署名し、現在、惑星ハイネセンの赤道軌道上の宇宙空間を周回しているイゼルローン共和政府軍の艦船は、帝国軍に引き渡されることに合意した。ただし戦艦ユリシーズは、ヤン・ウェンリー、ならびにユリアン・ミンツの旗艦として、記念艦として保存されることになり、当面、帝国軍がウルヴァシーで保管することになった。状況が落ち着けば、大気圏突入仕様がほどこされ、ハイネセンポリスにて保全されるべく、バーラト自治政府に引き渡される予定であった。
 行政機構に引き継ぎについては、エルスハイマーとフレデリカが署名し、最後に、政府全体の引き継ぎ確認書類に、フレデリカとワーレンが署名した。
「ワーレン提督、よろしければこのペンを受けとってくださいますか」
 フレデリカはたった今、署名に用いた万年筆をワーレンに差し出した。
「これは?」
ヤン・ウェンリーが愛用していたものですの。元はと言えば、私が士官学校で候補生だった時に、学校の購買で買い求めた市販品なのですが、ヤン・ウェンリーが筆記用具を忘れた時に貸したところ、妙に手になじんで書きやすいということで、私からとってしまったものなんですよ。これを是非、今日の記念として、ご子息のトーマス君に差し上げて下さい」
「いやあ、これはかたじけない。ヤン提督ご愛用の品であれば、倅なんぞにやらずに小官がいただきたいくらいですが、ここはお言葉通り、倅を有頂天にさせてやりましょう。いいものをいただきました。ありがとうございました」
 先日、カールソン家での夕食にユリアンがワーレンも誘ったところ、ワーレンが話のついでに、ユリアンに「出来ればヤン提督のよすがとなるような、ワッペンのようなものを倅にいただけないか」と頼んでいた。
 そう言われて改めて考えてみると、ユリアンはこれという遺品を持っていなかった。ヤンと暮らした日の品々の多くはフレモント街のヤン邸が炎上した時に、家と運命を共にしていたし、それ以後にヤンが日常使っていた物はフレデリカのところにあったからである。ワッペンと言えば、そう言えば、大佐の時の階級章を貰ったはずだと思いだして小物入れを整理したらそれは見つかったが、それをあげても良かったのだが、考えてみればそれは同盟軍の階級章である。ワーレンは気にしないだろうが、よくよく考えてみれば、帝国元帥が同盟軍の階級章を貰って、にこにこと喜ぶというのは政治的にかなりまずいのではないか。
 少なくとも、ワーレンを追い落とそうとする者がもし現れた際、利用されかねないのであって、ユリアンとしてもワーレンには今では友情を感じていたから、ワーレンに危ない橋を渡らせるわけにはいかなかった。
 そういうわけで、フレデリカがハイネセンに到着してすぐに、実はこうこうでと相談したところ、じゃあ、この万年筆を差し上げましょうということになったのだった。筆記用具なら、学生への贈答品としてそれほど奇異には映らないはずだった。