Struggles of the Empire 第4章 ワルキューレは眠らず(1)

 新帝国暦4年、新年であった。
 多事多難の歳月であったがようやく小康を得たようであって、フェザーンは未曽有の繁栄を謳歌していた。遷都以前と比較して、惑星フェザーンの人口はほぼ倍増の50億人に達していて、フェザーン・セントラル・シティは膨れ上がる一方の不動産需要を満たすために、200を越える超高層ビルの建築が進んでいた。過密緩和の目的から、宇宙艦隊司令部は建築途上のドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に移転し、帝国軍の主力とミュラー司令長官もそちらに赴任していた。
 七元帥の異動は完了し、帝都フェザーンに常在していたのは、ミッターマイヤー、メックリンガー、ケスラーの三元帥であり、ワーレンはイゼルローン要塞に、アイゼナッハは旧帝都オーディーンに、ビッテンフェルトはウルヴァシーに、そしてミュラーはドライ・グロスアドミラルスブルク要塞に駐在していた。
 皇太后ヒルダ、皇帝アレク、そしてグリューネワルト大公妃アンネローゼは、元帥たちから新年の祝賀の挨拶を受けたが、実際にルーヴェンブルン宮殿に伺候したのは帝都駐在の三元帥であり、他は超光速通信を介しての挨拶であった。
 帝都駐在の三元帥は皇宮を辞すると、内々で新年の祝いをすべく、ミッターマイヤー邸に集った。ミッターマイヤーは主だった部下に、夫人の負担が重くなるので新年祝賀のため自邸に訪問することを慎むよう告げており、来るなら、7日過ぎに来い、新年くらいは家族とゆっくりさせろと言ったことを、軍務尚書憲兵総監も漏れ聞いていたので、最初は遠慮したが、
「卿らとゆっくり話すために他の連中をおっぱらったのだ。お互い多忙の身、こう言う時でもないとなかなかこうやって集まることもめっきり減ったからな」
 と言ったので、メックリンガーとケスラーは遠慮せずに首席元帥の家を訪問した。ミッターマイヤー邸は簡素な造りだったが、庭は立派なもので、イギリス式の回遊庭園になっていた。
「これはなかなか立派な庭ですが、さて、以前はもっと簡素なものだったと記憶していますが」
 メックリンガーがそう言った。
「実は昨秋、俺の両親がオーディーンからこちらに転居してきて、今、同居しているが、親父が来るなりそうそう庭いじりを始めてな。当人は死ぬまで現役の庭師のつもりらしい。うちの庭では飽き足らぬようで、気に入ってくれたなら卿の邸宅の庭もいじらせて貰えたなら当人は喜ぶかと思うが」
「総司令官閣下のご父君を使うなど恐れ多いことですが、ご当人がよろしいならばお願いしてみましょう」
 邸内に入った元帥たちは、ミッターマイヤー夫人、ミッターマイヤーの両親、ミッターマイヤーの一子フェリックス、そして被保護者のハインリッヒ・ランベルツに囲まれて、歓迎を受けた。メックリンガーはその場で自邸の庭作りのことをミッターマイヤーの父に頼んでみたが、ミッターマイヤーの父は快く引き受けた。
「さすが、メックリンガー提督は見るべき目を持っていらっしゃる。うちの倅などは子供の頃から仕込んだのに、庭の良し悪しがとんと分からぬ朴念仁で、まったく不肖の息子ですわい」
 メックリンガーは帝国軍の首席元帥にまで上り詰めた息子を庭に対する審美眼がないからと言って、不肖扱いする父親もすごいと思ったが、それだけ自分の仕事に誇りを持っているからだろう。それが分かっているからミッターマイヤーも頭を掻きながらも、庭の話を嬉々として話す父親を暖かい眼ざしで見ていたのだった。
 ミッターマイヤーの父は長らく一介の造園技師として生きてきたが、自身の創造性を発揮する機会を晩年になって得て、ミッターマイヤー様式と呼ばれるイギリス式庭園と幾何学庭園を融合させた特殊な様式を作り上げ、造園史にその名をとどめることになる。主な顧客はミッターマイヤーの同僚や部下たちであって、初期ローエングラム王朝において確立される幾つもの美術様式の一端を担ったのであった。ミッターマイヤーもその父も、謝礼は拒絶したが、頼む方としてはそうもいかず、折衷として造園技師学校の生徒に与えられるミッターマイヤー奨学金制度が作られ、謝礼はそちらに振り込まれることになった。
 食事は皇宮で呼ばれたからと、アペタイザーのみをミッターマイヤーは夫人に頼み、両提督を自身の書斎に招き入れた。当たり年のワインが開けられ、今年がつつがない年であることを三元帥は祈念した。
「転居者と言えば、オーディーンからの転居者が増えるばかりですが、ご存知でしょうか、先日、かのミュッケンベルガー元帥がこちらに転居されたとか」
 軍務尚書が言ったその言葉に、ミッターマイヤーもケスラーも驚いた。その名を聞くのも久しぶりで、まだ生きていたかとの思いがあったが考えてみれば死んだとも聞いていないので生きているはずだだ。
