Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(6)

 アウグスト・ザムエル・ワーレンが目覚めた時、彼は軍病院のベッドの上にいた。体の節々が痛かった。首をあげることもままならず、両腕両足を、確かめるようにしてゆっくりと動かした。左腕の義手は破損しているのか、感覚がない。しかし右腕と右足にも感覚は無かった。
 ワーレンは呻いた。それに気づいた傍らにいたハウフ大佐はかけていた椅子からはねあがるようにして立ち上がり、上官に敬礼をしたが、首も動かせないワーレンにはその姿勢は見えなかった。しかし長年の付き合いゆえか、それがハウフ大佐であると認知したワーレンはしゃわがれた声でまず問うた。
「ハウフか。俺の体はどうなっている?」
「各部、破損が見られますが内臓には異常はありません」
「外面には異常はあるということか」
「はっ。止むを得ざる外科的措置として、閣下の右腕と右足は切断せざるを得ませんでした」
「義手がもう一つと義足が必要になるな。何が起きた?簡単に報告せよ」
「18時59分、閣下がいらした飲食店にて、爆弾テロ事件が発生しました。現場からはプラスチック爆弾の残骸が発見されております。犯人等は不明、現在捜索中です」
「被害状況は?」
「該当建造物の破損、死者45名、負傷者は閣下を含めて62名に及んでいます」
「現在指揮は誰が採っている?」
「非常時規範にのっとり、軍関係の職責についてはライブル大将閣下が指揮権を代行なさっておられます。現場の指揮はビュルメリンク大将閣下がおとりになられています。行政関係の職についてはそれぞれ副総督が職務を代行なさっておられます」
「…倅はどうなった?」
 その問いにハウフは言いよどんだ。ハウフが返答できないことで、ワーレンはすべてを悟った。
「せめて、苦しまずに死ねたのか」
「即死でいらっしゃいました」
「…そうか」
 このような時にも、ワーレンはただ軍人であろうとした。そうでなければならないと思った。しかし無理だった。ワーレンの両眼からはこらえきれずに涙があふれ出し、嗚咽がひしゃげた喉から漏れた。
「…ハウフ大佐、車椅子に乗りたい。手伝ってくれんか」
「いけません、閣下、お命には別条はないとはいえ、絶対安静には違いはありません。どうぞご無理はなされませぬように」
「済まない、ただ今だけはわがままを言わせてくれ。帝国元帥としては無謀な真似は慎むべきなのは重々承知している。しかし父親としては、亡きがらとは言え倅に一目だけでも会いたいのだ。それを済ませたらもう無理は言わない。今だけは、ただあの子の父親でいさせてくれんか」
「…閣下。実を申し上げればご子息のご遺体の損傷は激しく、ご遺体というようなひとかたまりでは発見はされませんでした。かたまりとしては胸部が残されていたのみで、それ以外は肉片となり飛び散り、原型をとどめておりません。現場の検証官が言うには、爆発の瞬間、ご子息は身を挺して閣下をお守りしようとなさったらしいとのこと、重症ではありますが閣下がご無事であったのはそれゆえだとのことです。その分、ご子息のご遺体の損傷は激しく、そのようなお姿をご覧になっては、閣下のご回復に障りとなりましょう」
「どのような姿でも倅は倅だ。会えぬ方がよほど辛い。卿にも子はおろう。この気持ちは分かってくれるはずだ」
「…わかりました。くれぐれも、無理はなさらぬように。またご自分をお責めになられぬよう」
 霊安室には数室が用いられていたが、トーマス・ワーレンの遺体の損傷は特に激しく、他の遺族が目にすれば衝撃が甚だしいので単独で部屋を占拠していた。
 中に置かれた遺体は確かに事前にハウフ大佐が説明していた通りの状況であり、ワーレンは故障した左腕の義手を伸ばして、息子の胸をさすった。血肉に汚れた上着の胸ポケットの中から、ヤン・ウェンリーの遺品の万年筆が出てきた。それだけは不思議と何の損傷も受けていなかった。それを見て、ワーレンはふたたび大粒の涙をぼろぼろとこぼし、万年筆をそっともとの胸ポケットに戻した。
「トーマス、なぜ俺を助けようとした。俺は千回死んだとしても、おまえに生きていて欲しかった!」
 ワーレンはトーマスの血肉で全身ちまみれになりまがら、その遺体にしがみつき、慟哭の叫びをあげた。朝が来て、空が白んでも、すすり泣く声は止むことがなかった。
 永遠の夜に生まれついたかのように、ワーレンの慟哭は低く、長く、止むことはなかった。

 ワーレンの負傷と、その子息の死は、むろんフェザーンにおいても深刻な衝撃を与えた。ヒルダやミッターマイヤーは超光速通信を通して、ワーレンに面談を求めたが、対応したライブル大将は、ワーレンが肉体的にも精神的にもいまだ面談に応じられる状況ではないと説明した。
 ヒルダの執務室にはマリーンドルフ国務尚書、エルスハイマー内務尚書、ミッターマイヤー総司令官、ケスラー憲兵総監、フェルナー軍務尚書、そしてヴェストパーレ男爵夫人が集って、ライブルの報告を聞いていた。
「ワーレン元帥閣下は軍籍を含むあらゆる官職から辞職なされるご意向を漏らしておられます。むろん、今は気弱になってのことでしょうから、お聞き流しください。しかし閣下が蒙った打撃がいかに大きなものであるのか、どうぞ軽くお考えにならないでください」
「分かりました。当面の代行をよろしくお願いします」
 ヒルダがそう言うと、ライブルは最敬礼をして、通信を終えた。
「ワーレンが気を奮い立たせてくれればよいが。子を失くすというのはあれほどの男にしてひどくこたえるのだな」
 ケスラーが悪気はなくともそう言えたのは、いまだ人の親ではなかったからだろう。人の親であるマリーンドルフ伯、ヒルダ、ミッターマイヤーはワーレンの胸中を思い、他人事ながらわが身を切られるような思いを噛みしめていた。
「ワーレン元帥閣下はこのまま立ち直れんかも知れませんな」
 水のような冷徹さでフェルナーが言った。その冷徹さがあればこそ、軍務尚書に引き上げたのだが、今はフェルナーの冷徹さがミッターマイヤーには辛かった。
「そうなったとしてもワーレンを責めることは誰にも出来んさ。テロの横行を許したのは我々、帝国軍、帝国政府の落ち度、このようなことを二度と起こしてはならん」
「つい先刻、帝国同胞団、彼らの言い方では銀河帝国正統政府ですが、彼らが犯行声明を出しました。オーディーンの包囲を解かぬ限り、要人を順繰りに殺傷してゆくそうです」
 ケスラーが言った。
内務省としては詫びを申し上げるべきでしょうな。正直に申しまして、警察では帝国同胞団がイゼルローンにまで勢力を及ぼしていることをまったく関知していませんでした。犯行声明を彼らが出さなければ、犯人の推測さえ容易ではなかったでしょう」
 エルスハイマーは頭を下げた。
「実を言うと憲兵隊にも十分な情報がない。帝国同胞団については徹底的に調査しているが、その下部組織のようなものがアルターラントの最深部以外に伸びているとはまったく掴めていない。実は帝国同胞団の犯行声明にしても事に乗じてのフェイクではないかと疑っているくらいだ」
 ケスラーはエルスハイマーを慰めるかのように言ったが、内容自体はとても慰めにはならぬものであった。
「メックリンガーに指示して作戦の進行を急がせよう。ともあれ、オーディーンを早々に鎮圧すれば、帝国同胞団が何者であれ、その脅威は粉砕できるのだからな」
「ミッターマイヤー元帥。事を急いでくれぐれも民衆に危害を加えるようなことがないよう重々ご注意ください。虐殺者の汚名をきれば統治そのものの根幹が揺らぎますから」
「国務尚書、ご懸念は重々理解しております。メックリンガーのことですからそのあたりのことは十分に配慮してくれるはずです」
 マリーンドルフ伯とミッターマイヤーの両名を制するようにして、ケスラーが口を開いた。
「お待ちください。今回の事件は非常に示唆に富んでいるように小官には思えます。内務省憲兵隊が尽力してテロ組織の尻尾も掴んでいないというのはいかにも不自然、これは帝国同胞団があるいは一枚岩ではないのかも知れません。バルツァー伯爵家には独自の諜報組織があります。それを介してのテロということも考えられますし、あるいは」
「あるいは?」
 ヒルダはケスラーを見据えて発言を促した。
「バーラト自治政府がこれに噛んでいるのかも知れません。彼らならば、イゼルローンの細かい部分まで熟知しておりますし、工作員を派遣することは容易でしょう。オーディーンとハイネセンの間に何らかの連携があるならば、今回のことも可能であっただろうと思われます」
「それはさすがに疑いが過ぎるというのではありませんか」
 ヴェストパーレ男爵夫人が口を挟んだ。
「万が一、彼らが私たちに刃を向けるとしても、ワーレン元帥をいのいちばんに標的にするかしら。ワーレン元帥はユリアン・ミンツやヤン夫人のご友人、いわば政権内における彼らの代弁者となり得る人。グリューネワルト大公殿下ミュラー元帥が退役してからはますますワーレン元帥の重要性は彼らにとっては強まっているはず。ワーレン元帥まで退役するようなことになれば彼らにとっては大打撃でしょう。もし私がヤン夫人なら、狙うならまっさきにあなた、ケスラー元帥を狙いますわ」
 それもまた道理であったが、ケスラーには今一つのみこみ難い疑惑が残った。
「バーラト自治政府と言えば、今朝方、ユリアン・ミンツからイゼルローンに弔問に赴きたいとの伝達がありました。帝国軍と政府からも人を送るので、弔問使節団の中に彼を加えることにしました」
 ヒルダがそう述べた。
「さすがにユリアン・ミンツが関与しているならばワーレン元帥のお顔を見にのこのこ弔問に行けるほど厚顔無恥ではないと思うのですがいかがでしょうか」
 ヒルダはそう言って、ケスラーは見た。ケスラーは黙って頷いたが、心のうちではなお、疑念を消しきれなかった。
(なるほど、ユリアン・ミンツはそこまで厚顔無恥ではなかろう。しかし、バーラトの連中が彼らなりの大義を実行する路線にかじを切ったのだとしたら)
 これほどの疑念を抱かなければならない憲兵総監という立場に、ケスラーは嫌気を感じるのであった。

