Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(4)

 超光速巡洋艦は維持費、運航費が通常の艦船の2倍から3倍かかるばかりではなく、建造費そのものが通常型宇宙戦艦の5隻分に相当することもあって、帝国軍でも未だに試作初号機が建造されたに過ぎず、ルシファーと名付けられたその艦船はイゼルローン要塞に配備されていた。緊急の時に、ワーレンが用いられるよう、フェザーンから最も遠い位置に配属されている元帥であるワーレンに与えられていたが、ワーレン自身はこれまでそれを用いたことは無かった。
 イゼルローンとフェザーンを最短時間で結ぶというこの艦船に与えられた本来の使命で、この艦船を用いたのはユリアン・ミンツが最初ということになる。この時点でのユリアンの立場は一民間人に過ぎなかったが、このような特別な便宜を計られること自体、実質的には彼が一民間人ではないことを示していた。
 帝国暦4年4月25日、宇宙塵の発生によって大きく迂回航行を強いられていた超光速巡洋艦ルシファーは、ガンダルヴァ星系に差し掛かったところで、惑星ウルヴァシーに緊急着陸をした。
 乗員カーテローゼ・ミンツに、妊娠兆候が見られたからである。
 着陸後すぐにウルヴァシー最大の軍病院にて精密検査を受けたカリンは、夫のユリアン・ミンツとともに、検査報告を担当医から受けた。
「確かに妊娠していますね。妊娠半月というところでしょうか」
「それで、赤ちゃんは無事なんでしょうか」
 カリンはそう言いつつ、ユリアンの手を握りしめた。
「ええ、さいわい、異常は一切認められません。念のため一部組織を採取してDNA検査をしましたが、破損は認められませんでした。宇宙航行は確かに胎児にはよくはありませんが、すべての胎児が悪影響を蒙るわけではありません。あくまで確率の問題です。まずは安心なさってよろしいかと思われます」
 カリンとユリアンはほっと胸をなでおろした。自分たちがあちらこちら移動したがために、子に障害でも負わせたならば悔やんでも悔やみきれないところであった。
「ありがとうございます。安心しました」
 ユリアンはそう言って、医師に頭を下げた。
「良かったですね。あなたがたはお父さんとお母さんになられるわけだ」
 そう言われてようやく、ユリアンとカリンは、これは喜ぶべき慶事なのだと気づいた。これまでは胎児の状態が心配のあまり、喜ぶとかそういう状況ではなかったのである。
「ありがとうございます」
 ユリアンとカリンは再び頭を下げた。
「しかしですね、これ以上の航行はお勧めできません。やはり危険なのは確かですからね。お子さんのことを思えば、無理をしてでも出産なされるまではウルヴァシーに留まるのが賢明でしょう」
「ええ、よく考えてみたいと思います」
 ユリアンたちは検診室を出て、ふたりで喜びの声をあげた。
「おめでとう、カリン。君はお母さんになるんだね」
「ええ、あなたもお父さんよ、ユリアン
 ユリアンとカリンは、カリンの腹部を圧迫しないように気を付けながら強く抱き合った。
「不思議ね、あのワルター・フォン・シェーンコップがおじいちゃんになるなんて」
「そうだね」
 ユリアンも自分の両親のことを思った。そして自分とは仲が悪かったあの祖母のことも。思えば、あの祖母にとっては生まれてくる子は曾孫になるわけで、気が合おうが合わなかろうが、こうして血統が続いてゆくことに不思議な思いがした。一方で、ヤン・ウェンリーをどれほど敬愛しようとも、ヤンの血筋はこの子には伝えられない。けれども精神的なものは継承できるはずだ。生まれてくる子が大きくなれば、「ヤンおじいちゃん」がいかに優しい人だったか、いかに無私の人だったか、責任からは決して逃げなかった人であったことを語って聞かせようとユリアンは思った。
 病院の超光速通信設備を借りて、ユリアンとカリンはまず、ハイネセンのフレデリカに連絡を取った。フレデリカは首相であるから、当人が出てくるまでに何人かの人物の引継ぎがあったが、数十分後に画面に現れたフレデリカは、ユリアンとカリンを見るなり、
「おめでとう、ふたりとも。お父さんとお母さんになるのね」
 と言った。
「何も言っていないのにどうして分かるんですか?」
「だって、あなたたちふたりともそんなに嬉しそうな顔をしているなんてそれ以外に考えられないもの。ねえ、ユリアン、今自分がどれだけ幸福そうな顔をしているのか、鏡をごらんなさいな」
「まだ妊娠が分かったばかりなんです。生まれてくるまでには10ヶ月はかかるんでしょうけど、私、嬉しくて」
 カリンの眼からはダイアモンドのような光が流れ落ちた。
「シェーンコップ中将もきっと喜んでいらっしゃるわ。本当におめでとう、カリン」
 カリンはうなづいた。
「ところでユリアン。このことを知らされたのは私が最初だと自惚れてもいいのかしら」
「もちろんです。僕たちは何をおいてもまずフレデリカさんに知っていただきたくて」
「ありがとう。私もこの知らせをみんなに言いたくてしょうがないけど、一日は黙っておくことにするわ。その間に、リンツ大佐にはあなたたちが自分でお知らせすべきだと思うわ。カリンのお父さん代わりの人なんですからね。それとキャゼルヌ夫妻にも」
「そうするつもりです、ありがとうございます、フレデリカさん」
 カリンは礼を言った。
「それで、気が早いかも知れませんが、僕とカリンからフレデリカさんにお願いがあるんです。生まれてくる子にヤン提督をおじいちゃん、フレデリカさんをおばあちゃんと呼ばせても構わないでしょうか」
 その言葉にフレデリカはにっこりとほほ笑んだ。
「この年齢でおばあちゃんになることにはちょっとした躊躇いがあるけれど、そうね、喜びはずっと大きいわ。気を使ってくださってありがとう。喜んで、おばあちゃんにならせていただくわ。ヤンも本当に喜ぶでしょうね」
 フレデリカへの報告を終えた後、ユリアンたちはリンツに連絡を取った。
 リンツもまた大喜びをしてくれて、子が生まれたら一度顔を見せにハイネセンに来るようにと言った。
「そうするつもりです。ヤン提督のお墓にも赤ちゃんを見せなければいけませんし」
「そうだな、ユリアン。お墓と言えばまだ、あの墓が奇跡のヤンの墓だとはマスコミにはばれていないようだよ。先日早朝に、ヤン夫人を案内してお連れしたところだ。ヤン提督にとってもお孫さんになる子供だ。カリン、体だけは十分にいたわってくれよ」
 カリンはその言葉ににこやかに、そして力強くうなづいた。
 キャゼルヌ夫妻に報告した際の狼狽ぶりは滑稽なほどであった。
「ああ、なんて素晴らしいことなの。おめでとう、ユリアン、カリン」
「よくやった。よくやったなふたりとも」
 キャゼルヌはそう言ってバンザイと叫んだ。そこまで狂喜してくれるとはユリアンもカリンも予想外であったが、自分たちが思うよりずっと、他の人々の思いによって支えられているのだと改めて思い知った。生まれてくる子にも人の愛を知り、その絆を大事してゆけるように育って欲しいとユリアンたちはそう思った。
 その後、ワーレンにのみ連絡をして、ワーレンからひとしきり祝いの言葉を受けて、今日のところはまずはこれまでにして、荷物を取りに船に戻ろうとして、病院のロビーに出た。
「ああ、ユリアンさん、カリンさん。ウルヴァシーに緊急にいらっしゃったとうかがってお待ちしておりました」
 ロビーで二人を待っていたのはグリューネワルト大公妃アンネローゼであった。
「これは大公妃殿下、わざわざのお運び、恐縮です」
 ユリアンとカリンは同盟式の軍人の最敬礼を行った。ユリアンが皇太后ヒルダ、ミュラーと親しい関係から、フェザーンに居住後は、すでに何度となくアンネローゼとも夫婦そろって面談していた。アンネローゼは亡き弟、皇帝ラインハルトにとっては最後の友ともいえるユリアンに対してはむろん敬意を示していたが、そればかりではなく、親交を交えるに従って、アンネローゼとミンツ夫妻の間にも友情が形成されていた。ミンツ夫妻はグリューネワルト大公夫妻の結婚式にも出席していたし、新居に招かれた最初の客でもあった。
「カリンさん、お体は大丈夫?」
「はい、病気ではなくて妊娠しただけですから。幸い、おなかの中の赤ちゃんも無事で」
「まあ。おふたりとも、おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。そうと分かったらなおさら、ぜひ、私のところにご逗留ください。赤ちゃんがお生まれになるまでは動かさないほうがよろしいのでしょう?」
「ありがたいことですが、よろしいのでしょうか」
 ユリアンが聞いた。
「もちろんんですとも。放っておいたら私が夫から叱られますわ。あいにく、夫は二三日は視察に出ていますが、視察を終えたら戻ってきます。夫もおふたりの滞在を喜んでくれますわ」
 カリンの状態が状態でもあるので、この申し出は正直、ユリアンとカリンには有難かった。
 こうしてユリアンとカリンは、ウルヴァシー方面軍司令官公邸の客となった。

Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(3)

 影から他人を攻撃することは出来ない。隠れているつもりでも、攻撃を続ければやがてはその出処は明らかになる。
 ノイエラントの騒乱は、その陰謀の出処をケスラー憲兵総監に指し示すことになった。
「そうか。警察か。警察は軍とは違ってほとんどが現地採用、必然的に旧同盟警察の人的ネットワークが維持されている。旧同盟警察が絡んでいる組織ならば、旧同盟軍のユリアン・ミンツらが知らなくても道理。軍と警察はどこでも不仲であるあらな」
 後世に「新帝国暦4年の騒乱」と一括して表現されることになったこの事態では、政治学者や社会学者たちによる数多くの一般市民への聞き取り調査が残されている。
「それは民主主義は欲しいし、あって当然だと思うわ。でもだからと言って、今の枠組みを壊すのはね。ローエングラム王朝はまずまずの統治をしていると思うわ。暮らし向きは良くなっているし、社会には明らかに活気が出てきている。自由惑星同盟ね、もちろん懐かしいけれど、過去の存在よね。だって、いろいろ問題があったから滅びたわけで、そう簡単にむかしはよかったとは言えないと思うの。もちろん、帝国ももう少し市民の権利とかそういうのを重視して欲しいと思うから、デモにも参加しているけれど、同盟復活を望むっていうのは、まあ、方便よね。実際にはみんな、今の大枠は壊したくないんじゃない?」
 シヴァ星系住民のこの女性の声は、ノイエラント住民の平均的な意見を集約していた。政治的にはもう少しリベラルになり、市民の政治的参加を認めて欲しいとは思っていたが、だからと言って現在の政治体制の根幹を揺るがすのは御免だと思っていた。無論、軍や警察がデモを流血で以て鎮圧するような動きがあれば事態はエスカレートして、デモが反乱に、反乱が独立運動に発展する余地はあった。
 軍は一歩引いて、鎮圧や規制を警察に任せる姿勢を示していたが、4月の末日までには旧同盟警察の動きをケスラーが掌握したことから、積極関与に転じた。旧同盟警察がデモを規制するふりをして、実際には火付け役になっているのは疑うべくもなかったが、それはまだしも致命的な問題ではなかった。懸念すべきは、帝国への反感を高めるために敢えて民衆に対して物理的暴力を加えるのではないかということだった。そうなる前に、ケスラーは主導権を軍が握り返し、警察が関与できる余地を可能な限り封じ込めたのであった。
 それと同時に、エルスハイマーに根回しをしたうえで、ヒルダとミッターマイヤーに進言、内務省が主導して警察、公安の一斉パージを開始した。その過程で、旧同盟警察の秘密組織の存在が明らかになり、彼らが今回の事態の主犯であることも明らかになった。

 皇太后執務室で、皇太后、国務尚書、内務尚書、軍務尚書、帝国軍総司令官、憲兵総監が集まり、皇太后政治学担当補佐官であるリヒャルト・ホーフスタッターが簡単な講義を行っていた。
「まず社会の構成員を、収入を不労所得を除外して勤労によって得ているかどうか、収入における税負担の割合で、社会当事者度でもって個々人を分類します。更にそれに、収入の多寡と、実体経済との関連性によって補正値を掛け合わせます。たとえば、公務員は勤労によってその所得を得ていますが、実体経済の影響を受けにくいので、社会当事者度は低くなります。
 そしてあらゆる社会的な問題を、貨幣によって置き換えて妥協可能かどうかという点で、妥協可能性の程度で数値をつけます。たとえば、ある産品からどの程度の税をとるかどうかは、単純に税率の問題であって価値判断が入り込む余地はほとんどありません。話し合いで決着をつけやすい問題です。対して、人工中絶を認めるか否かというような問題では、個々人の倫理観や宗教観とリンクしており、妥協可能性がほとんどありません。
 社会当事者度の高低が、問題の妥協可能性にどう関係してくるかをグラフ化しますと、社会当事者度の低い者、金利生活者、年金生活者、学生や専業主婦などの被扶養者、そして公務員や教員などは、妥協可能性が低い問題をより重視し、固執する傾向があります。簡単に申し上げれば『生活の糧を稼ぐことから距離がある者ほど、食うための問題には関心が薄く、よりイデオロギー的な傾向を強めやすい』ということです。
 従って社会当事者度が低い者の割合が増えれば増えるほど、財政的な負担が生じるのみならず、社会全体から妥協可能性が失われてゆくことになります。食うために働いている者は、職場の上司が嫌な奴でも、妥協できる範囲内で妥協しようとします。食うために働く必要がない者は、妥協する必要がなく他罰的な傾向を強めます。
 警察官が公務員であるがゆえに、今回、陰謀をもてあそぶ主体になったということは、非常にありそうなことです」
「そういう意味では小さな政府路線を採る帝国の基本政策は間違ってはいないということだな」
 エルスハイマー内務尚書が問うた。単に財政的な負担を減らすというのみならず、社会の妥協可能性を強めることこそがローエングラム王朝銀河帝国の生存にとっては不可欠であったからである。
「そうとも言い切れません。失業者についての調査では、失業の期間が長いほど、あるいは失業率が高く社会当事者度を強める可能性が低いほど、やはり妥協可能性が低くなってゆく傾向があります。絶望的な状況が強まれば民意は過激化するということです。失うものがない人間は、おそれを知らなくなりますから。
 社会当事者度が低い者たちは、実体経済や勤労者に依存しています。その増大は、財政を悪化させる要因となり、なおかつ、妥協可能性を弱めるとなれば帝国にとっては有害でしかない存在に思えるかも知れません。しかし、一人の人間が、ライフサイクルのときどきによって学生になり、勤労者になり、年金生活者になるように、社会当事者性が低い者たちを敵視すればそれは将来の勤労者やそれがもたらす実体経済を破損することになりかねません。
 重要なのは、例えば公務員などにも信賞必罰を強化したり、実体経済に応じて俸給を増減させるなど、社会当事者性を強めること、失業者に職業訓練を施すなどをして、勤労者に戻して、社会全体の社会当事者性を強化することです。
 それに、社会当事者性が低い者たち、たとえば学生などが過去の人類社会において改革の原動力となってきたことなども踏まえれば、人類社会を劇的に進化させるパラダイムの変換は、そうした「有閑階級」の余技によってなされてきたと言っていいでしょう。健全な人類社会の発展のためには、妥協することも大事なのと同じく、時と場合によっては妥協しないことも大事なのです。
 社会当事者性の高低で誰かを断罪するのではなく、その配分が社会全体で適切な水準を維持するように政策をうってゆくことが重要です」
 ホーフスタッターの講義は帝国首脳部にひとつの方向性を与えた。