「退役したとはいえ、考えてみればかの人は最先任の元帥にあたるわけだ。首席元帥は俺ではなく彼であるのかも知れぬな」
 ミッターマイヤーのその言葉にケスラーは首を振った。
「総司令官閣下を首席元帥に任じられたのは先帝の勅令があってのことですから、単純に先任順というわけではないでしょう。しかし我々他の元帥よりは上位者になるのかも知れませんな。して、かの御仁はいまさら何用あってフェザーンへ?」
「ミュッケンベルガー元帥には一人娘がいて、その女性が財務省の役人と結婚してフェザーンにいるのです。当人はオーディーンに留まりたかったのでしょうが、旧世代の知己はあらかたリップシュタット戦役で一掃され、家族はフェザーンにいるとなれば、旧帝都に固執する気力も薄れたのでしょう」
 メックリンガーの答えにケスラーは頷いた。
「かつては皇帝ラインハルト陛下を陥れようとした方。同情する気にはなれんが、生き残ったならば生き残ったで、寂寥があるのみとは、他人事ながら人生もままならぬものよ」
 そう言ってケスラーはグラスのワインを飲み干し、手酌で追加を注いだ。
「しかし一応は元帥籍がある人だ。軍務省としても相応に遇さねばなるまい」
 ミッターマイヤーは乗り気がしないまでも、これは個人の好き嫌いの問題ではない。ミュッケンベルガーはゴールデンバウム王朝の軍人であり、ミッターマイヤーらはローエングラム王朝の軍人であった。実態としては明らかに別国家であったが、法的にはローエングラム王朝は前王朝を継承している。ならば、ミュッケンベルガーは現王朝においても少なくとも肩書は元帥なのであって、元帥には数々の特権がある。元帥の地位は終身であって、もしミュッケンベルガーが現役復帰を望むのであれば、それなりに遇さなければならない。これは案外、頭が痛い問題であった。
「軍務省はすでに、かの御仁の意向を聴取しています。現役復帰の意思はないとのことで、ただ護衛を兼ねる副官と、元帥邸を所望の様子。それで済むなら安いものです。ただちにお望みどおりに手配しました」
「ふむ」
 こういうことはメックリンガーに任せて遺漏はない。ミッターマイヤーがすみやかにミュッケンベルガーの名を脳内から追い出しにかかった頃、夫人のエヴァンゼリンがよりどりみどりのアペタイザーを運んできた。
「しかし寂寥と言えばだな、卿らもそろそろ身を固めるべきだろう。いつまでも若いつもりでいると、老後に頼るべき家族もいなくなるぞ。そうなれば寂寥はミュッケンベルガーの比ではあるまい」
「幸福な結婚をしている人は他人にも世話をやきたがると言います。ミッターマイヤー元帥もどうやら例外ではないらしい」
 からからとケスラーは笑った。
「笑っている場合ではないぞ。卿は今しばらく独身を謳歌したいかも知れんがな、フロイライン・フォイエルバッハと言ったかな、あちらは早く所帯を持ちたいかも知れん。聞けばユリアン・ミンツは早々に結婚したと聞く。かの者に見習えとは言わんがな、互いに好きあっているなら、何の障害もないんだ、思い切って踏み込んでみろ」
「まあ、順調に付き合わせていただいています。なにしろあちらはまだ20歳にもなっていない身ですから、もうしばらくはこのままでいようかと。何しろ後で早まったと思われては、私も立つ瀬がない。もうしばらくこのままでいて、なお彼女の気持ちが変わらないなら、その時は仰せのようにいたしましょう」
「ほう、ケスラー提督、卿の方が心変わりすることはないとでも?」
 メックリンガーはからかうようにして言った。
「私の気持ちはもう固まっている。彼女と結婚しないなら、誰とも結婚はしない」
「言ってくれるではないか」
 陽気な酒が入ったのだろう、メックリンガーも声を立てて笑った。
「おいおい私ばかり肴にしてずるいぞ。メックリンガー、卿には思い人の一人や二人はおらんのか」
「思い人が一人ならばともかく二人いてはまずかろうに。そうだな、かれこれもう十年も思っている女性はいる。しかしあちらはなかなか歯牙にもかけてくれんのでね」
 誰だ、と男子中学生が友人の初恋の人を聞くようにはしゃぎながらミッターマイヤーとケスラーが白状させようとすると、メックリンガーは案外、簡単にその名を口にした。
 その女性の名はヴェストパーレ男爵夫人。それを聞いて、ミッターマイヤーとケスラーは、ああ、なるほどと得心した。確かに彼女ならば、長年に渡ってメックリンガーが恋焦がれても不思議はないし、そうそう簡単になびきそうにもない。
「まあ、叶わぬ恋であっても、恋はしないよりはしたほうがいい。私はこれで案外しあわせなんだよ」
 ミッターマイヤーはもちろんメックリンガーにも幸福な家庭を築いて欲しかったが、幸福は人それぞれであるのも弁えてはいた。
 いい具合に酒が入って、三元帥たちは日頃語れぬことをこの際に語り続けるのであった。