Struggles of the Empire 第1章 伝説の終焉(4)

 ナイトハルト・ミュラーは帝国元帥たちのうちで最も若く、鉄壁ミュラーの実績から、序列としてはミッターマイヤー元帥に継ぐ位置にあったが、小家族めいた提督たちの社交においては、末っ子の如く扱われることが多かった。若さゆえにことさら他の提督がミュラーを軽視したわけではないが、おりにふれて世話を焼かれる役回りになったのは、ミュラーが生家においても14人兄弟の末子と言う、徹底した末っ子気質であったからだろう。
 ミュラー自身は最近は無意識に他人に迎合し、結果として流され易い自分の性格を自覚し、欠点を克服しようとしていた。オーベルシュタインにかつて持っていた嫌悪感についても、ただ単に周囲に迎合して、見るべきものを見落としてしまった結果ではなかったかと思うようになっている。むろん、それがただちにオーベルシュタインに迎合するようでは方向が入れ替わっただけでおのれの甘さを克服することにはならない。そうではなく、オーベルシュタインを是とするにしても非とするにしても、単純に感情的な反発からそれをなしてはいけないと思うミュラーである。
 旧同盟首都星ハイネセンで、オーベルシュタインが旧同盟の要人を拘束し、それをもってイゼルローン要塞に立てこもるヤン艦隊をひきずりだそうとしたことがあった。いわゆる、オーベルシュタインの草刈りである。これにミュラーが、「皇帝陛下はこのような卑劣な振る舞いを誇りにかけて断じて許容しないでしょう」と抗議した時、オーベルシュタインは喝破した。
「そのカイザーの誇りが数百万将兵をむざむざとイゼルローン回廊で朽ち果てさせたのだ。帝国はカイザーの私物ではなく、帝国軍はカイザーの私兵ではない。将兵の犠牲を最小にするという一点においてこの措置を是とするゆえんである」
 この論理に対して、ミュラーは未だ、対抗し得る論理を構築できていない。むろん、それを詭弁と言おうと思えば出来た。オーベルシュタインに対する嫌悪感から感情に逃げても、多くの者がむしろ通る道であろうし、実際、ミュラーも一端はそう処理した。しかし時が過ぎて、ヤン・ウェンリーが死に、カイザー・ラインハルトも崩御した今となって振り返れば、オーベルシュタインの論理は、単純に感情論で葬っていいようには思えないのである。
 ミュラーは思う。それでも卑怯な行為の上に築かれた平和などは、正統性において脆弱である、と。ただ勝てばいいのではない。銀河帝国は正義の名において存続し、統治してゆかなければならないのである。その時、正義の土台がいささかでも曇ることがあれば、それは必ず国家とそれを運営する人々の精神を蝕むであろう。
「ゴールデンバウム王朝の頃はいざ知らず、ローエングラム王朝は義によって建つ」
 と断言したミッターマイヤーの言に心から共感を覚えるミュラーとしては、ただちにオーベルシュタインに与するわけにはいかない。しかし、心のうちでオーベルシュタインの精神もまた抱えていなければならないと思うのだ。矛盾でもあり、容易ならざる道ではあるが、その道をこそ進まなければならないとミュラーは今は思う。
「いずれにしても、非凡な人物であったのは確かだ」
 オーベルシュタイン邸へ向かう自動車の中で、ミュラーはそうつぶやいた。皇帝ラインハルトが光ならばオーベルシュタインはその影であった。影があってこそ光は輝く。摂政皇太后の時代において誰がその巨大な異物、巨大な影の役割を果たせるのか。好きか嫌いかで言えば、ミュラーは今なお、オーベルシュタインが嫌いだった。しかしそのような感情はもはや些末なことである。オーベルシュタインが失われたことは確かに帝国にとって大きな損失であり、皇帝ラインハルトという不世出の天才を欠いてなお存続してゆかなければならないローエングラム王朝にとっては、致命的な痛手となるかも知れなかった。
 オーベルシュタイン邸はフェザーン中央市の旧市街、ボーブリンスキー街の一画にあった。戸建ではなく、街路に面したタウンハウスであり、貧相ではなかったがとりたてて瀟洒でもなかった。ミュラーの官舎の方がよほど広々としていた。
「自分は艦隊を率いているわけではなく、部下をもてなす必要もないのだから、広い家は必要ない。軍務省に近い場所に、手ごろな部屋があればそれでいい」
 オーベルシュタインはそう言ったと言う。帝国軍のフェザーン侵攻後、フェザーン中央市の官公庁や幾つかの建物は接収され、要人たちには官舎としてあてがわれたが、オーベルシュタインは自邸を元の持ち主に適正な価格で支払って購入したという。従って、オーベルシュタイン邸は官舎ではなく、所有権的にも私邸であった。
 もっとも、オーベルシュタインには遺族はおらず、つつましい遺産も、大部分は戦争孤児の育英基金に寄付される他は執事のラーベナルトが相続することになっていた。オーベルシュタイン邸もラーベナルトが相続し、そのまま居住することになる。
 オーベルシュタイン邸には弔問客がおふれんばかりという風ではなかったが、軍務尚書であったので、関わりがあったものたちが数名、訪問していた。執事のラーベナルトにいざなわれて、ミュラーがオーベルシュタイン邸の居間に入った時、そこにいた数名の者たちは鉄壁ミュラーの姿を見て、立ち上がって礼をした。
 オーベルシュタインの直属の部下たちは、いまだ軍務省につめっきりであり、副官のフェルナーも弔問には訪れていない。ここにいるのは文官たちが主であり、話を聞けば、「付き合いは無かったが偉大な人物であったと思うので、弔問に訪れた」というような者たちばかりだった。わずかなりとも、故人を評価してくれる者がいたことが、なぜかしら、ミュラーは嬉しかった。
 すでに一時的な腐敗措置を施され、カプセルアークに収められたオーベルシュタインの遺体が、居間の端に安置されていた。傍らにはダルメチアンの老犬が主人を守るように伏せており、ミュラーが棺に近づくと、老犬は一瞬、警戒するかのような眼差しを向けた。
 これがかの有名なオーベルシュタインの犬か、と思いながら、ミュラーは腰を曲げて顔を犬に近づけると、
「少しだけ、君のご主人に挨拶をさせてもらっていいかな」
 と言った。犬は解ったのか解らぬのか、警戒を解き、再び寝そべった。
 オーベルシュタインの死に顔はいかにもオーベルシュタインらしかった。冷徹で表情に乏しく、死人らしい顔であったが、生きている時もこのような顔だったとミュラーは思った。ただ、目を閉じているので、生気のない義眼が見えないのが、かえってこの物体が死体であることを主張しているかのように思えた。
 ミュラーは不動の姿勢のまま十分ほど敬礼をした。肝胆相照らす仲ではなかったが、思えばオーベルシュタインとも王朝の創建の苦楽を分かち合った仲ではある。リップシュタット戦役の前後、ラインハルト旗下の諸提督たちのうち、ラインハルト自身と、キルヒアイス、ケンプ、レンネンカンプ、ルッツ、ロイエンタール、ファーレンヘイト、シュタインメッツ、そしてオーベルシュタインがヴァルハラへと旅立った。亡くなった者が9名、生きている者がミュラー自身を含めて7名である。
 残されたものには死者の思いを受け継いでやるべきことがあるだろう。
 敬礼していた右手をおろすと、ミュラーはそのままきびすを返して、オーベルシュタイン邸を出た。ミッターマイヤーは事後処理に四苦八苦しているだろう。ミュラーにも、やるべきことは山ほどあった。