Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(3)

 相対的な縮小は軍に特に顕著であったが、行政機構、特に中央政府についてもそれは言えた。銀河の半分を統治していた政府が、銀河のすべてを統治するようになっても、規模として2倍に膨らんだわけではない。目前の課題に対応してゆくうちに、銀河帝国政府は期せずして徹底した効率化、行政改革を実行していたのであった。
 その結果、帝国は皇帝ラインハルトの在世中からすでに大幅減税に踏み切っていた。旧帝国領では平均的な市民の租税負担が従来より25%は低下していたし、旧同盟領でも、15%は低下していた。旧同盟領では大幅に規制緩和をされたこともあって、GDPの平均成長率が年6%を記録していて、旧帝国領ではそれよりはやや緩やかではあったが、成長路線に乗っているのは間違いなかった。
 旧同盟領では参政権が停止された状態であるにもかかわらず、反帝国運動が市民レベルにまで拡散していないのは、市民の生活が目に見えて向上している事実があるからである。
 経済は帝国の任務であると同時に命綱でもあった。
「イゼルローン回廊はフェザーン回廊と並んで、物流の拠点になります。イゼルローン回廊の両端はこれまで帝国にとっても同盟にとっても辺境地域でしたが、この地域の今後の経済成長率は特に高くなるでしょう。この地域の総督権限を提督に委ねるのは、この地域の有機的な連携を強化して、確実な成長路線に乗せて欲しいからです」
 軍事的な効果から言っても、イゼルローン要塞を維持する利益は甚だしい。旧帝国領と旧同盟領のイゼルローン回廊地域を抑えるために、回廊が分断されていればそれぞれ一個艦隊、計二個艦隊が必要だとして、イゼルローン要塞を帝国が保持してそこに一個艦隊を駐留させておけば、旧帝国領と旧同盟領で同時に紛争が起きない限り、一個艦隊で事態に対応することが可能なのである。しかもイゼルローン要塞を保持しているならば、旧帝国領と旧同盟領で同時に紛争が起きるとしても、その連携を断つことは容易であった。
 二つの回廊地域、フェザーン回廊とイゼルローン回廊は、扇の要であり、そこを握る者が、軍事、経済、物流、情報のすべてを掌握するのである。フェザーン回廊は帝国政府そのものが抑え、イゼルローン回廊はワーレンに委ねられることになる。
 イゼルローン要塞司令官職が重要な任務であることはワーレンはむろん承知していたが、全体図を描かれて、これほど致命的に重要な任務であるとは想像していなかったので、度肝を抜かれた。
「しかし何故、その任が小官に与えられたのでしょうか。小官の才に比して、余りにも巨大な任であるように思えますが」
「いえいえ、そのようなことはありません。まず第一に、イゼルローン回廊はイゼルローン要塞によって保全され、イゼルローン要塞は軍事力によって維持されると言う点があります。何を皮算用しようとも、すべての始まりは軍事力なのですから、この任は軍人に、それも軍全体ににらみを利かせられる元帥級の人物があたるべきでしょう。そしてこの任は行政官として高度な能力も要求します。提督にはハイネセンで治安維持活動にあたっていただいていますが、ただ、軍事力をみせつければ済むというような土地ではないあの難治の惑星で、ワーレン提督の手腕は傑出したものでした。
候補として考えたのは、メックリンガー提督とワーレン提督のおふたかたでしたが、メックリンガー提督が軍務尚書に充てられたから残ったワーレン提督をこちらに回したというわけではありません。柔軟な経営の実績と才能において、ワーレン提督の方が勝ると判断したからです。
もうひとつ、非常に重要な点があります。私が提督になんでも話しやすいからです」
 現存する元帥たちはいずれも明朗闊達にして公明正大であり、ヒルダが皇帝の首席秘書官であった頃から、親しく付き合っていたが、中でもワーレンには生来の諧謔癖があり、謹厳な人物ではあったがその生真面目さをユーモアを交えて提出する才に長けていた。その点を、ヒルダは特に高く買ったのである。