 警察のパージを開始して以来、ノイエラントの混乱は急速に終息した。デモはいまだに続いていたが、通常の市民集会の規模に落ち着き、軍は通常任務に戻り、行政機構は活動を再開して、遅滞を取り戻しつつあった。
 警察官のうち100万人弱が解雇され、そのうち半分弱に内乱誘発罪が適用されて検挙された。彼らは留置惑星として用いられていたいくつかの惑星に分かれて送致され、そこで帝国憲兵によって取り調べを受けた。皇帝の勅許、もしくは内閣の決定があれば非軍人の公務員についても、内乱誘発罪については軍法による処断が可能だという規定に沿って、彼らの身柄は内務省、司法省から離れて、軍務省が管理することになった。
 新帝国暦4年5月5日に、帝国軍総司令官ミッターマイヤー元帥は、ノイエラントに展開していた各艦隊のうち、宇宙艦隊司令長官ビッテンフェルト元帥が率いる黒色槍騎兵艦隊についてドライ・グロスアドミラルスブルク要塞への帰陣を命じた。次いで、ジンツァー艦隊に対してウルヴァシーに向けて撤収するよう命じた。
 ローエングラム王朝成立後の最大の危機を、皇太后ヒルダとミッターマイヤー首席元帥はかろうじて乗り越えつつあった。

Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(2)

 あのような事件があっても、ノイエラントが騒然としても、なおもイゼルローンにおいては静寂は無縁であった。帝国軍がデモに対して、慎重にそのプレッシャーを受け流す構えを見せたことから、デモの多くは結局、デモにとどまった。既に旧帝国領からの移住者も多く、学生や勤め人たちはデモを終えると学校や職場に戻り、休みの日には再びデモに参加した。
 デモの圧力を軽視すべきではなかったが、結局は秩序あるデモンストレーションに終わった。むろん、そうなったのは帝国軍が力を受け流したからで、まともに正面からぶつかっていれば流血事件のひとつやふたつは起きていたはずで、そうなれば事態はエスカレートしかねかった。
 帝国軍相手に対するテロも発生したが、その被害が比較的軽微であったのは旧同盟市民がテロを支持していないからであった。何者がテロを企んだとしても民衆からの支持がなければ民衆の中にテロリストは姿を隠すことは出来ない。ブラウンがテロの標的としてワーレンを選んだのは失敗であった。
 帝国軍人ではあってもワーレンはノイエラント治安維持の職責を果たした男であり、善政を敷いた。気さくな人柄は旧同盟市民にも親しまれ、立場の違いを越えて、旧同盟市民との間には友情のような感情が形成されていた。これが殺害されていたのがレンネンカンプか、あるいはその息子であったならば旧同盟市民は喝采したであろう。ワーレン当人を狙うならばともかく、その息子を殺害したことによって、世論は一気にワーレンに対して同情的になった。ワーレンはわりあい公の場面でも、息子を溺愛していることを隠そうとしなかったから、子を持つ親ならば誰でも、あれほど溺愛していた一人息子をこのような形で殺されて、ワーレンがどれほどの痛みを味わっているかを思えば他人事とは思えず、地球教のテロによって同盟市民希望の星であったヤン・ウェンリーが殺害された例を思い浮かべても、いかなる大義を掲げようがテロは許されないというはっきりとした意思が市民レベルで醸造されたのであった。
 ワーレンが傷を受けたのも知らぬ風に気丈に振る舞えば、むろんその気丈さは賞賛されたであろうが、同情はやがて帝国軍人という一枚看板を掲げたワーレンに対しては薄らいでいったであろう。しかし期せずして、ワーレンの態度は無様であった。
 今回のテロではワーレン自身被害者であり、遺族であったが、そもそもがワーレンを狙った犯行であるのは明らかであったので、巻き添えを食った他の犠牲者や遺族に対しては、道義的な責任があった。
 ワーレンは被害者や遺族を見舞う中で、帝国元帥として威厳を保つことが出来ずに、彼らと肩を組んで共に泣き崩れ、再び立ち上がることもかなわぬほどに、うつぶせた。威令を保つべき帝国元帥としては醜態であった。その醜態がメディアを通して全銀河系に流れたのである。しかしその醜態は人間としては真実の姿を映し出していた。
 人々は立場の違いを越えて、その真実の姿に胸を打たれたのであった。
 ノイエラントのデモが、二三の例外を除いて、理性を越えて暴徒化せずに済み、更なるテロが抑えられたのは、因果関係を定量化してはっきりと示すことは出来ないにしても、ワーレンが示した一個の人間としての誠実さが再びこのような悲劇を繰り返してはならないという固い誓いを人々の胸に刻んだのは疑うべくもなかった。
 他の元帥たちは歯を食いしばることによって、ワーレンは歯を食いしばらないことによって、共にローエングラム王朝を守ったのであった。