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(5)

 激増する物流と人の流れに対応するために、イゼルローンでは要塞に隣接して、専門の民間宇宙港用人工天体が建設されていた。軍事施設ではないので流体金属には覆われておらず、白亜の外面がイゼルローンの照り返しを受けて、宇宙空間にくっきりとした輪郭を描き出していた。ヴァイスブルク(白い城)と何の工夫もなく命名されたその天体は、建設はまだ半ばが出来たに過ぎなかったが、すでに運用が開始されており、民間宇宙港と物流センターからは頻繁に宇宙船が離発着していた。
 イゼルローン要塞からその動きを眺めつつ、ワーレンは遠からずヴァイスブルクと同規模の人工天体をもうひとつかふたつは建造しなければならないだろうと考えていた。それほどイゼルローンの交通は加速度的に増大しつつあった。
 この時、ワーレンが帯びていた印綬は、主なものだけでも次のようなものであった。
 イゼルローン要塞司令官、イゼルローン駐留軍司令官、イゼルローン方面軍司令官、イゼルローン総督、付随諸星系総督であり、付随諸星系にはティアマト、アムリッツァ、ヴァンフリートが含まれていた。一般にはそれらの地位を代表して、イゼルローン総督の名でワーレンは呼ばれていた。
 イゼルローンにいれば今日は昨日とは違う一日であることを日々実感できた。アルターラント側に属するアムリッツァでさえ、経済成長率は2割を越えていて、アルターラント全体の荒廃と衰退とは無縁であった。加熱する経済に応じて労働力不足が深刻化していて、アルターラント全域で求人をかけていたのだが、アルターラントの、特に農民は保守的であり、移動したとしてもオーディーンまで、自由主義経済の先端を行くイゼルローンは恐ろしいと頭から決め込んでいて、需要を満たすまでには至っていなかった。
 軍人のリストラについても、ワーレンは配下のリストラされた軍人たちの多くを政府や軍が一部出資する半官企業に転出させており、実際的なリストラを最低限に抑えていた。他の艦隊からのリストラされた軍人をもそういう形で引き受けようとしたのだが、軍人の多くは官を退くことにまず拒否反応を示し、海のものとも山のものともしれぬ企業で働くくらいなら少ない恩給で生活することを選ぶのであった。ワーレン旗下の軍人にしても実際にイゼルローンの驚異の発展ぶりを目の当たりにしていなければ、おそらく同様の反応を示していたに違いない。
 アルターラントの経済的苦境や軍人のリストラの問題は財政や経済の問題であると同時に、心理的な問題であるとワーレンは見ていた。過去に所属していた共同体から切り離されたこと、追い出されたことが流浪の人々の誇りを打ち砕いたのである。人はパンのみに生きるのではない。誇りを持って生きるから人は人でいられるのだ。
 パンのためだけを言うのであれば、すべてではないにせよ、アルターラントの流民たちは居を移して、仕事がある地域で新生活を始められるはずだった。しかしそうはしていないし、そうもなっていない。いずれ放っておけば嫌でも彼らは生きていくために移動を強いられるだろうが、そうなる前に反乱を起こしたのであった。
「トーマスをこちらに呼んでおいてよかった」
 ワーレンは執務室の机の上に飾ってある一人息子の写真を眺めてそう思った。オーディーンの治安の悪化に伴って、オーディーンからは財を持つ者たちのうち目先が利く者が続々と退避していた。きくところによればミュッケンベルガー元帥もオーディーンを後にしたと言うが、勘所のいい老人であったから、内乱の匂いを事前に感じ取ったのかも知れなかった。
 もし、銀河の統一があと20年持つならば、今は過熱している先端に過ぎないイゼルローンの、その活況がやがては銀河系全体に波及するであろう。そうなれば経済も科学技術も、人類文明のあらゆるものが幾何級数的に飛躍するはずである。その時になってカイザー・ラインハルトの先見の明は証明されるはずであったが、その過程において誇りを打ち砕かれる人がこうも多くては路線はいずれ変更を強いられるかも知れなかった。
 その時、ワーレンはどのような立場を選ぶべきなのか。ワーレンはそれを考えていた。
 イゼルローン総督としては銀河系の統一の利益を代表する立場にあり、帝国同胞団が主張するような鎖国政策は到底受け入れられない。もしそれが実現してしまえばイゼルローンの繁栄も泡と消えるだろう。ワーレンは帝国の重鎮ではあったが、まずはイゼルローン総督としてこの宙域の人々に対して責任があった。
「断固として反動には反対するまでだ」
 ワーレンはそう決意した。一時的に、場合によってはそれが圧力に譲歩せざるを得なくなった皇太后ヒルダと対立することを招いたとしても、ヒルダの心中は統一の保持にあるはずである。それを踏まえるならば、妥協に反対することが結局はヒルダの思いに寄り添うことになるはずだった。
 その晩、ワーレンは息子のトーマスを呼び出して、民間街区でこのところ評判のレストランに赴いて父子でディナーをとった。父子で話すことがあったから、ワーレンの両親は出席せずに、孫を送り出した。イゼルローンの民間街区には150万人が居住しており、その数はおそらくここ数年で倍々に増える予想であった。
「おまえこんなところにまでそれを持ってきているのか。それは大事なものなのだから、持ち歩いて失くすようなことがあってはいかんぞ」
 トーマスの胸ポケットに挟まれた万年筆に目を止めて、ワーレンは軽く叱った。
「大事なものだからいつも持ち歩いているんだよ。父さんがヤン提督の奥さんからいただいたものだもの、どこかに置いておくなんてできないよ」
 その万年筆はヤン・ウェンリーの遺品であり、ワーレンがヤンを崇拝する息子のために、フレデリカから貰ったものだった。帝国軍元帥の息子が、自由惑星同盟随一の名将を尊敬する。そんなことが可能なのも、銀河が統一したからであろう。この偏見も憎悪もない、素直に物事を見る我が息子の眼差しを守るためにも、ワーレンは帝国と同盟が数百年に及んで戦い抜いた過去に時代を戻らせるわけにはいかなった。
