Struggles of the Empire 第2章 十一月の新政府(6)

 ロイエンタールの叛乱後、新領土総督府は解体され、行政的には各星系ごとに総督が置かれ、それぞれの星系に配置された方面軍をハイネセンのワーレン艦隊が統括する体制になっていた。これについてはロイエンタールの叛乱後、日も浅いこともあり、当座しのぎの策であったが、その後のごたごたの中で手を付ける機会を逸していた。
 惑星ハイネセンを擁するバーラト星系については、尚書職に匹敵する新領土民事長官エルスハイマーの行政管轄下にあり、エルスハイマーは「総督」ではなく、中央政府尚書扱いであった。バーラト星系がイゼルローン共和政府に引き渡された後は、エルスハイマーはフェザーンに帰還し、適当な顕職に復帰する予定になっている。オスマイヤー内務尚書には、かつて部下であるラングの突出を抑えられなかったという瑕疵があり、エルスハイマーの復帰を機に、ヒルダは内務尚書を更迭し、エルスハイマーを後任に充てるつもりである。
 いずれは国務尚書、そして状況が許せば帝国宰相にとエルスハイマーを進ませるつもりであった。
 高位公職者についても順次、自分の息がかかった者たちにヒルダは入れ替えてゆくつもりであったが、退任する者たちにもそれなりの名誉が必要であった。ヒルダは諮問機関として元老院を新設し、オスマイヤーは最初の元老に任命されるだろう。「ご意見番」と言えば聞こえはいいが、高級老人ホームのようなものである。
 この方針について首席秘書官であるヴェストパーレ男爵夫人から、人事の変更をしやすいように、叙爵を検討してはどうかとの意見が出された。いわゆる、「名誉の管理制度」としては叙勲と叙爵の二制度があり、叙勲のうち最上級勲章はジークフリートキルヒアイス大公勲章であったが、勲章は叙爵に比較すればインパクトが弱いのも事実である。
 これについて明確な指針を皇帝ラインハルトが示すことはなかったが、運用実態から見る限り、ラインハルトが従来の爵位を否定はせずとも、新たに叙爵することはしないとの方針を持っていたことは明らかであり、帝国騎士であったロイエンタール、オーベルシュタイン両元帥さえ昇爵することはなく、平民のミッターマイヤー元帥も新たに貴族に列せられることはなかったのだから、その方針は徹底していたと言って良い。
「現在爵位を有する者、私や国務尚書を含めてですが、それはゴールデンバウム王朝下において貴族であった家系に属する者であり、なおかつリップシュタット戦役においてローエングラム公を支持した者たちと言う狭いくくりに限られます。このことは爵位によってその出自を明言しているに等しく、ゴールデンバウム王朝への憎悪が、その下で貴族であった爵位保有者に向けられる可能性があります。
爵位を現に持つ者を保護する意味においても、名誉を与えて、人事異動を潤滑に行う意味においても、叙爵は検討に値する策だと思うのですがいかがでしょうか」
 ヴェストパーレ男爵夫人の献策に一定の理を認めながらも、ヒルダはすぐには承諾は出来なかった。
「先帝の姿勢は、理想としても実態としても、皇帝が直接民衆とつながる、いわば自由帝政のようなものでした。そのため、意図的に中間者である貴族を廃そうとした面があります。皇帝も人間ですから、貴族に囲まれて、障壁の中で暮らすのは心地よいのでしょうが、そうなればそれだけ民衆から距離が生じます。貴族制度の復活は、王朝の基本理念に関わることですから、即座に決定することは出来ません。今しばらくの猶予が必要です」
 何ならば、新設される元老院において、この件の是非を検討させるのもいいだろうとヒルダは思った。

 エルスハイマーから、ある者を不敬罪で捕えたいとの要請があり、ヒルダはその上申を検討したうえで却下した。
 ソーンダイクとその著作は日々、影響を強め、皇帝ラインハルトに対する権威の低下をもたらしている。これを放置してゆくわけにはいかないので、エルスハイマーはソーンダイクを拘束する検討に入ったが、これという罪過はなかった。名誉棄損、侮辱罪がもっとも近似する罪過であったが、公人に対しては、事実の指摘である限り何を言ったところで合法であり、事実ではなく主観的な評価であっても、ゴールデンバウム王朝下においてすら、名誉棄損罪が公人への批評に対して適用されることは稀であった。
 こちらでの立件を諦めたエルスハイマーは伝家の宝刀である不敬罪を適用すべきと主張したのである。
 皇帝に対する名誉棄損は不敬罪という別建ての刑事犯罪となっていて、これは廃止されていたわけではなかった。ただしラインハルトはその運用を実質的に停止しており、旧帝国領においてさえ、ローエングラム体制になって以後は不敬罪で起訴された者はいなかった。
 旧帝国領と旧同盟領では法体系が異なっていて、新帝国暦10年を目安にして将来的には帝国法一本に統合される予定であったが、現状では、旧同盟領において旧同盟法も有効であった。旧同盟領において、刑事や民事において、罪過の認定やその刑量が旧帝国法と旧同盟法で異なる場合は、被告に有利な方で裁かれることになっている。
 この方針から言っても、旧同盟法にはむろん、不敬罪規定は無かったのだから、ソーンダイクを不敬罪で起訴するのはこの方針からの逸脱であった。だからこそその是非の判断をエルスハイマーは皇太后に求めたのだが、不敬罪を死文化させるのは王朝の方針であったので、エルスハイマーの要請は却下された。