 執務室に案内されたユリアンとカリンは、ソファに腰かけて、窓の外で宇宙船が行きかうのを眺めているワーレンを見た。ふたりの入室に気づくと、ワーレンはゆっくりと立ち上がり、
「遠い道のりを経て、よく来てくれた」
 と言って、新たにつけられた右腕の義手を握手として差し出した。
 数秒、ユリアンはワーレンを見つめていたが、ふいに涙をこぼして、そのままワーレンの肩を強く抱いた。ユリアンの涙は、ワーレンの肩にしずくとなって落ち、濡らした。
「そうか。そうか、卿は俺のために泣いてくれるのだな。俺と俺の倅のために。ありがとう。ありがとう」
 ワーレンも強く、ユリアンを抱きしめて、大粒の涙を流した。カリンはふたりの肩に手を置き、やはり涙をぼろぼろと流した。この涙を届けるために、ユリアンはひと月の旅程を経て、イゼルローンに赴いたのであった。
 半時ほどたって、ようやく落ち着いた後、ソファに腰かけて、ユリアンとカリンに対面したワーレンは、心からの感謝の言葉を言った。
「今このような時、卿もフェザーンを離れている余裕は無かっただろう。皇太后陛下も卿をとどめおきたかったに違いない。それでも卿は俺のためにここに来てくれた。皇太后陛下もそれを許された。ミンツ夫人にまで長旅を強いてしまった。卿らの友情、この恩義を生涯忘れはしない」
「私も親しい人、家族をテロで失いましたから。ワーレン提督のお悲しみはかけら程度であっても理解できるつもりです。今はうわべだけを見て、思ったよりも元気そうでよかったなどとは言わないでおきましょう。思った通りに、そうお元気ではいらっしゃらないというのが正直な感想です。けれども、人であるならばそれはあたりまえのことです。まして、子を失くされたのですから。私と妻にはまだ子はいませんが、いつも想像しています。その想像の子でさえ、もしこのような形で失われたならと考えたら胸が張り裂けそうになるのですから、提督が打ちひしがれても当然です。そういう時に支えるために、私のような友がいるのですから」
「ありがとう。このようなことが起きてしまって、正直、まだ昨日のことのように悲しみは生々しい。だが、少しづつではあっても立ち直りつつあるのだ。自らも子を失くしたテロの犠牲者が気丈にも私を慰めてくれた。銀河の端から波濤をものともせずに卿たちのようにただ慰めを与えるためだけに訪れてくれた者もいる。悲しみの中にあってこそ、私は人間がいかに気高いのかを知った。そのことによって、生命を与えられし者として、悲しみを希望に変えつつある。今日は卿たちが来てくれた。そのことがすごく嬉しい。喜びを感じたのは久しぶりだ」
「そうおっしゃっていただけて、来た甲斐があったというものです」
「私はもう、大丈夫だ。悲しみは決して薄れることは無いだろうが、悲しみを悲しみとして抱えて生きてゆくことは出来る。トーマスもそれを望んでいるだろう。そういえば、ヘル・ミンツ、卿とヤン夫人に謝罪しなければならないことがひとつある」
「それがなんであれ、許しますよ」
「まあ、一応、聞いてやってくれ、卿の口添えでヤン夫人からせっかくいただいたヤン提督の遺品の万年筆だが、倅の遺体と共に焼いてしまった。あの事件の時も倅はそれを持っていたんだが、事件後に確認したが万年筆自体には破損は無かった。しかしあれは倅がとても大事にしていたものなので、本当は歴史的な遺物として、後世に残すべきものなのだが、親としてわがままを言って、一緒に焼いてしまった。ヤン提督の遺族としても、歴史家としても卿は俺を批判する資格がある」
「そのどちらででも批判はしませんよ。差し上げたものをどうなされようがご自由ですし、それに差し上げたものをこう言ってはなんですがあれ自体には大した価値は無いものです。市販の大量生産されている万年筆ですから」
「いやいや、ヤン提督ご愛用というところに価値があるのだ」
「そんな身の回りの日常品を聖遺物のように扱われることにヤン提督ならばこそばゆく感じられるでしょうね。ヤン提督がお使いになっていた日用品なら、私もフレデリカさんもまだまだごまんと持っておりますから、ご心配には及びません」
「そうか、そう言ってもらえれば気持ちも楽になるが」
「さて、それではそろそろおいとましようか、カリン」
 ユリアンはカリンを促しつつ、立ち上がった。
「何だ?今日はもうホテルに帰るのか?ホテルなんて予約を取り消して俺の家に何か月でも泊まれよ」
「いいえ、ホテルは予約していません。用は済みましたし、この足でフェザーンに戻るんです」
「なんだと?それはあんまりすぎないか?イゼルローンは卿らにとってもなじみがある場所、むかしなじみの場所を数日かけて歩いてもいいじゃないか」
「そういうわけにはいきません。提督がおっしゃったように本来なら私は今はフェザーンを離れられる状況じゃないんです。一日でも早く戻らないと、皇太后陛下がお待ちなさっておられるでしょう」
「ふむ。それでも卿は来てくれたのだな。二ヶ月も時間を無駄にすることが分かっていながら、俺のために」
「提督と私の友情のためにです。私自身、提督のお顔を見て安心したかったのです」
「分かった。あいにくうちの艦隊は出払っているが残っている艦船のうち、一番速いものを用意しよう。ビッテンフェルトの旗艦よりも速いぞ。なにしろ最短で20日弱でフェザーンに到着する。イゼルローンにしか配備されていない最新鋭の超光速巡航艦だ。それを使うがいい。ただ用意が整うまで6時間程度はかかる。それまで思い出の地を回ってはどうかな?」
「それではその時間を利用して行っておきたい場所があります。場所を教えていただけますか?」
 結局、ワーレンはユリアンとカリンに付いて行った。目的地がワーレンの息子、トーマスの墓参だったからである。
 イゼルローンは人工天体なので土がない。土葬が出来ないため、死者は基本的に火葬される。いずれ土葬にすべく遺体が保存されていたヤンは特殊な例外で、ヤン艦隊の戦死者たち、パトリチェフも、メルカッツも、みな火葬されていた。居住区の外れに納骨堂があり、目的の場所につくまでに、ユリアンたちはパトリチェフ、ブルームハルト、メルカッツ、フィッシャー、それにロムスキー医師の遺骨を見舞った。その近くにあるひとつの区画を指して、ユリアンはワーレンに言った。
「義父です」
 墓碑銘には「ワルター・フォン・シェーンコップ、恋に生き、戦いに死す。美女たちの涙の海で溺死」と刻まれてあった。ワーレンはなんだこれはという表情をカリンに向けた。
「えっ、えーっと、これは違うんです。ポプラン中佐が父の墓碑銘はこうでなくちゃいけないと言って。私はもうちょっと普通なのがよかったんですけど、ローゼンリッターの人たちがこれがいいと言って。そう言われるとそれもそうかななんて思ったりしたりして。もうやだ、だから普通のがいいって言ったのに!」
「カリン、ワーレン提督は何もおっしゃっていないよ」
「だって、変だと思われたでしょう?実際、変だし」
「いやいやそんなことはない、ミンツ夫人。かの高名なシェーンコップ中将らしいじゃないか。ロイエンタール元帥の墓碑銘はどうだったかな」
「あっ、あのっ」
「うん?」
「厚かましいんですけど、ワーレン提督にお願いが一つあるんです」
「なにかな?」
「ワーレン提督はトーマスさんのお墓参りにけっこういらっしゃいますよね。その時、ついでと言ってはなんなんですけど、お余りでいいんです、余った花の一本でも、この男の墓に備えてくださったら、すごく嬉しいんですけど、やっぱりご面倒でしょうか」
「いや、そんなことはない。今まで気づかなくて申し訳なかった。友人として気づいておくべきだったな。卿らはフェザーンにいてそうそう頻繁にこちらには来られないのだし、卿らの代理として、シェーンコップ中将のみならず、ヤン艦隊の面々、メルカッツ提督の墓前にも花をそなえよう。約束する」
「そうしてくださると私もありがたく思います」
 ユリアンはワーレンに頭を下げた。カリンもあわててそれに倣った。
 トーマス・ワーレンの墓前には花がうずたかく供えられていた。まだ事件の記憶が新しく、ワーレン家以外の一般市民も、花を供えてくれていた。
「トーマス、おまえが会いたがっていたユリアン・ミンツが会いに来てくれたよ」
「そうなんですか?」
「あいつはまったく、帝国元帥の息子のくせに同盟びいきというか、ヤン艦隊が大好きでね。卿は年齢も近いから親近感を抱いていたようだ。若くして全軍を率いた卿に、自分の夢のようなものを重ねていたのだろう」
 ユリアンはひざまついて手を合わせた。宗教心のようなものはもちあわせていなかったが、死者を前にして祈る時、自然と神のようなものを思った。死者の魂が安らかになれるようにと願うその心は、神が死者のためのものではなく、死者の面影を胸に抱いて生きてゆかなければならない者たちのものであることを物語っていた。