「そろそろ進路を決めないといけない頃だが、何か考えがあるのか」
士官学校に入ろうと思うんだよ。本当は、幼年学校に入りたかったんだけど、家におじいちゃんとおばあちゃんだけを残すわけにはいかなかったし、幼年学校はよしといたんだ。今は、父さんと同居しているから、僕がいなくなっても平気でしょ」
「おまえ、それは逆だろう。おじいちゃんとおばあちゃんがおまえの面倒を見ていたんであって、おまえがふたりの面倒をみていたわけじゃないだろう。それに士官学校に入るのには賛成できないな」
「父さん、僕がずっと軍人になりたかったのは知っているでしょ?自分だって軍人になったくせに、僕がなるのは反対するなんて、筋が通らないよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんだって、俺が軍人になった時には反対したんだ。今はあのふたりの気持ちもわかる。おまえも親になってみればわかるさ。軍人はつまるところ人を殺すのが仕事だ。死ぬ確率も高い。そんな仕事に子供がつくのを望む親はいないさ」
「それでも父さんは軍人になったんでしょう?だったら僕の気持ちもわかると思うけど」
「トーマス。おまえは軍人の家庭に育ったから、軍人になるのが自然なことのように思えるのかも知れんが、世の中には他にももっと有意義な仕事はある。おまえが尊敬するヤン・ウェンリーだって、元々は軍人志望ではなかったじゃないか。ユリアン・ミンツも必要が無くなれば軍籍を退いて、今は第二の人生を歩んでいる。おまえにはもっと広く社会を見て欲しい。そして平和な世の中で幸せな結婚をして欲しい」
「ふうん。もし父さんが反対するなら、僕は奨学金で学費を払わないといけなくなるけど、あれって成績トップをずっと維持しないといけなくて、大変なんだよね。きっと勉強のし過ぎで体を壊すと思うよ。そうなってもいいと父さんが言うなら、僕には他には選択肢はないんだけど」
士官学校には行かなければいいじゃないか。イゼルローンの学校に進んで、大人になるまで俺のそばにいろ。俺とおまえでは置かれた境遇が違う。俺は帝国元帥で、おまえはその息子だ。俺が士官学校に入ったときには何のうしろだてもない一介の平民に過ぎなかった。しかしどちらが大変かと言えばおまえのほうがきっと大変だろう。頑張れば頑張ったで元帥の息子なら当たり前だと言われるだろうし、そうでなければワーレン元帥の面汚しだと罵られるだろう。おまえに取り入ろう、利用しようとする者も出てくるだろうし、逆におまえに必要以上に辛くあたる者も出てくるだろう。何もわざわざそんな苦労をする必要はない」
「父さん、僕は生まれてからずっとワーレン提督の息子なんだよ。いちいち言わなかったけれど、そのせいでちやほやされることもあれば嫌がらせをされることだってあったよ。もう慣れっこなんだよそんなことは。分かったうえで、僕は軍人になりたいんだ。もちろん父さんの名前を利用するなんてことはしない。トップは無理かも知れないけれど、父さんの面汚しにはならないくらいには頑張るよ。元帥はたぶん無理だろうけど、退役するまでには将官くらいにはなるつもりだし。父さん、ごめんね。僕のためを思って言ってくれているのは分かるし、それはすごく嬉しいんだ。でももうこれは決めてしまったことなんだ。父さんに出来るのは、僕を応援して学費を出してくれるか、あくまで反対して学費も出さないで僕に無理をさせるかのどちらかなんだよ」
「おまえは頑固だな。誰に似たんだか。おまえの母さんもそこそこ頑固だったが」
「父さんに似たんじゃないよね。父さんは頑固じゃないから折れて、結局は認めてくれるでしょ」
 息子の巧みな誘導に、ワーレンはため息をついた。
「まったく、その悪知恵は母さん譲りだな。彼女はいつも思い通りに俺を翻弄して、結局、自分の思うとおりに事を運んだものさ。奨学金をとることは許さん。あれは困窮した家庭の子弟のための制度だ。帝国元帥のように十分に俸給を得ている者の子弟が利用してはならん」
「うんうん、父さんが学費を出してくれるならそれが一番だよ。父さん、帝国元帥以外にもイゼルローン総督やら何やらのお給料も貰ってるんだもんね、そりゃお金持ちは自分の息子の学費くらいは支払うべきだよ」
「口の減らない奴だ。おまえが軍に入れば、帝国元帥として俺は必要以上におまえにつらくあたらなければならん。他の者には言わなくてもいい叱責をおまえに対しては100も200もねちねちと言わなければならん。そこまでしてようやく世間は納得してくれるものだ。そのことは分かっているんだろうな」
「うん分かっているよ。鬼軍曹殿、よろしくお願いします」
「まったく分かっておらんよ、おまえは。父親にそんなことをさせるなんて、大した親不孝者だと思わんか。おまえが分かっておらんのは、俺がお前を愛しているということだ。そのせいでおまえを軍人にするのも、おまえに場合によっては厳しくせんといかんのもひどくつらい」
「ごめんなさい、父さん。僕も父さんのこと大好きだよ」
ヤン・ウェンリーよりもか?」
 その言いぐさにトーマスは思わず爆笑した。対して、ワーレンは苦い顔を浮かべた。
「まったく、帝国軍の提督でありながら、息子が敵軍の将をより高く評価しているなんて、俺がどれだけ情けない思いをしているか…」
「ごめんなさい、父さん。おかしくて。笑ってしまってごめんね。父さんは父さんさ。父さんはヤン提督よりもずっといい仕事をしているよ。イゼルローンの人たちの表情はみんな明るいでしょ。でもね、父さん。父さんがもし全然駄目な親父でも僕は世界で一番父さんのことが好きだよ」
「…そんなことを言って、将来、嫁さんが出来たら、どうせその子にも世界で一番愛しているとかなんとか言うんだろう?」
「父さん、僕の未来のお嫁さんにまで嫉妬するのはやめてくれないかなあ、さすがにひくよ?どんだけ親馬鹿なんだか」
「ふん。おまえも親になれば分かるさ」
 そう言って、ワーレンは給仕されたステーキにナイフを入れた。

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(4)

