Struggles of the Empire 第3章 シュナイダーの旅(1)

 バーラト自治政府の正式発足を受けて、ノイエラントで民主共和主義者たちの活動が活発化するのではないかと、内務省や帝国憲兵は緊張して情勢を見守っていたが、今のところ目立った動きはなかった。
 減税に加え、福祉の拡充と言う目立った成果を帝国の統治は見せていたから、その成果もあってのことだろうとヒルダは慢心はしないまでも相応に自信を深めていた。ラインハルトの決定とは言え、ヒルダもそうそう善意からバーラト星系の自治を容認したわけではない。バーラト星系には帝国治安維持税なる税をかけて、統治にあたってもバーラト星系は規模の利益を享受できなかったから、税負担において、他星系よりも過重な負担を負っている。一般市民レベルで言えばおおよそ倍であって、その負担の重さがいわば自治の代償であった。しかもバーラト星系の産品には高率の関税がかけられて、バーラト星系の企業は銀河系規模での経済活動を事実上封じられることになった。
 これが負担が同じならば、他星系が自分たちにも自治権をよこせをなるに決まっているので、そうはさせないための措置であった。理念はともかく、生活をする上では帝国支配下に留まった方がはるかに有利であって、選挙権は欲しいがそのためにじゃあ、税金を倍負担するか、勤め先の企業が活動が難しくなり倒産してもいいかと問われると、多くの市民はむにゃむにゃと口ごもり、現状維持を選ぶのであった。
 政治へ情熱を燃やすのはすでに野暮ったいという風潮が広がりつつあり、若者たちの関心は経済へ、自分たちの生活を向上させることに注がれていた。
 そうした刹那的な風潮が広がるのは、個人としてはヒルダはあんまり喜ばしいこととは思えなかったが、その風潮によって帝国統治が安定していたのも事実だった。
 ともあれ、難治の地のバーラトには自治政府を発足させ、他星系ではこれという動揺もなく、着実に経済成長を重ねているノイエラントは、まずまずの状況であった。
 問題があったのは旧帝国領、アルターラントである。
 数値自体では成長率は悪くなかった。だからヒルダはアルターラントでも大きな問題はないと思っていたのだが、そうではないと経済担当補佐官のマリアンヌ・ジョールが指摘した。
「陛下、陛下がごらんになっておられるのはあくまで平均値です。フェザーンに隣接するアイゼンヘルツ星系やヴァルハラ星系では、相応の成長率を見せていますが、逆に言えば、奥地や辺境地域での状況はさんさんたるものです。例えばブラウンシュヴァイク星系では、成長率はマイナス、失業率は30%を越えています。基幹産業の農業が崩壊したのが原因ですが、ごく一部の例外を除いて、アルターラントではおおむねそう言う状況にあるとお考えください」
 ゴールデンバウム王朝下では成長よりも安定が求められた。農業も多くの労働者を吸収するがゆえに機械化が計られず、生産性はごく低かった。しかしそれによって失業が低く抑えられていたのも事実なのである。そうした規制が取り払われてフェザーンやノイエラントの資本が入ってくるようになると、従来の帝国企業や帝国の産品は非効率性ゆえにまたたくまに駆逐された。
 その結果、膨大な失業者の群れが発生しつつある。
「帝国全体としては労働力不足の傾向が強まりつつありますから、そうした失業者が移動すれば、痛みを丸く治めることは可能ですが、実際には思うようには移動しません。帝国人はもともと、郷里への執着が強く、なかなか生まれた土地を離れようとはしません。離れるとしても、オーディーンに向かうことが多く、フェザーンやノイエラントに向かう者はわずかです。それに向かったところで、一般に教育に力を入れて来なかった帝国の労働者が、ノイエラントの水準から言えば使い物にならないことが多いのです」
 銀河連邦の後期から末期にかけて、学歴のインフレーション現象が生じた。カフェの店員でも大卒の学歴が求められるようになった結果、進学率がどんどん上がり、しかし高等教育を修了した者に相応しい職を提供することは出来なかった。その結果、哲学博士や文学博士が道路工事に従事していたりすることが一般的になったのである。誰しもそれがバカバカしい状況だとは思ってはいたが、道路工事に従事するにも実際に博士号が必要になれば、大金を払って学校に行かないわけにはいかなかったのである。
 この状況で儲けたのは学校関係者のみであって、社会的には膨大なコストの無駄が発生した。企業の営業職に就くのでも、博士課程を修了するのが一般的になれば、三十歳を越えて学生生活を続ける者が多くなり、労働人口の相対的な減少に見舞われ、社会保障制度の多くは破綻した。
 この反省から、と言うよりは、
「愚か者に教育を与えても、教育をかじった愚か者しか作らんわ」
 というルドルフ大帝の民衆蔑視の姿勢もあって、帝国では少数のエリートのみが高等教育に進める制度に切り替えた。
 連邦末期の状況は自由惑星同盟にとっても反省材料であって、同盟初期の指導者たちも教育の重要性は分かっていたが、無制限にインフレ化を招いては元も子もないことも認識していた。誰もが高等教育機関に進学しなければならない制度よりは、高等教育を無駄に受けなくても相応の生活を営める状況を作る方が重要だと言う認識の下で、士官学校や専門学校を含む大学進学率そのものはおおむね15%程度に抑え、その代わりに市民大学を充実させる方策を採った。
 そのため、この時代、学士の数は旧帝国領でも旧同盟領でも決して多くは無かったが、旧同盟市民は働きながら学ぶ者も多く、絶対的な教育水準から言えば、ノイエラントとアルターラントでは圧倒的な開きがあった。
 労働者の質と言う点で、指示待ちに慣れた旧帝国領の労働者はとてもノイエラントの労働者に太刀打ちできなかったのである。彼らはノイエラントを恐れ、かたくなにアルターラントに留まった。たとえ乞食同然になったとしても。
「失業者は就業の意思がある者を言うのです。誰かに養われている者や、就業を諦めた者、ホームレスに転落した者は統計にはそもそも反映されません。この点を考慮するならば、アルターラントの状況はかなり悪いとお考えになるべきでしょう」
「状況を見過ごしにしていたのは私の責任だわ。でもどうすればいいの?職業訓練を大々的に行うべきかしら」
「むろんそれも必要でしょう。しかしそれが芽を出すまでには長い時間、二年、三年、あるいは五年、十年かかるかも知れません。その前にアルターラントの旧農民の生活は破壊されてしまうでしょう。こういうことはふたつ以上の異なる文明が融合した時には必ず発生したのです。情報通信技術が発達して地球規模での単独文明が成立した時にも同様のことはありました。これは避けられないことなのです。けれども直接支援を行うことによって痛みを和らげることは出来ます」
「直接支援?」
「たとえば衣食住の支援です。あるいは貧困家庭の子弟の教育費を全面的に国庫で負担することによって、貧困を世代を越えて引き継がせなくさせることはできます」
「それには予算が必要よね。かなりかかるわよね」
「ええ、膨大な財政負担が必要になります」
「試算は出来る?」
「実はあらかた試算を終えています。数日中には詳細な試算を提出できるかと思います」
「では、そうしてちょうだい。閣議に諮らなければならないわ。財務尚書がなんというかしら」
 しまり屋のオイゲン・リヒターが顔を真っ赤にして激怒するのが目に見えるようだった。