Struggles of the Empire 第1章 伝説の終焉(8)

 フェザーン駐在の自由惑星同盟高等弁務官事務所はかつてユリアン・ミンツが駐在武官として勤務した場所だった。自由惑星同盟が滅亡して以来、同事務所ならびに弁務官公邸は帝国政府によって接収されていたが、これという使い道もなく放置されていたのを、ユリアンらイゼルローン共和政府代表一行がフェザーンに滞在する際の宿舎として提供された。今後、この施設はイゼルローン共和政府およびその継承政府となるバーラト自治共和政府の管理下に置かれる外交施設となる。
 イゼルローン回廊からハイネセンを経て、フェザーンに辿りつく航海において、ユリアンは皇帝のそば近くに頻繁に招かれ、ヤン・ウェンリーの思想と構想を説明し、今後、銀河系がどのような政治路線をとるのが妥当であるのか、皇帝ラインハルトと話し合った。ラインハルトは敵対したとは言っても、民主主義の理想を自ら戦って守ったこの若いヤン・ウェンリーの後継者に敬意と好意の両方を抱いていたが、だからと言って、ユリアンの言うことをすべて頭から受け入れるほど、皇帝としての自制心を失くしていたわけではなかった。しかしユリアンの提言のうち幾らかについては明白に合理であることを認め、死の直前にそのいくつかを政策化し、実行に移している。
 フェザーンに到着後、ラインハルトは昏迷状態に陥り、「後のことは次の統治者である皇妃と話すがよかろう」と後事を託されたヒルダも、看病にあけくれて、ユリアンとの会見は延び延びになっていた。帝国とイゼルローン共和政府との間で講和協定は既に成立していたが、より確定された条約という形にまではなっていなかったため、ユリアンはその早期実現を願っていたが、皇帝ラインハルト崩御後のごたごたの中で、待たされることを余儀なくされていた。
「おまえさんたちをフェザーンに送り届けて、俺の仕事も区切りがついたという訳だ。ここでだらだらと日延べをしていても仕方がないから、一足先に俺はふけさせてもらう」
 ポプランはそう言って、退去の意思を示した。その場にいた、ユリアンアッテンボロー、カリンのいずれもが、覚悟はしていてもいざこの時が来れば言いようのない寂寥感を感じたが、いまさらそれを言っても仕方がないことだった。
「おまえさん、これからどうするつもりだ?」
「どうもこうも、何をするのかを見つけるために旅に出るんだが、とりあえず旧帝国領を回ってみようかと思っている。オーディーンと地球以外は行ったことがないんでね」
「旅をするにしても先立つものが必要だろう」
 アッテンボローはそう言って、ポプラン名義のクレジットカードを差し出した。
「中身は?」
「大人しく暮らせば死ぬくらいまでの生活費ぶんくらいと言っておこうか。大人しく暮らさないなら5年ぶんくらいの旅費にはなるはずだ」
 しかしポプランはそのカードをアッテンボローに戻した。
「イゼルローン軍のすべての将兵がたんまり退職金を貰えるわけではないんですよね。俺としては、部下たちからかすめとったと言われては名折れになるもんでね」
「しかし旅費はどうするつもりだ?おまえさんのことだからどうせ金持ち女でもひっかけて、工面しようとしているんだろう。そんなことをされてはそれこそヤン艦隊の名折れだ」
 受け取れ、受け取らないの押し問答がされた後、ユリアンが口を開いた。
「バーミリオンの会戦の後、ヤン提督は一部艦船をメルカッツ提督に委ねられました。今回の件もそのようなものだと僕は考えています。ポプラン中佐は僕たちからは離れますが、中佐が帝国で見て、経験してくることは、いずれ将来役立つのではないかと考えています。いわばこれは投資です」
 ユリアンの説明に、ポプランは皮肉げに微笑んだ。
「おまえさんもオーベルシュタインばりの詭弁を言うようになったじゃないか。まあいいさ。ここはおまえさんの顔をたてておこうじゃないか。ただ、投資が無駄になったと言って、後で泣くなよ」