銀河英雄伝説とジェンダー

 銀河英雄伝説はその前身となる短編小説は70年代に書かれ、本編は1982年から5年間に渡って刊行された作品です。同時代の背景としては、70年代末にイギリスでサッチャー政権が発足、新保守主義革命がはじまり、その流れを受けて81年に超大国アメリカでは対ソ強硬派のレーガン政権が成立しています。
 以後、85年にソ連においてゴルバチョフ共産党書記長に就任するまで、80年代の前半は「キューバ危機」以来、米ソ冷戦の対立関係が最も強まった時期であり、ソ連による大韓航空機爆破事件など、極東でもきな臭い動きが起きていました。
 ソ連自体が崩壊して20年が経過した今となっては、遠いお話ですが、銀河英雄伝説の舞台設定は明らかに当時の冷戦下の国際状況をなぞっています。
 それ以外の作品の小道具や市民生活なども、70年代末、80年代末の風俗をなぞっているように思われます。
 例えば携帯電話ですが、漫画「パーマン」では、携帯電話の役割を果たすバッジが秘密道具のひとつとして扱われています。スーパーヒーローが用いるギミック、当時の携帯電話はその程度の印象でした。
 自動車などに備え付ける移動式電話自体はありましたが、一部上場企業の社長の社用車などにのみ取り付けられているような、高価で特殊な機械でした。個人がアドレスを持って携帯を通して気軽に情報をやり取りするような現在のような状況は、銀河英雄伝説そのもの以上にSF的でした。
 銀英伝の民生は主に70年代末の状況をなぞっていますので、未来ではありますがそれは70年代末から見た未来であるわけです。携帯もないし、インターネットもない。超光速通信はあるのに、銀英伝ではインターネットを利用している描写はありません。
 銀英伝の中における女性の扱われ方についても、70年代的な限界が見てとれます。
 女性政治家や女性軍人を登場させている、特にカリンなど、実戦部隊に女性を配置しているのは当時としてはわりあい画期的な試みであっただろうと思います。アニメやライトノヴェルでは、今でもある程度はそうかもしれませんが、女性士官は登場しても、例えば艦橋でモニターの前に坐って、モニターが映し出す情報を大声で読み上げるだけというような、それって何の意味があるの?的な、チアガール的な役割しか果たさないことが多いのですが、銀英伝はそれよりは少しだけ先に進んでいます。
 しかし、ローエングラム陣営でもヤン・ウェンリー艦隊首脳部でも、女性はそれぞれひとりだけ、それもお定まりのように「ボスの情婦」であるわけです。
 サイボーグ009におけるフランソワーズと同じ立ち位置で、女性は扱われているわけで、キャゼルヌの事務処理能力、ポプランの撃墜王、シェーンコップの白兵戦能力、アッテンボローの艦隊運営能力と軽口、それらの個性と特徴と同じ意味において、フレデリカの「女」は扱われているわけです。「女」のキャラクターは同盟ではフレデリカ、帝国ではヒルダが担っているから、他にはキャラがかぶるから要らない、というわけです。
 誤解ないように言っておきますがこれは銀英伝批判ではありません。当時のフォーマットから銀英伝も完全に自由ではありえなかったという歴史的な指摘として言っています。
 現実の社会は、男女雇用機会均等法の改正は1985年のことで、その程度の紅一点扱いでさえなおSF的な状況でした。先進国でも、サッチャーはイギリスでは初めて女性首相になりましたが、保守党では彼女以外には女性議員はほんの数人という状況でしたし、アメリカでもいまだに女性が二大政党の大統領候補に指名されたこともありません。
 日本での状況は当時は政権党の自由民主党には女性の衆議院議員はひとりもいませんでした。女性衆議院議員自民党に誕生するのは1993年、野田聖子さんが当選するまで待たなければなりませんでした。フィクションの銀英伝の方がまだ若干ではあっても先を行っていたとは言えるでしょう。
 銀英伝の設定で、気にかかるのは「超光速航行が妊婦の母体と胎児に悪影響をもたらす」という設定です。妊婦だとわかっている人が、じゃあ、宇宙旅行をとりやめましょうというのは良いとしても、妊娠初期などは女性自身にも自覚症状がないことが多いわけです。また、宇宙空間で妊娠することも十分にあり得ます。
 自然状況の設定ですから、ジェンダー的な意味がどうこういうつもりはないのですが、これはかなり大きな制約で、社会制度の根幹を揺るがしかねない設定であるわけです。単に「妊娠しているから宇宙旅行は取りやめ」で済む話ではなく、広範囲に大きな制約となっていなければなりません。緊急に移動しなければならない時でも、妊婦だから動かせないとか(たとえばエルファシルからの民間人脱出などで)戦略の根幹に関わってくる話だと思いますが、設定がある割にはそこまで重視されている風でもない。
 それはやはり政治や軍事という社会の中から、無意識にではあっても女性が排除されているから、排除されていた当時の日本の状況を反映していたからだと私は考えます。

Struggles of the Empire 第7章 我らは嘆かず、遺されしものに力を見出すなり(1)

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
glory in the flower.
We will grieve not,
rather find strength in what remains behind.

