Struggles of the Empire 第1章 伝説の終焉(6)

 ゴールデンバウム王朝からローエングラム王朝に移行した歴史の流れの陰に、他ならぬ「打倒される側」の皇帝フリードリヒ4世の意思が働いていたと述べたアンネローゼの話は、ヒルダ、マリーンドルフ伯、そしてヴェストパーレ男爵夫人にとっては衝撃的であった。ゴールデンバウム王朝の最後の寵妃として、そして新王朝の創始者の姉として、両者をつなぐ位置にあるアンネローゼは、寵妃としての自分も、皇帝の姉としての自分についても多くを語ることはこれまでしなかったが、それが単に控え目であったというのではなく、そうすること自体がその流れを生み出し、大きくするためには必要であったと今、明らかにしようとしている。
「帝国の後継者の話を振られて、ラインハルトは、大して興味がないというように返答したと聞いています。才ある者が実力で以て継げばいいと。弟らしい考え方ですが、才ある者が一人のみではない以上、その考えは帝国を無用の混乱に陥らせる危険がありました。そのことに気づいていないはずはないのですが、それでもそう考えてしまう。良くも悪くも弟が自分の思いのままに生きていたということであって、皇帝としての任を本質的に理解していなかったことの表れだと思います」
「それは、そうかも知れませんが、陛下が民衆のことをお考えになっていらっしゃなかったということはございません」
 アンネローゼの弁が思いもよらぬほど辛辣であったのに驚き、ヒルダは思わず夫を弁護した。アンネローゼはそれを聞いて、微笑んだ。
ヒルダさん。あなたの夫を悪く言っているように聞こえたのなら謝ります。私にとっても弟で、長く一緒に暮らした人のことですから、あの子が本質的には優しい子だというのは分かっているつもりです。ただ、自分にも厳しければ他人にも厳しい面があったのも確かだと思うのです。言ってみればあの子なりの美意識があって、それにそぐわないことについては、切り捨てたり、無関心であった面もあるのです。皇帝となるならば、それではいけないと私は思いました。ジークフリード・キルヒアイスが私との、幼い日の約束を守って、あの子を守るために斃れた後、私はあの子とは距離を置きました。あの子はそれをジークを失ったことへの罰と思ったことでしょう。けれども私が傍らにいることで、あの子はおそらくそのまま満足してしまう、渇えを失ってしまったら、ただ自分であることに満足してしまう、それではいけないと思いました」
 ヴェスターラントの生き残りから、ヴェスターラントの虐殺を看過した件について非難された時、ラインハルトの精神は傷つき、ヒルダにすがった。その結果、アレクが生まれ、帝位の継承がとどこおりなく行われ、帝国の平穏が可能になった。あの時、アンネローゼが傍らにいれば、ラインハルトはただアンネローゼにすがることで満足してしまい、自分の過ちを直視することは出来なかっただろう。
「私が静かな生活を好んでいるのは確かですが、好きだからと言って隠棲していたわけではありません。弟に皇帝としての責任があったように、私にも亡きフリードリヒ4世陛下の寵妃として、弟の姉である大公妃としての責任があります。皇帝として弟を独り立ちさせるために、敢えて距離を置いたのです。そのことが弟の精神に負荷をかけ、彼を時に追い詰めることは分かっていました。それでもそうしなければならないと思ったのですが、そのことが弟を生き急がせたのも事実です。弟がこんなに早く亡くなった責任の一端は私にあります。私は罪深い女です、ヒルダさん。何も過剰な自罰感情から言っているのではありません。それは単純に事実なのです」
 皇帝フリードリヒ4世が本当にアンネローゼが言うように、ゴールデンバウム王朝の滅亡を見通したうえで敢えてラインハルトに加担していたのだとすれば、その過程で彼の娘や孫たちも犠牲になったのだから、冷徹と言う言葉だけでは済まされない、苛烈な責任感がそこにあったということになる。そしてアンネローゼもまた、ある意味、その責任感を共有し、弟を犠牲にしたのである。
「そのようなことを為した女ですから、今さら自分のことについてどうこうしたいとかしたくないとか言えるはずがないことは理解しているつもりです。私は今は新帝都に留まり、あなたのお役にたてることがあればそれをしたい、するべきだと考えています。なんなりとおっしゃってください」
