Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(13)

 宇宙暦801年、新帝国暦3年11月15日、バーラト自治政府最初の総選挙の日であった。
 バーラト自治共和政府の国旗というようなものは未だなく、イゼルローン共和政府の国旗も広く流通していたわけではないので、通りには、旧自由惑星同盟の国旗が掲げられた。帝国の面子を尊重するという観点から言えば、帝国を刺激しかねないその行為は政治的には望ましいものではなかったのだが、民衆が自然発生的に行っていることだから規制のしようがなかった。
「おお友よ
 専制者荒れ狂わんとも
 我は立ち、君は立ち
 自由のたいまつを掲げん
 我らふたたび
 隷従することあたわず」
 自由惑星同盟の国歌や第二国歌が歓喜の声と共に通りで歌われていた。形式上は、バーラト星系は自治を与えられたに過ぎず、帝国の属領ではあり続けるのだが、実質的にはこれは再独立であった。自由惑星同盟滅亡以来、叩きのめされていた自由の誇りが、最も純粋な理念となって、この日、バーラト星系の人々の背骨を形作った。
「これは危険な兆候ですね」
 通りの様子を移すテレビの画面を見ながら、バグダッシュは官邸のフレデリカに言った。バグダッシュはフレデリカの首席補佐官として、新政府が発足すれば官房長官としてフレデリカの最側近として支えている。
「帝国をいたずらに刺激しかねない」
 あくまで戦術的に言えば、ブリュンヒルトのはらわたにユリアンたちが食らいつき、ラインハルトの面前で膝を屈さずに対峙したとは言っても、本当のことを言えば帝国が譲らなければならない理由などはなにも無いのである。帝国がユリアンたちを勇者として認め、それなりに処遇したのは皇帝ラインハルトの個人的な矜持ゆえであって、帝国軍が圧倒的に有利な状況であるのは何ら変わらず、いわばフレデリカたちはラインハルトの矜持と慈悲の結果としてバーラト星系を受領したに過ぎない。
 まるで自分たちで勝ち取ったかのように見えるのは、ラインハルトが言わば矜持のゲームとして、そのように設定したからであり、ゲーム盤をひっくり返す権限は帝国側のみが握っている状況に変わりはなかった。
 バーラト自治政府の発足があたかも自由惑星同盟の復活かのように受けとられれば、生存が危うくなるのは帝国ではなくバーラト自治政府の方であった。
「この程度のことは帝国も織り込み済みでしょう」
 フレデリカはさほど重大には受け取らなかった。飢えた者に食事を与えればがっつくのは当たり前だからである。自由惑星同盟は理念の上から言っても決して敗北してはならなかった。しかし実際には敗北に敗北を重ねた。そのことはむろん、市民たちにとっては衝撃であり、鋭い痛みであったが、ことは単純に軍事的な問題ではなく、理念の敗北と言う、アイデンティティの危機を各自にもたらした。そういう中で、皇帝の矜持にすがった結果であったとしても、とにかく民主主義者たちが再び勝ち取った勝利がこの選挙なのである。市民たちが歓喜するのは当然であった。
 とは言え、この歓喜が燎原の野火のように旧同盟領に広がる可能性はある。報道は抑制され、バーラト星系外では単に事実報道を伝えるにとどまっている。ヤン・ウェンリー党もイゼルローン共和政府も、バーラト星系を越えて広報することを慎んでいた。それは暗黙の合意であったが、帝国とそうした暗黙の合意を重ねることによって、フレデリカたちは帝国の支配にはからずも加担しているのかも知れなかった。
「ただいつまでも私たちは中間管理職ではいられないかも知れません」
「ヤン夫人、それはつまり」
 フレデリカの言葉に驚き、バグダッシュは思わず問いただそうとしたが、その問い自体が余りにも重大であることに気づいて、バグダッシュは言葉を切った。フレデリカはバグダッシュを横目で見て微笑み、そして口ずさんだ。
『我らふたたび
 隷従することあたわず』