 かつて、不敬罪について、ラインハルトは司法官僚たちにこう述べている。
不敬罪は言うなれば王朝の飾りであり、存在自体に意味がある。飾りであるから実際に適用する必要はない。指導者は批判に晒されて当たり前であり、それは皇帝とても例外ではない。批判をはねかえすほどの政治を行えばいいだけの話だ」
 その意気やよし、というべきであったが、実際に行政に携わる者からすれば政府の権威の低下は見過ごしには出来ない。
「ソーンダイクに罪過が無いから起訴できないわけで、無実の者を行政や司法が陥れてはなりません」
 と、ヒルダは述べたが、エルスハイマーはもっと実際的な考えをした。現場にいる者なればの見解である。
「おそれながら、陛下。ソーンダイクの著作が脅威である点はそこで述べられていることが事実であると言うことです。事実であるがゆえに、王朝に対する攻撃力ははかりしれないものがあります。理想は理想として、これに何ら対処しないことは、王朝の求心力を弱めることになりかねません」
 しかしそれでもヒルダには事実を弾圧することは出来なかった。事実によって王朝が崩壊するならば、その程度の王朝だったということだ。そんなものはむしろ存在しない方が人類のためであろう。
 エルスハイマーにくれぐれも、ソーンダイクを弾圧するようなことがないよう念を押して、通信を切った後、ヒルダはソーンダイクがラインハルトを糾弾している件について一人で考えてみた。
 十歳児を虐殺するなど、到底許しがたいことである。ヒルダは改めてこれについて考えて、夫に対して初めて小さな嫌悪感を抱いている自分に気づいた。リヒテンラーデ公一族の対する弾圧にしても、ヴェスターラントの虐殺を見過ごしにした件についても、ヒルダがラインハルトに伺候する前の出来事であり、当時、自分が側近として仕えていたならば、絶対にそのような行為をラインハルトに侵させはしなかったとヒルダは思った。
 リヒテンラーデ公の一族を弾圧した件については、当時、明らかにラインハルトの精神状態は正常を欠いていたという弁護すべき余地がある。キルヒアイスを失い、復讐心に猛々しくなっていたラインハルトは、不必要に苛烈な命令を下した。本来ならば、参謀として傍にいたオーベルシュタインなり、実行者となったロイエンタールなりが、苛烈な命令を穏当な措置に変換すべきだったのである。むろん、極めて微小ながら、彼らもそうした努力をまったくしなかったわけではない。
 ロイエンタールは「十歳以上の男子をすべて処刑しますか」と念を押し、オーベルシュタインは「措置は本当にあれでよろしいのか」と念を押すことで、言外の措置の変更をラインハルトに対して求めた。しかしラインハルトは、「自分が幼年士官学校に入ったのも十歳だったのだから十歳以上は成人も同様だ」との姿勢を崩さず、結果、最年少者は十歳の子供も殺害されたのである。
 そこまでの事情はヒルダも、かつてロイエンタールから聞いて知っていた。オーベルシュタインに事情説明を求めた時も、オーベルシュタインとしては珍しく包み隠さずに話した。かつてこの件についてさぐりを入れたのは、ヒルダとしてもそれだけ気にかかっていたからであろうし、通常ならばラインハルトに不利なことは絶対に話さないオーベルシュタインが敢えてヒルダにすべてを話したのも、知ったうえでラインハルトを支えよ、受け入れられないならば去れ、との覚悟をヒルダに求めたからであろう。
 以後、この件についてヒルダはなるべく考えないようにしてきた。それは逃げであったことは自分が一番よく分かっている。その逃げていたことに、ソーンダイクは剣を突き刺してはっきりと示して見せたのだ。帝国の統治者としては、もはや逃げることは許されない。
 敢えてラインハルトを弁護するならば、権力者が失墜した後、族誅が発生するのはゴールデンバウム王朝下ではよくあることだった。ラインハルトとしても体制によって姉を奪われ、十歳から先は、キルヒアイスとふたりっきりで、生きるか死ぬかの闘争を戦ってきたのだ。自分が厳しい環境で生き抜いてきたのだから、リヒテンラーデ公一族の少年とても、責任を問われて当然であるとの思考は、ゴールデンバウム王朝下の政治闘争者としてはむしろ標準的な感覚であっただろう。
 しかしそれでも、十歳の子供を殺すのは、時代の論理以前に生物としての倫理の点で、ヒルダにはとうてい受け入れられない感覚であった。
 この件については、やはりラインハルト様は過ちを犯したというしかない、とヒルダは思った。
 過去のことはどうにもならなくても、未来は変えてゆくことが出来る。
 ヒルダは即座に、リヒテンラーデ公一族の流刑措置を解き、当座の生活費を用意した。また、既に処刑され、罪人墓地等に埋葬されていた遺体については、通常の墓地に移葬することを指示した。
 帝国政府として何らかの声明を出すべきかどうか。そこまではどうこうするとは、現時点では踏み込めなかった。しかしいずれ、現在の統治者として、過去の統治者であるラインハルトを、帝国政府の名において批判しなければならないかも知れない。その可能性が決して小さなものではないことを、ヒルダは分かっていたが、いざそうなった時、果たして自分はそれに耐えられるかどうかまでは分からなかった。