Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(4)

 期せずして生き延びた。それがシュナイダーの正直な感慨であった。彼は厭世家ではないので、積極的に死を選びたいとまでは思わなかったが、自らが自由惑星同盟への亡命を勧めたメルカッツ提督が死してまで、副官たる自分が生き延びたこと、生き延びてしまったことに忸怩たる思いはあった。回廊での最後の戦いで、戦艦ヒューペリオンに乗坐して皇帝軍を相手にして互角の戦いを展開したことで、メルカッツは用兵家としてはまったくの後悔もなく燃焼しきったと言っていい。その傍らで黄泉へと旅立つことが出来ていたならば、シュナイダーの人生の物語にも綺麗な終止符が打たれていただろう。
 しかし現実にはシュナイダーは生き延び、イゼルローン共和政府と帝国の間には和平が成立した。生き延びてしまったのであれば、生きてゆくうえでの目的のようなものをシュナイダーは模索しなければならなかった。
 客将としてメルカッツとシュナイダーがヤン艦隊に合流してもう随分長く、数多くの戦いを共に戦ったとあって、メルカッツとシュナイダーが未だに帝国軍の軍服を着用していたとしても、彼らが仲間ではないと思う者はもはやヤン艦隊の一兵に至るまでいなかった。メルカッツとシュナイダーにしても、出自と立場の違いはあったにせよ、シンパシー的にはもはや民主共和主義者と言ってもいいほど、ヤン・ウェンリーが掲げた旗に慣れていた。
 このままヤン・ウェンリー党に留まり、新政府に参画するよう、キャゼルヌやスール、そしてフレデリカからも随分説得を受けたのだが、シュナイダーはやはり自らの生まれによる境遇を思えば、一線を引かざるを得ないのだった。今さら別に、帝国や専制政治に忠誠の念があるわけではない。しかしゴールデンバウム王朝に一度は忠誠を誓った身であり、もはや滅びた王朝ではあったが、それに殉じる愚か者がひとりくらいはいてもいいのではないかと思ったのである。
 ルドルフ大帝への嫌悪の念は、同盟で暮らすうちに、シュナイダーの胸のうちにも生まれたが、確かにゴールデンバウム王朝はルドルフが作ったものであるにしても、500年の歴史の中で何もかもが陰惨であったわけではない。そこには崇高なものもあれば、気高いものもあり、人々の生活があったのである。せめて自分一人くらいはそれに殉じてもいいのではないかと思った。
 メルカッツが軍務尚書職を務めた銀河帝国正統政府は既に瓦解していたが、正式に解散したわけでもなかった。シュナイダーの身分と立場がどのようなものになるにしても、シュナイダーはこれから先、たったひとりで銀河帝国正統政府をやり抜く覚悟であった。
 と言っても別にゴールデンバウム王朝の再興を計ろうとか、ゴールデンバウム王家の生き残りを擁立しようと言うのではない。ただ、大人たちの政争に巻き込んでしまった幼帝のゆくえを探し出して、その人生に対して大人として責任を負うべきだと考えていた。
 エルウィン・ヨーゼフ2世は皇帝に擁立された時が5歳であり、今は行方知れずであるが生きていれば10歳になるはずだった。狂態めいたその振る舞いを、シュナイダーは目撃したことがあるが、そもそもそれも彼を権力の駒としか扱わなかった周囲のへつらいの結果であり、精神的な虐待の結果であった。
 銀河帝国正統政府の一員としてその幼児を利用したシュナイダーにもまたその責任はある。彼にまともな人生を与えることこそが、シュナイダーに残された仕事であった。
 メルカッツは一切手を付けていなかったが、軍務尚書として正統政府の公金のいくばくかを預かっていた。改めてそれを清算して見れば、5000万帝国マルクにのぼり、国家予算としては微々たる額であったが、個人資産として見るならば莫大な額であった。
 シュナイダーはこれを利用して、幼帝探索を行うつもりであった。
 ユリアン・ミンツらに同道してハイネセンまで、シュナイダーは赴き、そこでユリアンらと別れることにした。ユリアンの斡旋で、ローエングラム朝がシュナイダーにかけていた反逆容疑は解除され、帝国軍も正式に除隊し、法的には完全に一個の市民となった。ヤン・ウェンリー一党から離れるシュナイダーに対して、ユリアン・ミンツはメルカッツへの慰労金を委ねるとともに、シュナイダーに対してもイゼルローン共和政府として相応の額の慰労金を支払おうとした。メルカッツへの慰労金は預かったものの、自身への慰労金は、「共和主義者でもない自分が大義のために死んだ者に先駆けて受け取るわけにはいかない」と言って一端は断ったが、ユリアンもこれについては頑なであり、「ヤン・ウェンリー亡き後、我が軍の事実上の総帥であったメルカッツ提督を支えたあなたが、慰労金も受け取らないならば、他の将兵はなおのこと受けとり難くなります。これを収めていただくのはあなたの義務です」と言ったので、ユリアンの立場と面子も尊重して受けとらないわけにはいかなくなった。
 額は100万帝国マルクであったが、個人資産としてはそれなりのものであった。このカネが役に立ったのは、100万帝国マルクを口座化する時に、正統政府の公金5000万帝国マルクを一緒に潜り込ませて、そのカネを公然化することが出来たからであった。
 これでシュナイダーは自由に、なおかつ公然と資金を動かすことが可能になったのである。
 幼帝を最後まで保護していたと見られるランズベルク伯が逮捕されたのは惑星ハイネセンにおいてであり、彼が保持していた幼児の死体は皇帝とは別人のものと判明していたが、身分証明書もなく、航路を渡ってあちらこちらの惑星を転々とすることは難しかっただろうと推測できるゆえに、ランズベルク伯が皇帝とはぐれたのは惑星ハイネセンにおいてである可能性が最も強かった。
 かつてハイネセンに駐在していたワーレンも、その前任のロイエンタールも、そしてレンネンカンプも、幼帝のゆくえは追っていただけに、帝国憲兵のケスラーも含めて、彼らがその行方を突き止められなかったということは、幼帝は既に亡くなっていると考えるのが自然だった。生きているとしても、操作の網には全くひっかからないのだから、まともな市民活動を営んでいることはあり得ず、浮浪児のような生活をしているのではないかと思われた。
 ただ、いずれハイネセンに戻り、幼帝探索活動を開始するとしても、まずはやっておかなければならないことがシュナイダーにはあった。オーディーンへ戻り、メルカッツの残された妻子に、メルカッツの死を伝えること、そして慰労金や遺産を渡すことであった。
 ユリアンたち一行と別れて、シュナイダーはフェザーンへ向かい、そのままオーディーンへと向かった。