- William Wordsworth

 帝国軍、人材を輩すること綺羅星の如しとも言われたが、アルターラント全域、ノイエラント全域に軍を展開する中で、さすがにミッターマイヤーは持ち駒の不足を痛感せざるを得なかった。当面の焦点はウルヴァシーであった。ウルヴァシーはノイエラントにおける帝国軍最大の拠点であり、ノイエラントからフェザーンに向けて攻め込まれた時の最終防衛拠点であった。ここに配されていたビッテンフェルト、バイエルライン、ジンツァーはいずれも艦隊を率いて各地に転戦しており、ウルヴァシーにはフェザーンの防衛隊が張り出す形で艦船の補充がなされていたが、指揮を執るにふさわしい提督が不足していた。
 ルーヴェンブルンの七元帥のうち、アイゼナッハは暗殺され、ミュラーは退役、ワーレンもイゼルローン総督の任は辞していないものの、未だに使える状態ではない。数万の艦船からなる大軍事力を擁するのは未だ銀河帝国ローエングラム王朝のみであり、その意味ではまだ帝国が生き死にを考える段階ではない。しかしいかに軍事力を擁しようとも、崩れる時は内部から崩壊してゆく、そのことをゴールデンバウム王朝と自由惑星同盟フェザーン自治領という3つの国家の死を目の当たりにしてきたミッターマイヤーは知っていた。それを思えば安穏とはしておらず、せめてフェザーンにはいささかの動揺も引き起こさぬために、ウルヴァシーにおいては絶対の守りを固める必要があった。
 今となってはそれが出来るのも、ミッターマイヤーが思いつくあてもただ一人しかいなかった。
 ルーヴェンブルン宮殿東翼には皇帝の居室があり、それを守るようにしてグリューネワルト大公夫妻が東翼を差配していた。
 この動乱が始まって以後、疾風ウォルフが鉄壁ミュラーに面談を求めたのは初めてのことであった。ミッターマイヤーは内廷の奥深く、質実ではあるが豪華な調度に囲まれた居間に通され、グリューネワルト大公を待った。単身、グリューネワルト大公が入ってくると、ミッターマイヤーは立ち上がり、皇位継承順位第一位の女性の夫君であるこの人物に対して最敬礼の姿勢を採った。
「ご無沙汰しておりました、殿下。なにぶん多事多難な状況でして」
「そのようですね、閣下。どうぞおかけください。それとここには私たちしかおりませんし、私のことは閣下の部下である軍人として扱ってください。御用の向きもおそらく、その方面のことでしょうから」
「そう言っていただけると有難い。ではミュラー元帥にお願いしたいことがあります。実は状況が落ち着くまで、一時的に現役復帰していただいて、ウルヴァシーの守りを固めていただきたいのです」
「閣下のご要請とあれば否とは言えませんが、私は今は皇族です。皇族が軍事に関与する弊をご考慮なさった上でのお考えでしょうか」
「はい。まことに勝手ながら、時機を見て、ジンツァーなりバイエルラインに余裕ができ次第、交代していただこうと考えています。ですからこの措置はごく一時的な措置で、後世に与える弊害の度合いはごく少ないと考えます」
「閣下、ごく短期であるにせよ、この措置はかなり異例のことになろうかと思います。まず第一に、政府部内から異論が生じるかも知れません。第二に、退役した私をも投入するとなれば帝国にそれだけ余裕が失われていると喧伝することになりかねません」
「政府部内についてはすでにフェルナー軍務尚書を通して根回しをさせています。国務尚書、内務尚書、司法尚書、財務尚書、民政尚書、宮内尚書からは止むを得ざる事態にて同意との内諾を得ています。皇太后陛下もミュラー元帥と大公妃殿下さえご了承ならばとの条件で承認していただきました。第二のご指摘については、実際、我々は相当に追い詰められています。もはや隠し立てできる段階ではありません。与えられたカードの中で最善を尽くすべき時に来ています。元帥にご出馬いただくには他では得られない利点が三つあります。ひとつは、鉄壁ミュラーの出陣によって、帝都の守りは安泰であるとの安心を国民に与える効果があります。これは他の誰でも代わりが利きません。ふたつは、兵たちからの支持という点において帝国軍随一である閣下にご出陣いただければ、将兵の士気が一気に上がります。両面において暴動を抱え、帝国軍将兵は今や不安にさいなまれています。その気分を思い切った措置で変換する必要があります。そしてみっつめとしては、元帥が皇族であられる以上、ローエングラム王家の覚悟をこれによって示すことが出来ます。先帝陛下がご存命であれば、必ずや親征によって王朝の覚悟を示したもうたことでしょう。今、皇族の中においてそれがお出来になられるのは元帥以外にはおられません」
「分かりました。閣下のお考えがそういうものであるならば私の方に異存はありません。再び元帥杖を握らせていただきましょう。と言って、今更、オルラウらを呼び戻していただくわけには参らぬのでしょうね」
「はい、申し訳ございません。オルラウ提督はオーディーン攻略の最中にあり、元帥の旧艦隊司令部の面々も同道しております。さきほどはいかにも名誉職めいたお話をしましたが、実際にはかなり困難な実際的任務を果たしていただかなければなりません。現在、ウルヴァシーに派遣されている艦船は航路警備隊などからも接収した寄せ集め、同盟から接収した同盟の艦船も相当数含まれています。記念艦とする予定だったヤン・ウェンリーの旗艦のユリシーズも一時的に現役復帰させています。元帥の旗艦であったパーツィバルはオルラウ提督の旗艦になっておりますから、ユリシーズを当面の旗艦となさってはいかがでしょうか」
「それは政治的な効果からでしょうか。ヤン・ウェンリーを愚弄する気かとノイエラントの民衆の感情を逆撫ですることになりはしないでしょうか」
ユリシーズは運のいい艦です。それに万が一、バーラトが軍を急速に再建して我々に対峙することになったとしても、ユリシーズが相手では一瞬であっても攻撃を躊躇うこともあり得ましょう。その間に鉄壁ミュラーならば防御陣を再構築できるはずです」
「まさか、そのようなことを、首席元帥閣下は本気でお考えですか」
 ミュラーはミッターマイヤーが冗談でも言っているのかと疑ったが、ミッターマイヤーは笑ってはいなかった。何が起こるかわからない、そういうこともあり得るとミッターマイヤーが真剣に考えていると知って、ミュラーは情勢の急転と悪化を肌身で知り、身が震える思いがした。
ミュラー元帥。元帥には寄せ集めの艦船と将兵を鍛えなおして、防衛には使える程度には組織を作り直していただかなければなりません。非常に困難な任務と言えましょう。帝都にはもはや、退役なさったミュラー元帥とミュッケンベルガー元帥を除けば、私とケスラーしか元帥がおりません。メックリンガーとビッテンフェルトは暴動鎮圧に追われ、ワーレンは傷を負って、イゼルローンに籠っています。それに、アイゼナッハ。アイゼナッハは名ばかりの国葬を以て、遠いマリーンドルフ星系に埋葬するよりありませんでした。アイゼナッハの家族にはいまだ連絡さえつきません。私とケスラーは帝都を離れるわけにはいきません。今、リップシュタット戦役においてローエングラム侯の旗下に集った提督たちのうち、動けるのは元帥しかおりません。先帝陛下がご生涯をかけて成し遂げられた偉業を今ここで瓦解させてはなりません。多くの僚友たちが既に去りました。キルヒアイス、ケンプ、レンネンカンプ、ファーレンハイト、シュタインメッツ、ルッツ、ロイエンタール、オーベルシュタイン、そしてアイゼナッハ。彼らの思いも砂の城のごとく打ち捨てていいはずがありません。生き残った者として、やはり生き残ったミュラー元帥に心よりお願い申し上げます。どうぞ、ローエングラム王朝をお守りください」
「いかなる艱難辛苦であろうとも、このナイトハルト・ミュラー・フォン・グリューネワルト、全身全霊を賭けて力を尽くすことをお約束します。ただし一つだけ条件があります。呑んでいただけるでしょうか」
「条件とは?」
「妻を任地に同道させます。実は閣下と面談すると聞いておおよそこのような話かも知れないと言ったところ、当人が自分を連れて行かない限り反対すると言ってききません。早く子を産みたい、離れるなど論外だと。子をなすのはこの結婚の、帝国にとってはそもそもの目的でありましたので、一概に我儘と切り捨てることが出来ません」
「しかし大公妃殿下には皇帝陛下をご養育なされる重大な責務がおありのはず」
「それも申しました。できれば皇帝陛下も同道させたいがそれは無理であろうと言っていました。自分にしかできないことを優先して考えれば、今しばらく陛下の傍を離れるのもやむを得ないと考えたようです。国務尚書に外祖父として東翼に不在の間、お移りいただいて、実務については彼女の補佐役で秘書官のコンラート・フォン・モーデルを置いてゆくからそれに任せて不安はないと言っていました」
「しかし、超光速航行は母体には有害でしょう。今はその兆候がないとはいえ、ウルヴァシーやその途上、あるいはフェザーンにお帰りいただく際に妊娠なさっておられては何かと不都合がありましょう」
「母体と胎児を保護する特殊シールドを備えた最新鋭の艦船があります。工部省が研究していたのはご存知でしょう。あれの試作艦を使わせていただこうかと考えています」
「そこまでお考えとは、ミュラー元帥ご自身、同道させたいのですね」
「お許しください。子をなすのは皇族に課せられた責務であれば、いかなる時でもそれをないがしろにするわけにはいきません。これはこの立場にお立ちになられない限りあるいはご理解いただけないかも知れません。私も妻も、むろん人の親になりたいという願望はありますがそれはそれとして、皇帝陛下と国民に対して責務を果たさなければならないという思いは常に抱いております。それに妻を同道させれば、皇族の覚悟がより鮮明に伝わるのではないでしょうか。なにしろ彼女は先帝陛下の姉君なのですから」
「いえ、妃殿下ともどもご立派なお覚悟です。ではそのように取り計らいましょう」
「いたみいります」
 新帝国暦4年4月26日、ミュラーは一時的に現役復帰し、グリューネワルト大公妃アンネローゼともども、任地のウルヴァシーに向けて、フェザーンを後にした。鉄壁ミュラーの始動は、帝国軍将兵に深い安堵感を与え、膠着しつつあった情勢にあって、帝国の粘り強い攻勢を下支えすることになった。
 

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(8)