「確かに、おそれおおいことではありますが、陛下とはかねてより親しくさせていただいていますが、それは何も私ばかりではないように思われますが」
「いいえ、例えばです。例えば、提督の今日の下着の色は何でしょうか」
 唐突な物言いに、ワーレンとても動揺しないわけではなかったが、それは表に出さず、平然と、
新雪のような白であります、陛下。おそれながら、同じ質問を私も陛下に対してなすべきでありましょうか」
と言った。そのような際どいことを言っても、やはり性根の真面目さが見えるところに、ヒルダは笑った。
「つまり、そういうことです、ワーレン提督。コミュニケーションがいかに大事かということです。このことは誰もが分かっていますが、分かっていたからと言って実行できるわけではありません。実行することが人として正しいというわけでもありません。
古いことを言うようですが、私はロイエンタール元帥のことを思い出すのです。ロイエンタール元帥は立派な人物でしたが、決して自分の心のうちに誰にも踏み込ませることはなさりませんでした。そのことを責めているわけではないのです。しかし私たちに、ロイエンタール元帥の本当の気持ちが何なのかは分かりませんでした。ご当人も分かりかねていたのかも知れませんが。
エルフリーデ・フォン・コールラウシュがロイエンタール元帥の子を産んだと知って、知っていれば堕胎させたと元帥はおっしゃいました。その時は、本当にそう思ったのかも知れません。
しかし元帥にその子が委ねられて、自らは死にゆこうとする際に、元帥はその子をミッターマイヤー元帥に委ねられました。これ以上はないという引き取り先です。愛情の点から言っても、経済的にも、そして敢えて言うならば賊将の子を守る権力という点から言っても、ミッターマイヤーご夫妻ほど、その子を幸福に出来るご夫婦は銀河広しと言えどもそうはないでしょう。ロイエンタール元帥は我が子に対して、それだけの配慮をお示しになったのです。
そのお心のうちを私たちが安易に詮索しないのは、敬意があればこそです。しかしその敬意が、心の中を知ることを阻むとしたらどうでしょうか。ロイエンタール元帥は敢えて自身を説明しない孤高の方でした。その誇りが、そして私たちの中にあった彼への敬意が、結果としてロイエンタール元帥のお心のうちを分からなくさせました。その孤高ゆえに私たちは分断され、元帥は敵に利用されてしまったのです」
 そう言って、ヒルダは立ち上がった。ワーレンも立ち上がり、おのずと不動の姿勢を示した。
「ワーレン提督。あなたをイゼルローン要塞司令官、イゼルローン駐留軍司令官、イゼルローン方面軍司令官、イゼルローン総督、および付随諸星系総督に任じます。お分かりでしょうが、あなたが担う権力は、私自身を除けば銀河系でも最大のものと言って良いでしょう。ある意味、その潜在的な力はミッターマイヤー元帥をも凌駕することになります。あなたは創建の時代を担うのです。あなたがこの任を離れれば、あなたの職掌は複数の人物によって分割され、また、その任期も短期で交代させられることになるでしょう。それほどこの権力は巨大なものであり、創建の時代であればこそ、あなたひとりに権力を集中させる必要があるのです。もしあなたが望めば、イゼルローン要塞にて帝国に対抗して割拠することも可能です。もちろん万に一つもあなたがそのようなことをなされるとは考えていませんが、遠い距離を隔てて、間に何十人、何百人もの人を挟めば、まさかがもしやに変わることがないとは言い切れません。私たちは少なくとも週に一回は超光速通信で直接会談の機会を持たなければいけません。そしてその時には互いに敬意を持ちながらも、そのために聞くべきことも聞けない、言うべきことも言えないというようなことがあってはなりません」
 ワーレンは敬礼した。それに対して、ヒルダは深々とお辞儀をした。それが会談終了の合図であった。
 執務室をワーレンが出ようとした時、ヒルダが思い出したように、呼び止めた。
「そうそう、まだ先ほどのご質問に答えていませんでした。実は私も新雪のような白なんですよ。奇遇ですね。と言っても、私はこの色しか用いませんけれどね」
 ヒルダは茶目っ気たっぷりに笑って見せた。