 惑星オーディーンの地表部分はほぼ、反乱軍に制圧された形になり、正規軍は点のいくつかを保持しているに過ぎなかった。ゴールデンバウム王朝時代には、銀河帝国の軍工廠の8割が惑星オーディーンに集中していた。これは他星系の反乱が起こった際に、兵器の製造能力がそのまま反乱軍の手に落ちることを防ぐためであった。
 ローエングラム王朝にあっても、軍工廠の多くは移転しておらず、兵器に関してのみは、アルターラントの水準は高かったこともあって、軍工廠の7割が依然としてオーディーンに集中していた。そのオーディーン自体が反乱軍の手中に落ちたということは、帝国軍には補給がままならず、反乱軍は時間がたてばたつほど戦備を充実させてゆくことを意味していた。
 もっとも当面のところ制宙権は帝国軍が完全に抑えていたので、いざとなれば人質や民衆もろとも空爆でふきとばして更地にすれば済む話ではあった。但し、それをすれば帝国はもはや国家としては維持できなくなるのも確実ではあったが。
 艦隊を率いてオルラウ上級大将がヴァルハラ星系に達したのは新帝国暦4年3月1日になっていた。その時点で、オルラウ艦隊はグリーセンベック上級大将が率いるアイゼナッハ艦隊と任務を交代し、アイゼナッハ艦隊はひとまず近隣宙域においてはローエングラム王朝の与党地域と言ってよい、マリーンドルフ星系に引いた。アイゼナッハ艦隊はオーディーンを管轄していただけに、その将兵の多くは家族をオーディーンに残していて、家族を人質にとられて、事実上戦闘不能状態にあったからである。
 反乱軍は人質たちを特定の街区に押し込めただけであり、乱暴を加えたりこれを交渉に利用しようとする構えは見せていなかったが、人質は人質であって、対応には慎重を要した。
 マリーンドルフ星系最外縁の惑星テルミーゼには帝国軍基地が置かれており、ここに一端引いたアイゼナッハ艦隊、すでにアイゼナッハ元帥が死亡したことから臨時にグリーセンベック艦隊と呼称されていたが、同艦隊はここでフェザーンの指示を受けて簡単にアイゼナッハの国葬を執り行った。アイゼナッハの遺体は同惑星の軍人墓地に葬られることになった。
 バイエルライン艦隊がオルラウ艦隊に合流したのが3月6日のことであり、3月12日にメックリンガー元帥が単身でオーディーンに先に到着した。メックリンガー旗下の艦隊の到着は更に12日後のことであった。
 オルラウやバイエルラインはメックリンガーが到着するまではオーディーンについては現状維持を拝命していたが、周辺諸星系については積極的に鎮圧活動を開始しており、攻撃を躊躇ったことからオーディーン全土を敵の制圧下に置かれたことを教訓として、各星系での暴動に対しては小規模なものに対しても非殺傷兵器を用いて積極的な弾圧を加えた。
 その結果、暴動が他星系に拡大することは極力抑えられ、治安の程度については星系ごとに差はあっても、オーディーンのように惑星全土が反乱軍の手中に陥ることは避けられた。
 とは言え、惑星オーディーンは単体でアルターラント全域の半数を占める人口100億を擁している。人口規模で言えば、反乱軍はアルターラントの半分を支配していた。
 反乱が発生してから、前線の包囲の形が整うまで、アイゼナッハ元帥暗殺事件もあって1ヶ月半を要したが、メックリンガーの考えでは、これだけの期間をかけたのは政治的にはむしろローエングラム王朝側の有利であった。臨時に軍政下におくにしても100億の人口を擁するオーディーンを支配下に置くためには、帝国同胞団は行政と軍において擬似的な国家体制を構築するしかなく、民衆対帝国軍という構図が、国家対国家という構図に置き換えられようとしていたからであった。
 民衆に対しては銃は向けられなくても、敵軍の将兵に対しては躊躇する必要は無かった。帝国同胞団が政府化し、体勢を整えるほど、政治的にはむしろローエングラム王朝は有利になっていった。
 帝国軍はもともと反乱鎮圧用に組織されたこともあって、「民衆」の生命を気にする必要がないのであれば、反乱鎮圧のノウハウは蓄積していた。帝国軍に銃を向ける人間が同じ人間であっても、「民衆」から「反乱軍兵士」に名前を変えれば、鎮圧は容易になるのであった。
「敵の優位性は自らが民衆であり、民衆を動員できるという一点にある。当然、その優位を最大限に活用してくるだろう。我々は彼らをあくまで正規軍として扱わなければならない。それこそが、非対称の戦闘における不利を克服する唯一の手段である。まずは重要拠点の奪還を目指す。制宙権、制空権は我らが保持しているので、戦艦を投入すれば拠点の奪還そのものは容易であろう。問題はその後の展開である。
 敵は膨大な民衆に動員をかけて、人海戦術で圧倒しようとしてくるに違いないが、非殺傷兵器を間断なく投入し、民衆の動きを無力化しなければならない。そのうえで、内務省に協力を仰ぎ、動乱罪容疑で民衆を無差別に逮捕し、拘禁する。その数はおよそ一回の作戦につき、2万から3万の逮捕を目指す。輸送部隊は緻密な輸送計画を練り上げて、遅滞することがないように万端の準備を整えるように。彼らはリヒテンラーデ星系、カストロプ星系に臨時に構築された流刑星に一時送られ、その後、司法省の協力によってアルターラントへの期限付きでの立ち入り禁止の処断がなされ、就労可能な者はイゼルローン総督に引き渡される。後はワーレンの差配によって、労働力が不足しているイゼルローニアとノイエラントに振り分けられて強制移住が行われる」
 民衆そのものを移動させることによって、オーディーンにおける不平分子を減らしなおかつ、アルターラントにおける失業とノイエラントにおける労働力不足を一挙に解決する算段であった。平時であれば当人たちが望まないのであればとても採用は出来ない乱暴な方策であったが、非常時であれば採用することが出来る。
 逮捕拘禁された者にとっても、国家反逆罪で指弾されるよりは慈悲深い対応と言えなくもなかった。メックリンガーもこの策が特別に人道的だとか、目が覚めるような鮮やかな解決方法だと思っていたわけではないが、軍務尚書として閣僚の一員であった立場を生かして、帝国の軍事と警察と行政、司法を総動員した、考えられるべきもっとも穏当な策だとは思っていた。
 しかし常に表情を変えない沈着冷静なオルラウはともかく、バイエルラインが見るからに意気消沈した風を見せたのがメックリンガーには気にかかった。
「バイエルライン提督、何か気にかかる点でもあるのかね?」
「いえ。少し気になったものですから。それでは結局、帝国は銀河系全体の統一と融合を促進する政策は変えないということですね」
「無論である。それはカイザー・ラインハルト以来の王朝の基本政策であり、ローエングラム王朝の基本原理であるのだから。十数年を待たずして、人類社会が融合することがどれほどの利益をもたらすのか、必ずや人々の理解を得られると確信している」
「それは分かっているのですが、今現在を生きる人々にとっては耐え難い苦痛をもたらしているのも事実でしょう。統一の進行を緩和させるわけにはいかないのでしょうか」
「帝国同胞団が言うように国境を閉ざしてかね?そうなればアルターラントではむしろ停滞が常態化し、その弊害は数年、数十年どころではない、何世紀にもわたってアルターラントの人々を劣等国民化することになるのだぞ。卿はそれは分かっているのかね」
「小官は武辺者ゆえ難しいことは分かりかねますが、目の前に困窮した人々が多数いて、彼らが生きるために今回の乱を起こしたのだということは分かっています。それを無視していては、いかなる良策と言えども単なる対処療法に過ぎぬのではないでしょうか」
 メックリンガーがさらに言い返そうとした時、オルラウがそれとなく両者の間に入って、穏やかな口調で、バイエルラインに言った。
「バイエルライン提督。今は議論をしている時ではないでしょう。我々は当面の作戦に集中すべきです。そのうえで、敢えて具申すべきことがあるならば、別の機会にそうなされればよろしいでしょう。卿は非公式にもミッターマイヤー首席元帥閣下に何がしらを言える立場にあるはず。その理がかなっているならば必ずや皇太后陛下のお耳に達するに違いありません。今この時に、危急ではない論をもてあそんで、司令部の足並みを乱すことはお慎みなられるべきでしょう」
「あいわかった、卿の言うとおりだ、オルラウ提督。元帥閣下、無礼の段をお許しください。それでは作戦実行の手筈を整えますのでこれにて失礼させていただきます」
 バイエルラインは敬礼をして退出した。
 メックリンガーはため息をついた。バイエルラインの指摘は正しい。だがその正しさを乗り越えてゆかなければ王朝が存続できないことを理解していないのではないか。バイエルラインはまだこちら側に移れるほどには成長していない、とメックリンガーは思った。
「バイエルライン提督のおっしゃったこと、書生論の域を越えぬとお考えですか」
 メックリンガーの胸の内を見透かすかのように、オルラウは言った。さきほどのオルラウの介入はむしろ、メックリンガーに対する助け舟であった。さすがに若年のミュラーを長く補佐して遺漏なく任を果たしてきた男だけのことはあって、司令部の一員として論をまとめる点において危うげなところはまったくなかった。
「そう評するかどうかはともかく、自分たちは王朝を存続させる側に立つという自覚においてやや軽挙であるようには見えたが」
「私はむしろ逆の思いを抱きました。単に一作戦のみに拘泥しない視野の広さを、バイエルライン提督も身につけられつつあるのは、成長と評されるべきでしょう。時に、趣味的に戦術に拘泥するのが、その才能ゆえとは言え、バイエルライン提督の欠点と言えば欠点ではありましたので、それを克服しつつあるのは彼が自他ともに認める次世代の帝国軍を担う人材である以上、喜ばしいことであるとの思いを抱きました。
 あるいはそれとは逆の評価になるのかも知れませんが、こうも考えました。政治的な人物ではないがゆえに、バイエルライン提督が至った考えには、やはり同じく政治的な人物ではない多数の帝国軍将兵も至るのではないかと。元帥閣下のお考えは私は理解しているつもりではありますが、世の多くの将兵はオルラウではなくむしろバイエルラインであることを、閣下がご考慮いただければ、良策の中に潜む陽中の陰にも対処できるのではないかと思いました」
「なるほど。ミュラー元帥が卿を手放さなかった理由もわかろうというものだ。忠告、胸にとどめ置こう。皇太后陛下にも私から、卿が言ったこと、それとなく話しておこう。バイエルラインの評については卿の言う通りかもしれぬ。とかく下の者を厳しく評してしまう年長者の弊害に私もまた陥っていたというかも知れぬな。
 ただひとつ、訂正しておけば、バイエルラインはもはや次世代のホープではない。次世代は今の世代になりつつあるのだ。これは卿についても同様だ。アイゼナッハが死に、ミュラーが退いて、七元帥もいまや五元帥、いつまでも元帥たちのみで帝国軍を差配できるものではない。すでに軍務尚書職はフェルナーが引き継いだ。次はバイエルラインと卿の番だぞ」
 この時、メックリンガーの胸中に、ヴェストパーレ男爵夫人からかつて指摘された言葉がこだました。
『多忙すぎるのはあなたの才能に対する不実というものですよ』
 メックリンガー自身は自分に取り立てて他と隔絶するほどの芸術的な才能があるとは思っていなかったが、いよいよ静かなアトリエにこもって、作品とのみ対話したいという欲求が、多忙な公務の日々にあってこそ強まっていた。
 この乱が終結すれば統帥本部総長のポストを用意するとミッターマイヤーは約束してくれたが、もし乱が収まれば、自分の欲求から言っても、後進に道を譲るという点から言っても、オルラウをそのポストに推挙してみようとこの時、メックリンガーは決めたのであった。