 この時初めて、ヒルダは銀河系人類に対して責任を負うことを恐ろしいと感じた。今までも理解はしていたつもりだったが、それが頭だけのことで、体で理解していたわけではないことをヒルダは知った。
 思えば、アンネローゼは十代前半の多感な時から、皇帝の傍らにあって、帝国を統治すると言うことの実質を見てきたのである。必要があれば他人にも自分にも冷徹であらなければならない、皇帝のその姿を見てきたのである。彼女の内面に、為政者としての巨大な冷徹さがあっても当然であったが、ただたおやかなだけの人と見てきた自分は一体なにを見てきたのだろうとヒルダは恥ずかしく思った。
「それではお言葉に甘えてふたつお願いがあります。まず、第一に、アレクの養育をアンネローゼ様にお願いしたいと思います。私には摂政としての任があり、父には国務尚書としての任がありますから、家族のうちでこの任にあたれるのは実際問題としてアンネローゼ様しかいらっしゃいません。アンネローゼ様は先帝陛下を実質的にお育てした方ですから、適任でもいらっしゃると思います」
「ラインハルトは最初からラインハルトで、彼が自分を自分たらしめるうえで私が出来たことはほとんどありませんでした。けれども、アレクは私にとってもただひとりの甥ですから、出来る限りで、養育にあたらせていただきます」
「ありがとうございます。もうひとつははるかに不躾なお願いです。今日明日はともかく、将来的には、アンネローゼ様には適当な方とご結婚いただきたいと考えています」
ヒルダ、それはあまりにも」
 アンネローゼにとっても親友であるヴェストパーレ男爵夫人が思わず抗議をしようとするのを、おだやかに右手をかざしてアンネローゼが制した。
「それは摂政として、帝国の統治者としてのご要望と考えてよろしいのですね」
「そうです」
「その理由をお聞かせいただけるでしょうか」
「第一にローエングラム王家の成員の少なさです。妻としてこの家に加わった私を除けば、先帝陛下の血族にあたるのはアレクの他にはアンネローゼ様しかいらっしゃいません。アレクに万が一のことがあった場合、王朝は断絶を余儀なくされ、帝国が無用の混乱に陥ることが想定されます。私自身が再婚して、別途、子をもうけることができるならば、自分自身でそうしますが、そうして新たに子をもうけてもその子はローエングラム王朝の血統ではなく、また、実際問題としてアレクの母として摂政の任にある私が再婚をすることはほぼ不可能でしょう。仮にそうすれば帝国統治の正統性に関わってくる問題になります。となればアンネローゼ様しか他におられず、皇位継承を安泰ならしめるため、ご結婚のうえ、お子をお産みになっていただきたいと敢えてお願いする次第です」
ヒルダ、その考えは帝国の統治者としてはもっともだけど、私たち女性にとってはにわかには呑み込みがたい理屈だということは理解しているのでしょうね」
 ヴェストパーレ男爵夫人の辛辣な批判に、ヒルダはうなづいた。敢えてこうした批判を提供してもらうべく、ヒルダは男爵夫人がここに同席することを望んだのである。
「はい。私も女ですから、この理屈が女性にとって非人道的なものであることは理解しています。ですから、アンネローゼ様が拒絶なさってもやむを得ないと思っています。ただ、摂政として、言うべきことを言っておかなければならない、そのうえでアンネローゼ様にご判断いただきたいと思ったので敢えて申し上げています」
「ご心情は理解しています。他にそうすべきという理由がおありのようですが、お聞かせいただけますか」
 アンネローゼに促されて、ヒルダは言葉を続けた。
「では申し上げます。今申し上げた通り、成員の少なさという一点においてローエングラム王朝はある意味、脆弱な状態にあります。帝国に混乱をもたらしたい勢力にとってはここが狙いどころになるのは目に見えています。かのヤン・ウェンリーは、暗殺によって歴史が動いたことはないとの持論をもっていたようですが、私には多少別の見解があります。アレク以外には、次世代の皇族がいない状況で、アレクを殺害すれば即、王朝の断絶という結果がもたらされるならば、アレクはテロリストにとって実に魅力的な標的になるでしょう。アレク以外に皇位を引き継げる人が複数いるならば、敢えてアレクを暗殺する動機もそれだけ弱まります」