 この選挙はバーラト自治共和政府のものであり、バーラト自治共和政府のみの損得を言えば、あくまで帝国との協調路線が保持されるべきであった。しかしその市民たちの声はどうであるのか。その本当の願いはどうであるのか。
 再び掲げられた自由惑星同盟の旗を見て、立ち尽くして涙を流す無数の人々の思いはどうであるのか。
 隔離されたこの星系で、民主主義の真似事をしているのではなく、たとえ我が身を再び戦乱に委ねようとも、市民たちが望むものが自由惑星同盟の復活であるならば。
 父の叛乱、夫の死という幾つもの試練を経て、フレデリカは政治家として急速に成長した。その眼差しは徹底的な現実主義であり、いかなる神をも持たないバグダッシュから見ても、その姿勢には危うさはまったく無かった。しかし人と言うものが分からないものだということもバグダッシュは知っていた。その心のうちの本当のところは誰にも分からない。
 ミュラーやワーレンと言った帝国上層部とも深い親交を結び、フレデリカは情勢をこのまま安定させてゆくつもりなのだとバグダッシュは疑いもなく信じていた。ヤン・ウェンリーならばそうしていただろう。ヤン・ウェンリーは自身は強固な民主主義者でありながら、理念の美酒に酔うことは決してなかった。同盟の将として戦っていた時でさえ、彼が望んでいたのは、たかだか数十年の平和に過ぎなかった。理念の勝利ではなかったのである。
 バグダッシュはフレデリカがヤン・ウェンリーの後継者であるがゆえに、そのままイコールで結んでしまうという致命的な失敗を自分はしていたのではないかと思った。夫と妻であれ、別の人格、別の人間なのである。そのことを失念していた自分のうかつさに、バグダッシュはたじろいだ。
 ハイネセンポリスのテレビ局がたかだかと映し出した自由惑星同盟の旗を、じっと見つめているフレデリカを見ながら、バグダッシュはこれから行く先が自分が思ったようではないことを知った。

 選挙の結果は夜半過ぎには判明し、定数600議席のうち、ヤン・ウェンリー党は495議席を獲得した。最大野党はソーンダイクが率いる民主主義者同盟であったが、65議席を得たにとどまった。
 フレデリカは議会で直ちに首班指名を受け、内閣総理大臣に就任した。議員の互選によって自治政府総督が選出され、ホアン・ルイが名誉職の色彩が強いその職に就いた。
 明け方までに閣僚名簿が発表されたが、人々を驚かせたのは旧トリューニヒト派数名が含まれていたことであった。むろん、その中核的な人々はそもそも議員に選ばれていなかったが、たとえばウォルター・アイランズ財務大臣に選出されたことは、いかに彼が国防委員長としては仕事をしたとは言え、旧トリューニヒト派としての経歴もある以上、市民の反発をかいかねない人事であった。
「トリューニヒト氏の評価がかんばしからぬものであることは承知していますが、彼は最高評議会議長であったのです。つまり同盟の中枢であり、旧トリューニヒト派と言ってもその大半は同盟の中枢で働いていたに過ぎません。そもそも有能の士であったから政権中枢にいたわけであって、経験のない私どもが政権を運営してゆくうえで、彼らの助力は欠かせません」
 フレデリカは内に向けても外に向けてもそう語り、仲間割れしている場合ではないことを強調した。
「私たちは民主主義の種であり、たいまつなのです。大義の前において、過去のことにこだわっている余裕はありません」
 市民の多くもそれを聞いて、しぶしぶではあったが納得はしたが、バグダッシュ大義と言う言葉をフレデリカが持ち出したことに、小さな恐怖を感じた。大義が別の大義とぶつかれば、それは理念そのものであるがゆえに妥協性がまったくない。大義と言う言葉を用いたが、その大義が何なのかはフレデリカは述べなかった。
 バーラトは民主主義の種であるのだから、帝国といさかいをせずに温存してゆくのが大義であるのか。
 あるいは根を伸ばし、葉を茂らせ、いつの日か大樹となって、銀河の半分から帝国を放逐することが大義であるのか。
 バグダッシュはフレデリカは前者の意味で言ったことを望んだが、確認は出来なかった。もし後者であったならばとの恐怖にすくんだからだった。