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(3)

 ゾンネンフェルスの直率軍、親衛隊を名乗るその部隊は2万の兵を擁するまでになり、これが直接の手足となって総数でおおよそ1000万人にまで肥大化していた反乱軍を統率していた。鉄の規律とはとてもいかなかったが、女子供を含んでいることが、かえって帝国軍の攻撃姿勢を削ぎ、オーディーンの要所を次々と制圧していた。
 ゾンネンフェルスは旧軍務省を接収、ここを「正統帝国軍大本営」に定め、バルツァー伯爵と会見を行い、女帝カザリン・ケートヘンを擁立、自らを帝国元帥に任じ、バルツァー伯爵は帝国宰相として、「復興銀河帝国」の大雑把な陣容がまずは定まった。
 バルツァー伯爵はかたわらに幼女を坐らせ、その周囲をゾンネンフェルスらが囲む形で、全銀河系に向けて、ゴールデンバウム王朝の復活を宣言した。
「そもそも女帝陛下は即位時にも退位時にもご幼少であらせられ、ローエングラム公に禅譲を強いられた時、いかなる意味においてもご自分の意思はそこにはなかった。よって、ご意思に拠らない退位と禅譲がそもそも無効であり、銀河帝国の帝位はなおも女帝陛下のお手のうちにある。
 我々はローエングラム公爵家に対する反逆者ではなく、法理的に正統の皇帝陛下を擁するに過ぎない。臣下の一人にすぎぬローエングラム公爵家に対しては叛逆すること自体が不可能である。
 全帝国臣民に告ぐ。道理を踏まえて、ただちに正統なる政府、正統なる王朝のもとに立ち返るべきである。我が帝国政府は以下の点を諸君に約束しよう。
 第一に国境を直ちに閉じ、銀河の統一の名の下において、外国勢力による収奪を今後は断じて許さない。
 第二に農民たちを故郷に返し、従来のやり方で生計が立つように外国の産品の流入を規制する。
 第三に貴族の専横はこれを許さず、法秩序において貴族が民衆を蹂躙することは再びあってはならず許されない。
 我々、ゴールデンバウム王朝銀河帝国は、銀河の統一を望まない。自由惑星同盟の復活と主権を承認し、フェザーン自治領についても同様である。講和状態は維持され、それぞれの領域において、それぞれ望ましい統治を行い、並立するのみである。
 同盟領とフェザーンにおいて、隷従の鎖を噛みきらんと立ち上がるものに対しては立場の違いを越えて我が王朝が必ずや支援するものである。
 ローエングラム公爵家に対しては本来は叛逆者として処分するべきではあるが、すでにラインハルト・フォン・ローエングラムが逝去していること、叛逆者ではあるが多大な功績があったことも無視し難いことを踏まえて過去のことについては不問に付す。ローエングラム公爵家に忠誠を誓う者は、これから先に更に彼らが過ちを犯さぬよう、誠心誠意説得して、正統政府への恭順を説くべきである」
 カメラは引いて、正統帝国政府の政軍の首脳たちを映した。その中にはむろん、ブラウン、クロジンデ、そしてポプランの姿があった。

 帝都フェザーンでもむろんその会見の様子は視聴された。
「生後1歳の時に退位した女帝が、赤子であったから退位は無効というならば、生後4歳ならば自我が発達しているというのか。しょせんゾンネンフェルスらの屁理屈だ」
 ミッターマイヤーはそう喝破したが、正統性の保持という点においては、その会見は意外とローエングラム王朝の脆弱性を的確についていた。
 女帝を敵に奪われたのはまたしても憲兵隊の深刻な失敗であった。さすがにケスラーは辞任を考慮したが、この時期に辞任するのは逃げるのも同然だとブレンターノにきつく諌められ、辞意を公にするまでには至らなかった。女帝の父のペクニッツ公爵には年150万帝国マルクも支払っていたが、それだけのカネを払っても、結局は暴徒に脅されれば娘を差し出すしかない気弱な人物であり、そのような男にはカネでは何をも期待はできないことをケスラーは苦い思いと共に教訓とするしかなかった。
 早々にオーディーンから移しておくべきだったかと思ったが、ではどこに、と考えるとそう簡単な問題ではなかった。フェザーンにおいておけば監視はしやすいが現王朝にとっても邪魔にならないとは限らなかった。廃位された女帝であったが、ラインハルトに禅譲したという形式がある以上、「先帝」に対する礼遇は必要で、辺境に隔離して幽閉するのも、ローエングラム王朝の正統性保持の観点から言えば問題があった。
 一番適切であった解決方法は女帝を殺しておくことであった。正直に言ってケスラーはそう考えなかったわけではない。どれほど手厚い環境におかれていても幼児が急変して逝去することはあり得る。そのような形で決着をつけることも、憲兵隊を擁するケスラーには不可能ではなかった。だが、それが出来なかったところがケスラーの限界であり、彼をしてその地位を与えられた根本の理由であっただろう。どのような理由があれ、幼女を殺害するなど、まともな国家がすべきことではなかった。しかしケスラー自身は国家ではない。敢えて国家のために汚名を着る覚悟が必要だったのではないか。ケスラーは自問すれども答えは出なかった。
 そう考えながら、ふとケスラーは疑問を抱いた。
 オーベルシュタインが女帝が潜在的にはローエングラム王朝の脅威となりえることに気づいていなかったはずはない。ならばなぜ、オーベルシュタインは女帝を生かしておいたのか。
 彼が決意すれば女帝を亡き者にするのはたやすかったはずである。しかししなかった。
「予ですらも国家に害をなすと思われれば、オーベルシュタインは排除するであろう」
 かつてラインハルトがそう語ったとケスラーは聞いている。その時はただ、いかにもありそうな話だと思っただけであったが、女帝がもし、皇帝ラインハルトが暴君化した時の保険であったとすれば、オーベルシュタインの無為は理解できる。
 カイザー・ラインハルトもオーベルシュタインも既に無い。だがある種の人々から見れば、ローエングラム王朝は膨大な人数の生活困窮者を作り出したことによって王朝の意思自体は善意であっても、結果的に暴政化したと言える。そして保険である女帝がカードとして使用された。
 これはあるいはオーベルシュタインの目論見通りであったのか。憲兵隊本部の最上階から、ケスラーはフェザーンの夜景を見下ろした。あかあかと光にあふれ、人々は喧騒の中で自らの野望を実現すべく、うごめいている。その野望がフェザーン眠らない街にしていた。穏やかではなかったが、いつも通りの変わらぬ、繁栄の光景がそこにはあった。その景色だけを見ていれば、アルターラントの困窮も、その動乱も幻のように思えてくる。
 遠い星のことなど忘れてこの喧騒にのみ身を任せたいと一瞬ケスラーは思ったが、その退嬰的な感覚こそ、外界との交流を閉ざしてむかしながらの停滞に安住したいという、オーディーンの人々のメンタリティそのものであると気づいて、ケスラーは自分の中にさえ、ゴールデンバウム王朝的な精神が未だにこびりついているのを思わずにはいられなかった。