「そうはならないだろうと信じています」
 ユリアンはにっこりとほほ笑んだ。
 こうして8月に入る前に、ポプラン中佐は離脱した。8月1日、ようやくユリアンはヴェルテーゼ仮皇宮に招かれ、摂政皇太后ヒルダと正式の講和条約を締結した。
「約定に従ってバーラト星域を自治共和政府に委ねます。イゼルローン要塞の接収には、こちらから将官を派遣いたしますので、引き渡しの準備をよろしくお願いいたします」
「はい。すでにキャゼルヌ中将があらかた準備を終えていると思います。亡きヤン・ウェンリーと先帝陛下の名にかけて、この条約が確実に履行されんことをお約束します」
「私からも同様の約束をいたしましょう」
 その後、二時間にわたって歓談の席が設けられ、ここでもやはり帝国議会の将来の設置をユリアンは説いた。ヒルダも帝国で育った人間なので、無能な人間が君臨することの弊害は憂慮していても、だからと言って民主主義をそこまで信用する気にはなれない。過去においても、銀河連邦や自由惑星同盟衆愚政治に陥ったと言う実例もある。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの暴政は、民主主義者から言わせれば専制政治の制度的欠陥の証拠なのであろうが、それはむしろ民主主義の腐敗の結果として登場したと言う思いがヒルダにはある。
 その点を指摘すると、目の前の亜麻色の若者は、その可能性もあると素直に認めた。
「確かに私は民主主義体制の下で生まれ、その思想を強力に擁護するヤン・ウェンリーによって養育されました。純粋な論理と言うよりは考えの癖、あるいは好みによって民主主義に加担している可能性は考慮しなければなりません。しかしそれで言うならば、失礼ですが、亡きラインハルト陛下や皇太后陛下にも、銀河帝国で生まれたがゆえの思考の傾向がある可能性はあります。その可能性があることを互いに自問しつつ、なるべく教条的にならずに、どうあるべきなのが今後の人類社会の政治体制として適当なのか、機能的な側面から論じるよう努力する必要があるのではないでしょうか」
 その言葉にヒルダは深く同意した。何かを信条として固持することと、それを相対化することはなかなか両立できない。親が子を本当に思うならば、盲目的に肯定することも必要ならば、その盲目を停止して、何が出来て何が出来ないのか辛辣な批評家になるのも同時に必要なのである。その両方を両立できる者はごく少ない。ヒルダはそれを両立させ得る人間になろうとしている。ヒルダが思うに、亡きヤン・ウェンリーはそれが出来る数少ない人物たちのうちの一人だった。彼は民主主義の大義に殉じたが、その死を賭けた思想にさえ、盲目的に受け入れていたわけではない。まだしもましなものとして選び、まだしもましな未来を将来の世代に残すために死んだのである。
 ヒルダはヤン・ウェンリーとならば語り合って、専制政治でもなければ民主政治でもない、あるいはその両者を融合させ、その欠点を克服した新しい政治を共に作り出せるのではないかと夢想したことがあった。ヤン・ウェンリーはすでに死んだのであれば夢想は夢想のままで終わるはずであったが、ヤン・ウェンリーはその精神における後継者を残した。それが目の前にいるこの青年である。
「バーラト自治政府では国軍を保持しないように条約では決められていますが、ミンツ中尉は退役なされた後、政治職につかれるご予定ですか?」
「いえ、政治職に就く予定はありません。請われてもお断りするつもりです」
「あくまで軍人でいたいということでしょうか。いかがでしょうか、帝国軍にはかつて敵対した人物であっても将兵として起用した実績があります。亡きファーレンハイト元帥もそうでしたし、私の首席幕僚のシュトライト大将もそうです。そちらさまさえお嫌でなければ、ミッターマイヤー元帥と相談の上、しかるべき地位とポストをこちらで用意させても構いませんが」
