Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(2)

 ミュラーイゼルローン要塞に出発して直ぐに、ワーレンもバーラト星系の引き渡し準備をすべく、惑星ハイネセンに戻ろうとしたが、その前に、ヒルダがワーレンとの面談を希望した。
 ヒルダはすでにルーヴェンブルン宮殿の西翼に移り、そこで執務を執り行っていた。ルーヴェンブルン宮殿は細部に至るまで、亡きシルヴァーベルヒ工部尚書の設計意図が具現化されていた。宮殿を建設するに当たり、ラインハルトは「余分な装飾は要らない。ノイエサンスーシーのような紛い物に住むのだけは御免こうむる」とだけ希望を述べていた。ノイエサンスーシーのモデルになったプロイセンのサンスーシー宮殿がもともとヴェルサイユ宮殿を模したものであるだけに、ラインハルトはそれを「紛い物の紛い物」と呼んでいた。その宮殿がゴールデンバウム王朝の牙城であったことからことさら嫌悪していたという面もあったが、元々、過剰な装飾を好まなかった、という側面もある。
 ただ、これについては、実用一点張りではない戦艦ブリュンヒルトの造形をラインハルトが好んでいたと言う反証もあり、装飾が無秩序に増幅するようなカオスは嫌っても、統一された美意識をラインハルトは嫌っていたわけではないとの見方もある。皇帝の本拠地と言えば、ノイエサンスーシーが直近の例であるだけに、ノイエサンスーシーの趣味の悪いレプリカにならないよう、それだけは強くラインハルトは念を押した。
「紛い物の紛い物の、そのまた紛い物を我が王城にすれば、これ以上の恥辱はない」
 ラインハルトは、シルヴァーベルヒにそう言った。
 そうはいっても、皇帝の居城と言えば、視覚的に政治的な効果も求められるのであってただの立方体を作ればいいと言うものではない。シルヴァーベルヒはラインハルトの希望を尊重しつつ、過去の建築様式を参考にして、ル・コルビジェの建築群をアイデアにして、独自の機能美を生み出すことに成功した。この建築様式は後に、ルーヴェンブルン様式、もしくは設計者の名をとってシルヴァーベルヒ様式と呼ばれ多くの模倣建築物を生み出すことになった。
 西翼はオフィス棟であり、最上階には、フットボールコート二面分はある広大なフロアが仕切りなく広がっていて、そこには新設された皇帝府のスタッフたちが、数百人働いていた。皇帝府とはいうものの、実際には摂政皇太后府であり、各省庁や軍、大学から選ばれたスタッフたちが直接、皇太后の手足となって、調査、企画、遂行にあたることになる。さすがにまったく間仕切りが無いのは警護上問題だというので、皇太后とその直属のスタッフたちのみが入る執務室が別途に設けられたが、その間仕切りもガラス張りであり、皇太后からも皇帝府のスタッフたちの仕事ぶりが見えるし、スタッフたちからも皇太后の姿が見えるのであった。
 ヒルダが執務場所をここに移動したのを期に、続々と新しいスタッフたちが皇帝府に配属になり、文字通り、帝国行政の心臓としてこの部屋は機能し始めていた。皇帝府の機能が大きくなり過ぎて、内閣の権限を侵食するようになり、国務尚書マリーンドルフ伯爵は他の尚書たちに突き上げられて娘に苦言を呈するのだが、それはもう少し後の話である。
 ワーレンが、皇太后執務室に入ると、ヒルダは立ち上がり、対面ソファにいざなった。同じ部屋の中にはヒルダの直属の補佐官たちがつめている。
 首席秘書官のヴェストパーレ男爵夫人は自身も数名の部下を用いながら、ヒルダのスケジュール管理や、細々とした要望に対応していた。報道官としては、クラウゼヴィッツ男爵がいたが、ヴェストパーレ男爵夫人は副報道官を兼務し、特に重要な、皇太后が直々に国民に送るメッセージのようなものの広報をも担当した。
 彼女以外にもそれぞれの分野の補佐官たちが一室にいて、家族的な雰囲気を醸し出していた。この部屋には皇太后の愛犬のヨークシャーテリアが好きに徘徊していたが、彼は皇太后がソファに腰かけると、ソファに飛び上がり、皇太后の膝ににじりよった。
「お忙しいところをおよびだてしてもうしわけありません、ワーレン元帥」
「いえ、陛下こそお忙しいところ、私などのために時間を割いてくださり、恐縮です」
「今日は、イゼルローンでの任について改めて話しておきたいと思ったのです」
 ヒルダは話を始めた。
 リップシュタット戦役後、大貴族の資産を国庫に接収することによって帝国の財政は大幅に改善された。その後、皇帝ラインハルトによって銀河系が統一され、帝国の国内総生産の規模は、1.75倍になった。対して、帝国軍は増員されていない。ロイエンタールの反乱やイゼルローン攻略によって減少した分を補充していないことから、むしろ縮小した。その規模は、リップシュタット戦役直後から比較すれば、0.9倍である。定期的に補充はしていても、その規模を縮小し、相対的にはほぼ半減に近いレベルでの軍縮が既に実行されている。
 イゼルローン共和政府との講和もなり、外敵がいなくなったこともあり、それは当然の結果ではあったが、このことによって国家予算に占める軍事費の割合は劇的に低下し、その分を民生向上に割り当てる余力となっている。
「数年内に大学教育の無料化に踏み切るつもりです。それもこれも、統一がなされればこそです」
「軍人としては軍縮はいいことばかりとは言い切れませんが」
「もちろん、これ以上はなるべく軍に負担をかけないようにするつもりです。銀河系全体が統一されたことによって、物流の動きも活発化しています。経済成長が軌道にのれば、軍の規模を維持しつつ、更に福祉を充実させることが可能になります」
 そのためのカギとして、イゼルローン要塞が非常に重要であることを、ヒルダは数字を示しながら語り始めた。