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(2)

 アイゼナッハ元帥戦死の報は誤報であったが、帝国軍首脳部がそれで慰められるわけではなかった。アイゼナッハが死んだことには違いがなかったからである。誤っていたのは戦死の部分であって、正確に言えば、アイゼナッハはひとりの下士官の突然の発砲によって殺害されたのであった。その男が帝国同胞団の関係者ならば、アイゼナッハは戦死したことになるだろうが、そうではなくまったくの単独犯であったことから、アイゼナッハの死の扱いは宙に浮くことになった。
 アイゼナッハ艦隊の指揮は、分遣艦隊司令官で艦隊全体の副司令官であるグリーセンベッグ上級大将が引き継いだ。ミッターマイヤーはグリーセンベックに対し、地表における軍関係者の家族・行政官の可能な限りの保護、ただし戦闘の拡大は避け、当面、現状維持を旨とする指示を出し、善後策を話すために、残りの現役四元帥たちと超光速通信を使用しての緊急会議を執り行った。
 出席者は銀河帝国総司令官ミッターマイヤー首席元帥、軍務尚書メックリンガー元帥、憲兵総監ケスラー元帥、宇宙艦隊司令長官ビッテンフェルト元帥、イゼルローン方面軍司令官ワーレン元帥であった。
 会議の冒頭、ミッターマイヤーの指示で、元帥たちは1分間の黙祷を僚友アイゼナッハに捧げた。
「リップシュタット戦役にてローエングラム公の元帥府に集った頃からすれば、寂寞の限りだな。今や、現役の我らが僚友たちはここにいるこの5名しかおらぬ」
 ワーレンが思わず心中を吐露した。ミュラーとアイゼナッハが欠けた今となっては、なおのこと、寂寥の思いが誰の胸にもあった。しかしミッターマイヤーは鼓舞するかのように声を強くして言った。
「この5名しかおらぬからこそ、我々は感傷にふけってはおられない。今や銀河帝国は再び危機の中にあり、ローエングラム王朝を支える武人は我らをおいて他にはなしと心得よ。我ら5名、一致団結して、その限りを尽くしてこの危機にあたらねばならぬ」
 残りの4元帥はミッターマイヤーの静かだが熱い言葉に頷いた。
「アイゼナッハの扱いはどうなるのか。せめてファーレンハイト、シュタインメッツらに倣って、ジークフリートキルヒアイス武勲章を授与してはどうか」
 ビッテンフェルトの問いかけに、それを判断する直接の責任者であるメックリンガーは首を振った。
「戦闘の結果の死亡ではないから暗殺ではあっても戦死ではなかろう。扱いとしては、レンネンカンプと同様であるべきかと考える」
「そうか」
 ビッテンフェルトはそれ以上はくいつかずに、溜息と共に引き下がった。信賞必罰は武門の倣い、元帥といえどもその例外ではなかった。
「一士官の単独犯であったという点が事態がいっそう深刻である証拠であろう。帝国同胞団がその触手を伸ばさずとも、勝手に下士官や兵たちが呼応してくれるというならば、帝国同胞団にとってはこれほどやりやすい話はなかろうし、我々にとっては自らの旗艦の中にあってさえ安全が保障されないことになる。統制にとっては深刻な打撃だ」
 ワーレンの指摘に、元帥たちは頷いた。犯人は、近々、退役する予定だった男で、軍に対して恨みがあったようだが、オーディーンの現状に対して無為であった帝国政府を批判しているとの報告が上がっていた。もともと、農民上がりの平民で、その家族もまた、流民化していたらしい。
 帝国軍将兵の9割以上はアルターラント出身者で占められているだけに、同様の衝動を持つ者は数多くいるだろうと予想された。
 アイゼナッハは部下や将兵に対して決して暴君ではなく、むしろその慈悲深さの程度がはなはだしく、亡きオーベルシュタインからはしばしば統制がないがしろにされかねないとの苦言を呈されていたほどであった。そのアイゼナッハにしてこのような凶刃に倒れたとすれば、安全な将帥などは誰もいないと覚悟を決めておくべきであった。
「帝国同胞団の詳細についてはその後、何か分かっているのか」
 ミッターマイヤーの問いかけに、ケスラーは簡単に答えた。
「首謀者の名としては幾人かの名が挙がっていましたが、九分九厘、ゾンネンフェルス中将で間違いないかと思われます。いずれにせよ遠からず会見なり宣伝なりであちらの方から姿を現すでしょう」
「やはりゾンネンフェルスか」
 ミッターマイヤーは唇をかみしめた。ロイエンタールの叛乱後、ゾンネンフェルスを寛大な措置で解放したのはミッターマイヤーの差配によるものであったから、これはミッターマイヤーの失敗であったと言っても良かった。
「指導する立場に立つ者は寛大でありすぎてもいけないということか。オーベルシュタインの言が正しかったようだな。これは俺の罪である。事が終われば自らを処分するつもりだ」
 ミッターマイヤーの言葉にケスラーはかぶりを振って答えた。
「そもそもゾンネンフェルス中将らに寛大な措置をとったのは亡きカイザーの御指示、閣下がそのようにご自分をお責めになられるのはかえってカイザー・ラインハルトのご意思を軽視なされるものでしょう。罪を言うならば、憲兵総監の任を預かりながら事態の把握が後手後手に回った小官こそが罰せられるべきでしょう」
「いや、卿の存在はますます重要になった。罰するなど慮外のことだ」
「それならば総司令官閣下ご自身についてはいっそうそう言えましょう。いずれにせよ、当面我々は一人も欠けてはならぬのですから、出処進退のことは何と言われようが我々自身のことはまずは考えるべきではないでしょう。報告を続けますが、帝国同胞団の背後にはスポンサーとしてバルツァー伯爵家がいるようです。当座の策として財務省と連携して、オーディーン以外においてバルツァー伯爵の資産を凍結させました。また、ゾンネンフェルスの補佐として、幾人かの名前が挙がっています。ひとりは、クロジンデ・フォン・メルカッツ、女性ですが、名前からお分かりの通り、亡きメルカッツ提督の娘です。別の一人は、オリビエ・ポプラン、イゼルローン共和政府の指導部の一員であった男で、彼についてはフェザーンユリアン・ミンツらと離れて以後、その行動を把握していないことを、バーラト自治政府から報告として上がってきています」
「それをどこまで信用してよいのか。バーラト自治政府はもともとは自由惑星同盟の残党、メルカッツの娘も関係しているとなれば、彼らが関与していると見るべきなのではないか」
「いやいやビッテンフェルト、連中は馬鹿ではない。まずはバーラトの自治に専念するはずで、今、帝国を敵にするはずがない」