「ご好意は本当にありがたいのですが、そういう話でもないのです。かつてヤン・ウェンリーは先帝陛下から帝国元帥の地位でもって勧誘されましたが、柄に合わぬと断りました。私も保護者の先例に習いたいと思います。軍人に自ら望んでなったのも事実ですが、実はもう一つなりたかったものがあります。ヤン・ウェンリーもまた本当はその道に進みたかったはずですが、これからは多少は余裕もできるでしょうから、歴史学を大学で学びたいと思っています。人類のこれまでの歴史の中に、私が見てきたことや人々を位置付けて、冷静に評価し直して、後世の一助になればと、願いを言えばそれが今の自分の願いです」
 ヤン・ウェンリーが生きていれば、レンネンカンプによって心身の危機に晒されるようなことが無ければ、ヤン・ウェンリーは自らそうした第二の人生を送っていたに違いなかった。父の果たされぬ想いを息子が引き継ぐか - そう思って、ヒルダは少しこの青年が気の毒になった。
「ヘル・ミンツ。私が言うべきことではないかもしれませんが、あなたはもう十分、ヤン提督のご遺志を果たされたと思いますよ。これから先のことまで、ヤン提督の思いに囚われる必要はないのではありませんか」
「ありがとうございます。私のようなものにまでご厚情をかけていただいて、本当に感謝にたえません。しかし、ヤン・ウェンリーの思いを引き継ぐために犠牲になろうとか、そういうつもりではまったくないのです。私自身、これまでの日々を記録して、自分の思いを学問という形で鍛え上げてみたいのです。もちろんその前に、試験勉強をして大学に合格しなければなりませんが」
 ユリアンは笑った。ヒルダも頷きながら、ふと思いついた。
「いかがでしょう。フェザーンは長く帝国と同盟双方と交流がありましたから、双方の文献資料がそろっています。ある意味、歴史学を修める上では格好の場所ではないでしょうか。フェザーンの大学にお入りなってはいかがでしょうか。こちらにいらっしゃれば、今後も頻繁にお会いできるでしょう」
「それはそうでしょうが、正直、今までフェザーンに残ることは考えていなかったものですから」
「私とあなたがこうして話して、よりよい道を選びとることを先帝陛下はお望みでした。他人事ながら、ヤン提督もお望みではなかったかと思います。実は、今後、引退した重臣や専門家たちを招いて、枢密顧問会議を常設させたいと考えています。私へのアドヴァイザーを増やす意味合いもありますが…」
「ご老人方が引退しやすいような受け皿という意味合いもおありなのでしょうね」
 ユリアンの指摘に、ヒルダはにっこり笑った。
「その通りです。ただ、アドヴァイザー機能を求めているのも事実です。あなたさえよろしければ、枢密顧問官に名を連ねていただきたいのですが」
「それは本当に申し訳ありません、帝国から公職をいただくわけにはいかないのです。一応私も自分の命令で将兵を死地に追いやった立場の人間ですし、リップシュタット戦役のように単に党派同士の抗争で戦ったというわけでもありません。私が帝国の公職をいただけば、やりきれない思いをする人も多数おりましょうから」
「おそらくそのようにおっしゃるのではないかと思っていました。そういうわけで、月に二度ほど、私個人の家庭教師をしていただきたいのです。それならば私人ですから構わないでしょう?」
「家庭教師と言っても、私には別に教えられることなんてありませんよ」
「いいえ、ユリアン・ミンツという人がこれまでの人生の中でおりおりに考えたことを私に教えられるはずです。学生のアルバイトとしてはちょっとした報酬もお支払いしますが」
 ヒルダはそう言っていたずらっぽく笑った。後で分かったことだが報酬は小遣い程度どころではなく、尚書職の報酬に匹敵する額であったが、ユリアンは受ける受けないを即答できなかった。フェザーンに残るにしても、了解を取らなければならない人物が少なくとも二名はいたからである。