 勝ってはならない戦争があったとすれば、自由惑星同盟にとっては第7次イゼルローン要塞攻略戦がそうであった。ヤン・ウェンリーの機略によって味方には一兵の損失も出さずに難攻不落を謳われたイゼルローン要塞を陥落せしめたことは、同盟市民をおおいに勝利の美酒に酔わせた。その酩酊のまま、同盟軍は帝国領に侵攻し、アムリッツァ星域会戦にてラインハルト・フォン・ローエングラムによって完膚なきまでに叩き潰された。その敗戦は自由惑星同盟の背骨を砕いた。
 侵攻軍3000万の将兵のうち、同盟領に無事帰れたのは1000万人に過ぎなかった。これにより、与党の主要政治家たちは軒並み失脚し、トリューニヒトの独裁が強化されていったのである。その後、救国軍事会議のクーデターによってさらに弱体化した同盟軍は、ヤン・ウェンリーの屹立した天才を以てしても、ラインハルト・フォン・ローエングラムの動きに翻弄されるのがやっとであった。
 その後の同盟政府と同盟軍の瓦解はアムリッツァの敗戦を原因とするならば、その結果に過ぎない。結果論から言えばヤン・ウェンリーほどの天才がいなければ、イゼルローンは陥落せず、アムリッツァの大敗もなく、結果的に自由惑星同盟は健在であったかも知れない。その逆説にはヤン・ウェンリー自身が何度も向き合わざるを得なかったものであるが、ラージ・セン、故国を離れているうちに故国喪失者となってしまった、今はエーリッヒ・ブラウンを名乗るその男も、ヤン・ウェンリーについてはそのような評価を下していた。
 先を見通す能力はあったのかも知れないが、そのために時には非道をなしてさえ、行く道を整える意思がヤン・ウェンリーには欠落していた。政治的に無能だとまではブラウンはヤン・ウェンリーのことを見てはいなかったが、分かっていてもやることをしないならば無能なのと同じであった。
 俺はヤンのようにはならない、それがブラウンの決意であり、自負であった。
 帝国領に組み入れられたのと同時に瓦解した同盟軍とは違って、どのような国家になろうとも警察は必要であり、軍と違って警察は旧帝国領から駐屯させるわけにはいかなかった。同盟警察は要員も組織もほぼそのまま、帝国警察へと横滑りをしたのであった。むろん、それをよしとせずに辞職をした者も多かったし、パージされた者たちも多かった。組織の中に残った者たちの中にも面従腹背の者はいて、同盟憲章からすれば犯罪者に他ならない皇帝ラインハルトにいつか司直の裁きを与えんと臥薪嘗胆を期していた。
 その同盟警察の公安関係者が中心になって、法的に正しい姿、すなわち自由惑星同盟の復活を画策する秘密結社が結成された。同盟警察が同盟警察という以上の名がないのと同様に、その結社には同盟警察以上の名はなかった。本来あるべき姿、同盟が復活すればその結社はただ警察と呼ばれるだけのことであったからである。
 ブラウンはこの秘密結社としての同盟警察の創始者のひとりであり、幹部であった。彼はオーディーンの地にあって、同盟のためにオーディーンに動乱を起こさせるべく同盟滅亡直後から画策していたのであった。
 そして、オーディーンの動乱に呼応して、まずは惑星エル・ファシルで反帝国の大規模デモが発生した。それに呼応して、シヴァ星系、ジャムシード星系、マルアデッタ星系と次々に、デモは広がっていった。
「減税によって経済的利益を与え、それによって同盟市民の静寂を買う」
 と言う摂政皇太后の政策はひとまずは成功していた。しかしそれによって、虎が牙を抜かれたわけではなかった。もともと同盟市民はイデオロギーによって行動を決する人が多く、一時的な平穏と個人的利益のために、しばらくは口をつぐんでいたとしても魂までは売ったわけではなかった。
 シヴァ星系やタッシリ星系では、帝国軍はデモが暴徒化することを恐れ、その司令部は宇宙空間に脱出している。それはオーディーンの状況と同じであった。むろん、この状況を出現させるために、同盟警察が暗躍したのは言うまでもなかった。本来、取り締まる側の警察に、怠業や虚偽の報告が多く見られたため、軍と警察の連携は各地で破綻し、軍は撤退に次ぐ撤退を重ねた。
 新帝国暦4年4月の半ばには、騒乱は瞬く間にノイエラント全域に広がり、アルターラントとノイエラント、双方ともに炎熱の日々を迎えようとしていた。
 ノイエラントのどの星系でも、ハイネセンポリスにおいても、もはや公然と市民たちが「同盟の復活、民主主義の擁護、専制政治支配の打倒」のシュプレヒコールを声高に言って、街頭を占拠する中、バーラト自治政府は動かなかった。
 人々はヤン・ウェンリーの嫡子であるバーラト自治政府にこそ、声を上げて欲しいと願ったが、フレデリカは何も聞いておらず、何も見ていないかのように黙々と日々の政務にのみ集中した。
 野党指導者ソーンダイクは国会においても、「今こそ民衆の声に応えるべきである」とフレデリカに対して訴えたが、「冒険主義は国家のためにはならないことを私たちはアムリッツァの経験から教えられたはずです」とフレデリカは短く答えたにとどまった。
 全土を軍政下に置くことが可能になる緊急事態宣言の発動を、内務尚書や軍務尚書から迫られ、皇太后ヒルダもまた踏みとどまってそれに抵抗していた。
 ミッターマイヤー帝国軍総司令官は独断で発令できる最上級警戒行動命令を全軍に発動し、ビッテンフェルト宇宙艦隊司令長官に対して、旗下の全艦隊を率いてノイエラント最深部の、リオヴェルデにまで進発するように命じた。
 相手が子供だと思えばこそ横綱相撲をとっていた帝国軍であったが、その余裕が無くなれば、暴力装置としての剥き出しの姿をあらわにするかも知れなかった。少なくともその狂気の片鱗を見せつけることが今は重要であるとミッターマイヤーは理解していた。
「ルドルフの汚名を誰かが着なければならないならば俺が着よう。銀河の統一は守らなければならず、ローエングラム王朝は打倒されてはならない。それが結局は正義にかなうことである」
 早くオーディーンを落としてくれ、と祈るような気持ちでミッターマイヤーはメックリンガーに対して心のうちでつぶやいていた。オーディーンの帝国同胞団の抵抗は意外にしぶとく、メックリンガーは着々と重要拠点を落としてはいたが、その進行速度は予想よりは遅かった。
 帝国軍の展開と補給戦がアルターラントとノイエラントの端に伸びきったこの時に、更なる負荷が加えられればローエングラム王朝は一気に崩壊してしまうかも知れなかった。
 その頃、ユリアン・ミンツは妻のカリンとともにようやくイゼルローンに到着し、友であるワーレンを見舞おうとしていた。

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(7)