「それはどうだろうか、ワーレン。卿は彼らと親交があるゆえにそう見えるだけのことではないのか。彼らの人柄をどうこう言うのは別にして、彼らには彼らの大義があろう。そもそもあの絶望的な状況にあってもあえてイゼルローンに踏みとどまった連中だ。冒険的な部分は多分にあるだろう」
 ビッテンフェルトのその言にワーレンは再反論をせずに、ケスラーに向かって、
ユリアン・ミンツは何と言っている?」
 と聞いた。
「無論、バーラトの関与を否定していたが、彼とてもヤン・ウェンリー党から既に離れた身、彼が知らされていないだけかもしれぬ」
「それはないだろう。第一に、バーラトが関与しているならば、バグダッシュなりそれこそユリアン・ミンツを送り込むはず。同盟のレッドバロン撃墜王)を送り込んで、何の役に立つというのか。それに、これが意図した結果であるならば、バーラトと近い立場の人間は潜伏させておくはずだろう。俺は何もユリアン・ミンツやヤン夫人との友情から言っているのではない。場合によっては彼らは彼らなりの大義のために我々との友諠を切り捨てるかも知れない。しかしこのような利にもならぬ、道理が通らないやり方はしないはずだ。彼らはローエングラム王朝の忠実な臣下には成りえぬだろうが、少なくとも馬鹿ではない」
 ワーレンの発言を後押しして、メックリンガーが口を開いた。
「ワーレン提督の言に賛成だ。彼らは歴戦の兵、少なくとも軍事において理屈が通らぬことはしないはず。メルカッツの娘とポプランはそれぞれ独自の判断で動いているとみなすべきだろう。ケスラー総監、卿もそう思うのではないか」
「どちらかを選べというなら、そうだ、確かに俺もこの件にバーラトが噛んでいるとは思えない。だがこの先、状況がどう転ぶかは分からぬ。彼らがこれを好機として策動を始めないとは限らない。近隣のリオ・ヴェルデ星系に数個艦隊を念のために派遣しておくべきだろうな」
「ウルヴァシーに残留しているジンツァー艦隊、ドライ・グロスアドミラルスブルクからヴァーゲンザイル艦隊を派遣しよう。異論はあるか」
 ミッターマイヤーはそう言って、モニターの先の元帥たちを見渡したが、異論はないようだった。
「アイゼナッハがこういうことになってしまった以上、現場の指揮をグリーセンベッグに委ねるのは心もとない。オルラウならば慎重に事に当たるだろうが、何しろ上級大将になったばかり、独自で艦隊を率いるのは今回が初めて、ここで無理をさせて潰したら将来の帝国軍の人事構想が壊れる。と言って、バイエルラインは数倍しようとも敵軍相手であれば指揮させて何の不安もないが、今回は仮にも民衆が相手、外連味をきかせられる男ではない、ここはやはり誰か元帥が出征すべきであろう」
「首席元帥、そういうことならば、宇宙艦隊司令長官である俺が行くのが妥当ではないのか」
「いや、卿は新司令部を構築の最中、それに場合によってはノイエラントにもにらみを利かせないといけない。卿はドライ・グロスアドミラルスブルクにとどまるべきであろう」
「では、俺が赴こうか」
 ワーレンが言った。
「いや、イゼルローンは帝国の動脈、万が一のことがあってはならない、卿はそこにとどまるべきだ。それに卿の兵力は既にアルターラントに投入されている。卿には回廊周辺の諸星系の総督としての任もあろう。イゼルローンに乱を波及させぬことに専心してくれ」
 そうなれば後に残るのはミッターマイヤー、メックリンガー、ケスラーしかおらず、ケスラーは用兵家ではなかったから、ミッターマイヤーかメックリンガーのいずれかであった。
「いや、さすがに総司令官閣下がじきじきに出征されては鼎の軽重が問われかねないだろう。ミッターマイヤー元帥こそ帝都に在って皇帝陛下をお守りするべきだ」
「何を言うか、ワーレン、俺が行くなど一言も言っていないぞ。メックリンガー、かねての手筈通りとあいなった。行ってくれるか」
「分かりました。フェルナー中将にはさっそく、二階級昇進の辞令を出しましょう」
「うむ」
「ちょっと待ってくれ、どういうことなんだ、説明してくれ」
 ワーレンはモニターの先のミッターマイヤーとメックリンガーを交互に見た。
ルーヴェンブルンの七元帥が五元帥になった。我ら軍首脳にも新しい血を入れるべきであろう。フェルナー中将を二階級昇進させ、上級大将とし、皇太后陛下の認可が下り次第、新任の軍務尚書とする。昇進させる理由はメックリンガーが適当にこしらえてくれるだろう。メックリンガーはアイゼナッハの後任としてアルターラント方面軍司令官に転属する。事が終わればフェザーンに戻って貰い、統帥本部総長に就任してもらう。今は国家存亡の危機にあると心得よ。使える者は階級が低かろうが使い倒す。フェルナーをまさか元帥には出来ぬから上級大将のまま軍務尚書となるが、階級は下でも軍務尚書としては卿らの上司になる。彼も難しい立場に立たされることになる。十分に助けてやって欲しい」
 元帥たちは一斉に立ち上がり、敬礼をした。
 会議を終え、その足でメックリンガーは軍務省内にいたフェルナーを呼び止めて、待機しておくよう命じ、自身は宮殿に赴きヒルダに面談を求めた。ヒルダにミッターマイヤーの決定を伝え、承認を仰いだ。ヒルダはその場でフェルナーを軍務尚書に、メックリンガーをアルターラント方面軍司令官に任じる文書に署名して、メックリンガーに聞いた。
「新軍務尚書を元帥に叙さなくてもよろしいのかしら」
「それではさすがにフェルナーには荷が重すぎましょう。むろん、それだけの働きはする男ですが、このうえ元帥杖まで与えては周囲の嫉妬はなはだしく、彼もやりにくいでしょう。後日、適当な時期に陛下のご判断でそうなさってくださればよろしいでしょう」
「分かりました。今回は見送りましょう。新軍務尚書にお伝えください。明日、午前7時にこちらで簡単な親任式を行います。15分前には待機しておいてください。続いて閣議が開かれますからそこで閣僚たちに顔みせしていただくことになるでしょう」
 軍務省に戻ったメックリンガーは、尚書室に主だった上級軍事官僚たちを揃わせて、その中で、フェルナーに対し、オーベルシュタイン元帥死後の混乱した状況でミッターマイヤー元帥とメックリンガーを適切に補佐した功績と、オーベルシュタインの葬儀をつつがなく執り行った功績でもってまず大将に任じ、約1分後に上級大将に任じた。正確に言えばフェルナーが大将であった時間は45秒であり、これは大将の在任期間としては歴代最短であった。
 次いで、
「勅令である」
 との声を発し、一同、最敬礼の姿勢を取った。
銀河帝国皇帝アレクサンデル・ジークフリード陛下、ならびに摂政皇太后ヒルデガルド陛下の御名において、フェルナー上級大将を軍務尚書に任じる。謹んでお受けし、職務に精励されたし」
 こうして銀河帝国は危機の中にあって、反撃の体制を速やかに整えつつあった。
 