「つまり、テロの標的とするために、アンネローゼに子を産めと、言っているのよね?」
 男爵夫人が端的に整理して、要点を提示した。
「そのとおりです」
 しかしヒルダはたじろかずに、それを肯定した。
 皇帝となることは、皇帝の家族となることは、豪奢な生活を送ることに本質があるのではない。機関として、国家の論理として、自分や家族を定義することなのである。
「もちろんこれが非人道的であることは十分に理解しています。こういうことは命令できることではありませんし、摂政としても、命令は致しません。ただ、このことについてアンネローゼ様には考えていただきたいのです」
 命令ではないと言いつつも、この要求を出したという一点において、おそらくラインハルトは妻である自分を決して許さないだろうとヒルダは思った。そして、そう思いながら、さきほどアンネローゼが言った、ラインハルトの皇帝としての、統治者としての甘さが確かにあったことを理解した。ラインハルトの生前にも、ラインハルト自身が健在であったことから今よりも状況がタイトではなかったとは言え、ローエングラム王朝の成員の少なさという問題は存在していた。ラインハルトが皇帝としての責任のみをまっとうしていたならば、彼自身が姉に結婚を命令していたはずなのである。しかし実際にはそうはしなかった。姉の意思を尊重し、姉が隠棲して皇族としての任を一見、果たさないことも受け入れた。それは姉への愛情があればこそだが、ラインハルトの皇帝としての責任感は、その愛情を乗り越えられなかった。
 アンネローゼはラインハルトの皇帝としての欠点を正確に理解していたのである。さすがに、先帝の姉であり、事実上、先帝を養育した人の冷徹な眼差しだとヒルダは改めて感嘆の念を覚えた。
「おっしゃることは理解しました。結婚するとなっても、誰とそうするのか、それ自体、帝国の将来にとって熟慮すべきことでしょうから、いますぐどうこうするとは申し上げられませんが、少なくとも検討はすることはお約束しましょう」
 現在、建造中の、王朝の根拠地となるはずのルーヴェンブルン宮殿は、居住棟の東翼、儀式用のスペースの中央棟はまだ着工中ながら、オフィス棟の西翼はほぼ完成した。ヒルダは西翼に自身の居住スペースをもうけ、近日中に西翼に移ることを告げた。東翼が完成すれば、アンネローゼと皇帝アレクサンデル・ジークフリートはそちらに移ることになるが、当面はこのままヴェルテーゼ仮皇宮に居住することになった。マリーンドルフ伯は国務尚書公邸に居住することになる。
 家族が離れて暮らすのは治安上の対策であった。
 そしてこの場で、ヒルダはヴェストパーレ男爵夫人に自身の首席秘書官に就任することを要請した。ホテルシャングリラでの結婚式からまだ半年余り、アレクの誕生、皇帝ラインハルトの親征、そして皇帝不予と崩御と相次ぐ中で、ヒルダが自身のスタッフを構築することは延び延びになっていた。そのような中で、ラインハルトから摂政を委任され、多くの事柄を抱え込み、多忙な日々に駆け回るヒルダを見かねて、ヴェストパーレ男爵夫人は「友人として」出来ることは自分が差配をして、ヒルダの負担を軽減すべく、立ち回っていた。そのことがどれだけありがたかったか分からない。また、その中で、ヒルダの意向を憶測して適切に処理できる点において、ヴェストパーレ男爵夫人が卓越した事務処理能力を持っていることも明らかになった。
 ヒルダには首席秘書官として、そして皇妃として皇帝ラインハルトを支えた自分自身のような人物、時に苦言も呈し得る人物が秘書官の任に自分にも必要なことを理解していたが、その人物をヴェストパーレ男爵夫人の中に見出したのである。
「めぼしい殿方があらかたオーディーンからフェザーンに移動して、オーディーンにいてもつまらないからこちらに来ただけなのに。でも、そうね、あなたもアンネローゼも伯爵も、それぞれの責任を果たそうとしているなら、私だけが逃げるわけにはいかないわね。私は結構やかましい女よ。それでもいいというなら、喜んでお仕えさせていただくわ」
 こうして摂政皇太后ヒルダはこの先、自らの意思を具現化してくれることになる手足を得たのだった。