 ゴールデンバウム王朝銀河帝国軍大本営、旧軍務省、ゾンネンフェルス提督の執務室からはじけるようにして出てきたポプランは、廊下を歩くエーリッヒ・ブラウンを見つけると、いきなりその胸倉をつかんだ。
「おい、あれは貴様の仕業か!」
 ブラウンの「副官」たちがポプランを離そうとしたが、今は陸戦遊撃隊を率いるポプラン“上級大将”は彼らなど簡単に蹴とばした。
「何の真似だ。事と次第では軍法会議ものだぞ」
「やかましい!ワーレンの息子を殺したのは貴様かと聞いている!」
 その瞬間、ブラウン“上級大将”は身を翻し、ポプランは腕を逆向きに抑えられた。
うぐぅあああっ!」
「そうわめきたてるな。ひねっただけだ。捻挫にはなるだろうが、骨は折れておらん。卿には陸戦遊撃隊を率いてまだ働いてもらわんといかんのでな」
 オリビエ・ポプランは遊撃王ではあるが、同時に白兵戦の訓練も相当に積んでおり、薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊と行動を共にして遜色がなかった男である。言わば、マーシャルアーツのプロであり、物理的な肉弾戦でそう簡単に後れを取るはずがなかった。
「…貴様、いったい何者だ」
 エーリッヒ・ブラウンは帝国軍においては補給畑でキャリアを積んでいて、その経歴どおりの男ならば、本来、戦闘のプロフェッショナルであるポプランを組み伏せられるはずがなかった。
「それを聞いてどうする。聞いてしまったらお互い、後には戻れんぞ。もっとも、卿にはいずれいやがうえにも聞いてもらうことになるがな」
「ワーレンを殺そうとしたのは貴様だな」
「イゼルローン総督は帝国の統一政策を象徴する存在。これを殺害しようというのは当然だと思うが」
「罪もない子供も道連れにしてか」
「ポプラン上級大将。我々は伊達や酔狂で革命ごっこをしているわけではないのだ。オーディーンを包囲されている今、我々の腕が容易に包囲をくぐりぬけられることを示したまでのこと」
「テロでは歴史は変えられんぞ」
ヤン・ウェンリーの受け売りか?ヤン・ウェンリーの死によってエル・ファシル革命政府は瓦解し、軍人主体の軍事政権であるイゼルローン共和政府に移行した。テロによってシヴィリアンコントロールの民主主義政府が打倒された一例さ。ヤン・ウェンリーは用兵家としては天才だったが歴史家としては三流だ。テロによって歴史が覆った例などいくらでもある」
「ヤン提督を愚弄する気かっ」
「なるほど、卿の忠誠は未だにヤン・ウェンリーのみに対してあるというわけか。それでよい。卿の内面を買おうとは思わぬ。私が欲しいのは卿の能力と、それと名前だ。ヤン・ウェンリーの股肱である卿がここにいるということ」
 ブラウンは副官たちに手を振って、副官たち自身を含めて人払いをさせた。
 ブラウンは腰をおとして、ポプランの耳にささやいた。
「卿がここで名目は何であれ、ローエングラム王朝に対して戦いを続けている、そのことが重要なのだ。その姿を見せることで必ずや、ノイエラントの人々を鼓舞することになる。いや、私が必ずそうさせる」
「…ノイエラント?ノイエラントが帝国同胞団にとって何の関わりがある。ハイネセンと連絡を取って二正面作戦をとるつもりか。ヤン夫人はそう簡単に話にはのらんぞ。卿がノイエラントに手を突っ込めば、それだけフェザーンも追いつめられ妥協の余地がなくなる。どうするつもりだ。適当なところで妥協し、皇太后を交渉のテーブルに引きずり出すのがオーディーンのためではないのか」
「オーディーンのため?そんなものはどうでもいい。時代の変化についていけないことを他人のせいにする愚かな連中の巣窟ではないか、ここは。我が目的はただひとつ、自由惑星同盟の復活のみ」
「…あんたは…」
「知ったからには協力してもらうぞ。同じ祖国の旗を仰ぐ者として。同盟の民衆が徹底抗戦に転じれば、畢竟、アルターラントでさえ抑えきれていないローエングラム王朝に同盟全土での反乱に抗しきれる体力はない。アムリッツァで帝国が同盟軍に対して行った焦土作戦を攻守を替えて行うのだ。ハイネセンを落とせばそれで終わりというようなゲームではないようにすればいいのだ。自由惑星同盟は滅びぬ。民主主義が専制政治に敗れることなどあってはならんのだ」
「ワーレンを襲ったのも、同盟の残党か?」
「残党とは嫌な言い方だ。政府は帝国に屈し、軍は瓦解したが、それが同盟のすべてではない」
「軍ではないとすれば、同盟警察か!?」
「さあ、そこはさすがに明言しかねるな。卿は知らんでもいいことだ。ともあれ祖国のために働いてもらうぞ、ポプラン“中佐”。それはともかく、ご婦人が卿をお待ちのようだ。クロジンデ、そこにいるのだろう」
 廊下の先、物陰からクロジンデが姿を現した。
「ブラウン上級大将閣下、ポプラン上級大将に何か落ち度でもありましたか。態度は悪い人ですが、性根はまっすぐな人です。どうか、許してやってください」
「いや、なに、男というのはどうも野蛮でな、時々は拳で語り合うこともある。ポプラン上級大将も分かってくれた。何のわだかまりもない。では、ポプラン上級大将、先刻の話、くれぐれもよく考えてくれたまえ」
 そう言って、ブラウンはその場を立ち去った。
 クロジンデはポプランに駆け寄り、背中を支えて上体を起こさせた。
「ブラウン閣下は恐ろしい人よ。あの人には逆らわないで」
「ふん、恐怖で抑えつけている大義など、たかが知れている。クロジンデ、こんなことが君が本当に望んだことなのか。ブラウンはテロを引き起こそうとしている。今後ますます、テロの犠牲者が増えるぞ」
「それでも、状況を変えるにはこうするしかないのかも知れないわ」
「あいつは君を利用しているだけだ。ゾンネンフェルス提督さえも、利用しているに過ぎん。帝国の民衆のことなど全く考えていないんだ」
「あの人に何を言われたの?」
「…それは言えない。すまない。俺にも守らないといけないものがある。けれども分かってくれ、クロジンデ。君の手が血で汚れる前に、こんなことはもう終わりにしなくちゃいけない」
「終わりにして、それで人々は救われるの?」
「ローエングラム王朝の連中は腐った連中ではない。俺にとっても長らく敵だったが、だからこそそれだけは分かる。民衆の怒り、不満があることをもう十分に見せつけた。必ずや皇太后は善処しようとするはずだ。彼女の傍には俺の友人がいる。その男は、間違ってもローエングラム王朝が復讐や弾圧に走らぬよう、全力を挙げて説得してくれるはずだ」
「あなたの言う通りかもしれない。そうではないかも知れない。私には分からないわ。暴力に走らぬように全力を尽くしたけれども、それでも略奪や報復をすべては抑えきれなかった。もう、私の手は血で汚れてしまっているのよ。もし、この試みが暴力の方向に走ってしまうのだとしたら、私は内部にあってそれを出来る限り食い止めないといけないわ。これは私の責任よ。
 あなたは私のためにここにいてくれただけなのだから、もうこれ以上付き合う必要はないわ。今となっては、オーディーンを出ればあなたも拘束されてしまうかもしれないけれど、脅されてやむをえず加担しただけと言えばいいわ。私もそれに呼応するような声明を出すわ。あなたは帝国の人ではないのだし…」
 クロジンデの台詞を唇で以て、ポプランは封じた。
「まだ、俺のこと、君の世界とは関係がない男というのか?」
「この濁った世界とは関係がない人であって欲しいわ。私はむしろ、あなたの世界に生きたい」
「行こう。行けないなんてことあるはずがないさ」
「そんなことはもう許されないのよ。分かって」
 クロジンデは立ち上がり、ゾンネンフェルス提督の執務室に向かって歩き出した。
「何をするつもりだ、クロジンデ」
「ブラウン上級大将がテロを拡大しようとしているならばそれを止めなくてはいけないわ。ゾンネンフェルス提督ならば分かってくださるはず」
 クロジンデはそのまま、ゾンネンフェルス提督の執務室のドアをノックした。