Struggles of the Empire 第6章 終わりなき夜に生まれつく(1)

「アイゼナッハは何をしているのだ!」
 統帥本部にてオーディーンから送られてくる情勢の報告を受けて、ミッターマイヤーの怒号が響いた。ミッターマイヤーのかつての主要な部下たちの多くは独立艦隊を率いる提督として各地に赴任しており、今は副官のアムスドルフ大佐が一人でその雷鳴を引き受けなければならなかった。
「前線の経験が少ないことがかような結果を招いたか」
 ミッターマイヤーの立場であれば、仮にも前線の司令官を貶めるようなことを、しかも他の部下の前で言うことは慎むべきであったが、「アイゼナッハはよくやっている」とは到底言い難い状況であった。それにアムスドルフであれば聞いたことを他言するような真似はしない。
「あの暴徒の群れに直面して、アイゼナッハ元帥は司令部を維持なさっておられます。責められるようなことではないと思いますが」
 冷却を促すために、アムスドルフは敢えてアイゼナッハを擁護した。
「司令部を戦艦に移して大気圏外から指示を行うのはいい。だがしかし、主力を地表から上げすぎている。このままでは将兵の家族、行政官僚たちが人質に取られるぞ」
「暴徒たちが早々にそこまで気を回すでしょうか」
「彼らの統制と言い、的確な運動と言い、組織された軍の統制下にあるのは疑うべくもない。略奪は行われているが、暴動の規模に対しては比較的軽微というしかない。戦力の選択的集中を誰かが行っている証拠だ」
「ならば、今からアイゼナッハ元帥に司令を出して対応策を取らせてもおそらくは間に合わないでしょうね」
「敵の動きの方が早いだろう。アイゼナッハ自身はどうなのだ。家族は脱出させているのか」
「問い合わせてみましょう。それなりの警護はさせているでしょうから早々敵の手には落ちないでしょうが」
「百万、二百万、あるいは一千万の暴徒の前には銃火器など何の効果もない。それこそ、敵とみなして根こそぎに殺しつくすつもりがあるならばともかく、そんなことをすれば王朝が拠って立つ正義が根幹から覆されるだろう」
 アムスドルフが問い合わせてから一時間後に前線の司令部からいかなる将兵も家族を同伴していないこと、その多くと連絡が取れていないことをアイゼナッハ副官のグリース中佐名義で返答が送られてきた。
「たわけが。他の将兵の家族が危険な時に自分の家族のことなどかまってはおられないと見栄をはったのではあるまいな、アイゼナッハは。連れて行けるものは手を尽くして連れてゆくべきであったのだ。人質をとられて戦える将兵はおらんというに」
「アイゼナッハ艦隊そのものを引き揚げさせて、他の艦隊にあたらせるしかないかも知れませんね」
「取り敢えずは先遣隊としてオルラウ艦隊がオーディーンに急行している。しばらくすればバイエルラインも到着するだろう。オルラウが到着次第、指揮権をオルラウに引き継がせる。アイゼナッハは更迭だ」
「閣下、しかしそれは余りにも重大な事態を招きかねません。七元帥は帝国の重鎮、その一角が暴徒たちによって崩されたとあってはいたずらに彼らに勝利の美酒を味あわせることになり、呼応者を続出させることになりかねません。アイゼナッハ元帥に対して厳しすぎるご処断は、帝国にとって利益とはならないでしょう」
「卿も年齢相応に慎重論を言うようになったか。だがしかしその通りだ。アイゼナッハに任せてはおけないのは確かだが、更迭とみられないような策は打っておこう。オルラウが到着次第、情勢報告のためにアイゼナッハ艦隊はフェザーンに引き揚げさせるという形ではどうか」
「それはそれでよろしいのですが、アイゼナッハ元帥の後任が先日昇進なさったばかりのオルラウ上級大将では、元帥が更迭されたという印象は免れがたいでしょう。この際、他の元帥がたのどなたがが前線で事態収拾にあたられるべきかと思われます」
「もっともな話だが、動けるのは宇宙艦隊司令長官のビッテンフェルトしかおらんぞ。ビッテンフェルトはこういう事態の対処に不向きであるし、それにこういう事態の時に、ノイエラントどころかこのフェザーンでさえ何が起きるかわからぬ。司令長官率いる帝国軍主力はドライ・グロスアドミラルスブルクに残留させるべきであろう。となると、ワーレンをイゼルローンから動かすか」
「イゼルローン方面軍は既にアルターラントの他星系の治安維持に動いています。ワーレン元帥ご自身はイゼルローンにいらっしゃいますが、元帥おひとりがオーディーンに向かうというのはいかにも異常な感じを周囲に与えるでしょう。そうなればアイゼナッハ元帥の更迭と受け取られることは否めなくなります」
「ならば俺が行くというのもひとつの手ではあるか。バイエルラインも行くのであるし、俺が事に当たっても不自然ではあるまい」
「いえ、それはさすがに。首席元帥閣下は軍の総司令官、フェザーンから動いてはなりません。閣下がお動きになる時は、帝国がそれだけ追いつめられた時のみです。私はミュラー元帥が行かれるのが一番よろしいのではないかと思いますが」
ミュラーは退役したばかりだぞ」
「しかし元帥位は維持されておられます。一時的に現役に復帰なされるのもよろしいのではないでしょうか」
「それは駄目だ。カイザーご自身ならばともかく、皇族が軍に、しかも軍令に口を出すようなことがあれば将来に禍根を残す。それならばまだ俺が行った方がいい」
 しかし、それから数時間後に、統帥本部にもたらされた知らせはミッターマイヤーとアムスドルフの間の議論を無効化した。
 エルンスト・フォン・アイゼナッハ元帥、戦死の知らせであった。 

Struggles of the Empire 第5章 ロキの円舞曲(11)

 ゾンネンフェルスはポプランを帝国同胞団に参加させることに積極的ではなかった。第一に空挺部隊出身者では司令体制の確立においては役には立たないであろうと踏んだこと、第二に帝国の軍政と同盟の軍政は異なり、場合によっては矛盾する二つの論理が同一組織内に生じる時、ややこしい問題を引き起こしかねないと考えたからであった。
 クロジンデは帝国人である自分たちと問題意識を共有できるなら、ポプランを積極的に排斥する意図は無かった。しかしポプランの態度は矛盾していた。クロジンデの論理は明快である。他人が自分たち帝国人と問題意識を共有しなければならない、とは考えない。他人なのだから。他人なのだから黙って通り過ぎればいいのだ。しかしポプランは、帝国人であるクロジンデの選択には干渉しながら、帝国人としての意識を共有していない。シュナイダーはオーディーンに生まれた帝国人ではあるが、今の時点ではクロジンデらと意識を共有出来る立場ではなかった。だから去った。そのことをクロジンデは批判もしないし恨んでもいない。当然の選択だと思うだけである。しかし、ポプランは去りもせずに干渉もやめようとしない。そこが矛盾していると思うのだ。
 ポプランにとってはクロジンデを見捨てられないのは彼女がメルカッツの娘だからであった。少なくともポプランはそう考えていた。実際には少し違う。クロジンデはポプランの人生の中ではこれまでいない類の女性であった。ある時点から自立を余儀なくされたとしても、どのような意味においてもクロジンデは自立しており、精神的に誰にも依存していなかった。詳細に言えばそういう女性がポプランの人生にこれまでいなかったはずはないが、ポプランは無意識にそういう女性とは深くは付き合ってこなかったのである。ポプランにとって女性は、守るべき者、戦う口実を与えてくれる者、そして男である自分を一時癒してくれる者であった。クロジンデについても、メルカッツの娘でなければ彼女と交差することは無かったに違いない。しかし交差してしまえば、時に批判者、時に友人、時に師ともなれるこの女性をもっと知りたいと思うようになっていた。ポプランにとって一番望ましいのは、クロジンデが帝国同胞団と袂を分かって、以後、自分と行動を共にしてくれることであった。
 ポプランにしても帝国同胞団を批判するつもりはない。ゴールデンバウム王朝を復権させるというのも大義名分を得るためには必要なことなのだろうと思う。これだけの流民を生じさせる現体制に何がしら深刻な欠陥があるのは疑うべくもなく、自分たちは安穏な生活を得られるにもかかわらず、困窮した人々のためにそれを擲とうというゾンネンフェルスのような人物に対する敬意はあった。しかしポプランにも郷里はあり、それはバーラトにいるフレデリカたちである。旅人ではあってもポプランはもはや、自分の選択を好き勝手に決めていい立場ではない。
 ならば去れ、それを責めない、とクロジンデは言う。クロジンデがここを去るつもりがない以上、ポプランに残された選択は、フレデリカたちとクロジンデのどちらを選ぶかということに他ならなかった。そして結局、ポプランはここを去ることが出来なかったのである。
 エーリッヒ・ブラウンには当面の役にはたたないまでも将来の用のためには手放したくない事情があった。「叛乱」が起動に乗った後に、ポプランがこちらにいることを示せば、フェザーンとハイネセンの間に疑惑を打ち込む材料になりえた。ブラウンにとって本題は自由惑星同盟の復活であったから、ノイエラントが現状に安定してもらっては困るのである。ハイネセンの政府が追いつめられて窮鼠が猫を噛む、ノイエラントの人々が日々の生活に安住するのではなく、立ち上がったオーディーンの民衆を見て、そして一時的に軍事的空白として取り残されるであろうノイエラントの状況を見て再び自由のために立ち上がることを望んでいた。
 ポプランはそのための材料として必要であった。ハイネセンとフェザーンの間に不和をもたらすために、そして今なおも自由のために戦っている同盟人がいるのだと、同胞たちにはっきりと知らしめるために。
 結局、もやもやとしたまま、ポプランはオーディーンにとどまった。手伝い仕事をするうちに、スラムの状況がどれだけひどいのかを目の当たりにし、司令部の一員として仕事をこなすようになっていった。
 そして決行の日を迎えたのであった。